ソードアート・オンラインは本当に大好きな作品で、少年キリトくんの心の葛藤や成長、不器用さとか、登場人物の背景とか作品としての完成度や整合性とかも優秀だと思っている。 けれどある時、医療従事者として MMORPGでアインクラットにログインして囚われてしまった状況から無事帰還または死亡してしまうまでの状況を想像してしまった。 多くのプレイヤーは、運良く知人や家族に発見されて病院に搬送されて一命を取り留めている(設定)。 2000人にも及ぶ全国各地に居るであろうプレイヤーは、一
じいちゃん じいちゃんが逝ったあととても忙しくて大変だったんだよ じいちゃんが逝きそうな頃、ばあちゃんに聞かれた事がある。 「入院させた方が楽になると思うけど」と 私は、 「じいちゃんは入院したくないって言ってるのなら、じいちゃんの思いは尊重しないといけないと思う。入院させれば、ばあちゃんは楽になるかもしれんけど、最期まで看んかったっていう思いが残るかもしれん。逆に、早う入院させたら良かったって思うかもしれん。結局は、ばあちゃんの覚悟だけだよ。」と、他人事のように言って退け
じいちゃんは、夫の父親、義父のことである。 結婚相手を夫に決めたのは、もちろん【夫が優しい人】だったのは言うまでもないが、それ以上に【夫の両親の人柄】が良かったこと。 夫の家はド田舎。 田んぼや畑のある山間部。 とても裕福とは無縁に見える家。 そんなことはどうでも良いほどに、付かず離れず良い距離でサポートをしてくれる夫の両親。 じいちゃんは【おしゃれさん】だった。 じいちゃんは、70代になる頃まで、毎月欠かさず散髪に行って白髪を黒く染めいた。若く見えていた。 じいちゃん
私には物心がついた頃には既に父親と呼べる人は居らず(母が生後半年の私を連れて家を出て協議離婚したため)10歳になる頃母が再婚して義理の父親ができた(と、言っても私が中三の時進路に必要で戸籍抄本を取って養子縁組されていないことを指摘するまで子どもになっていなかったのだけどね)その義父も私が第二子妊娠中に心筋梗塞で亡くなった。だから、父親孝行というものには無縁だった。 結婚して三人目の父(義父)ができた。 結婚して35年、義父母は 嫁の悪口を言うわけでもなく、子どもが小さい頃には
今年も仕事初めは元旦 出勤中は日の出前 月が浮かぶ夜明けの空は何ともエモい この瞬間がとても好き そんなことを思いながら車を運転していて、あと少しで到着という6時43分!心臓発作(攣縮性狭心症)11月から12半ばまでとてもとても忙しかったし色々(義父の死)あったからな~~と(忙しかった後には必ず起きるから予想してたけど)寄りにも寄って今日かよーって思いつつ車を停めてニトロペンを舌下!落ち着いてから仕事に!!(遅刻はしてないよ) 今年も職場から初日の出を見た 仕事中に写真
うちの庭は 野っ原に生えている所謂雑草と言われる花が咲いている。 雑草それぞれに名前が有るのだろうけど、知らない野草が沢山。 山のスミレ 野のスミレ ネジバナ クローバー🍀 月見草 カタバミの仲間 もちろん厄介なスギナも・・・春には土筆 それにドクダミソウまで 時にはキノコや粘菌まで そして沢山の苔 うちの庭は賑やかです。 もちろん、買ってきて苗を植えた園芸品種の花も有りますが 四季折々 雑草たちは逞しく咲いてくれます。
私は周りの事がよく見える。 だから情報過多になって疲れる。 あれやこれや沢山の事がしたい。 でも、体力も時間も無い。 独りで仕事をする方が性に合っている。 でも、耳や目から入る情報は処理したくなる。 もともと虚弱体質気味。身体も細い方。(年齢を重ねて少し丸くなったけども)とにかく体力が無い。 それなのに、全力で動き回れる時は充実した気がして大好きだから、うっかり全力で動き回る。頭も身体もフル回転で。 すると、何日も尾を引くほど頭と身体が疲れてしまう。体力の無さを実感してしま
私にはたぶん友達が居ない 朝ドラの【エール】で、男同士の友情とは...っていうような、無条件で友のために尽くす!的な光景を何度となく見た。 私には家族意外にそんなに人はおそらく誰も居ない。 家族が居るだけマシ!というくらい。 ちなみに、友達という概念は人によって違うのかも知れないと思う その考え方でいうと、私の友達というのはハードルが高いのかもしれない 職場での繋がり ご近所さんとの繋がり 子供たちの関係者との繋がり それぞれ懇意にしてくださる方は多い そして困った
ずーっと他の人と違うって思ってた なのに、明確な診断や判断基準が無くて ずーっと 何で疲れやすいんだろう 何でびっくりするのだろう 何で情報過多(仕事が多すぎても)になると鬱みたいに電源が落ちるみたいになるんだろう 何で他の人の言うことが刺さって辛くなるんだろう 何で頑張ってても不安なんだろう 何で他人に指示される方が楽なんだろう 何でいろんなことに気が付くんだろう 何で他人の言葉で一喜一憂する振れ幅が大きいのだろう 何で「蛍の墓」が辛くなって見れないんだろう 何ですぐに飽き
保育園に通っていた頃、4〜5歳だろうか 自分がやりたいと言ったのか親がさせたかったのか 今となっては全く分からないのだけれど、おそらく、私がやりたいと言ったのだろう。 保育園のお迎え時間が遅いためオルガン教室が行われていたのを見て『やってみたい』と言ったのだろう。ところが、私はオルガン教室でどうしても寝てしまっていたようで、教室の先生から母親に状況説明があり、保育園が終わってからはいつも大きな教室で、[おかあさんといっしょ]を見て過ごすことが当たり前になっていた。 実