末世の邪宗、切支丹でうすの魔法だったっけ、邪宗門秘曲は良い。なんとなく、ふとした時にぼんやり思い出す。

如何にもこうにも立ち行かなくなって死んでしまおう!と勇気が湧いたんだけど、結局やめたら、その気力がいい方向に向いたらしく、今はすごく安定している。よかったよかった。
前に絶対に死んでやると覚悟を決めて、致死量を文献で調べて薬局で買い漁って酒と一緒に飲んだ時はやってやった!と思ったものだったけど、結局今も生きている。

人間、一度自殺してみるといいと思う。簡単に死ねやしないから、生きることの楽さに気がつくよ。
だからといってどうもならなかったのが、私だけども。

何故かは分からないが、自殺の前には邪宗門を読んでいることが多い。前は文庫だったけど、今は復刻版。天面が金ピカでアンカット。ペーパーナイフでザクザク切って読む。切ってまた読む。切るのがまた楽しい。勿体無くてまだ四分の一も読めていない。
白秋はリズムが古典的というか、まぁ良い意味でいうと日本人の音律によく合っているように思う。中でも邪宗門は型が分かりやすくて好きだ。その中に、見てはいけない秘密のような甘く恐ろしい物が潜んでいるように思う。邪宗門秘曲は、それが漏れ出してきたから蓋でもしとくか、って感じで、下手をすると飲まれるのではないかという恐ろしさをあえて見せているようにも思う。要は地獄の門を開く覚悟はあんのか手前、と喧嘩を売っているような物なんだろうか。専門家が聞いたらキレそうな意見だ。
白秋が好きだ。けれど戦争詩は、まだ読めない。

反面、萩原は全く分からない。何故かは分からないが、どうにも萩原朔太郎という人の文字一つ一つが、私の中で意味を成さない。全くもって分からない。ファンには怒られると思う。
猫町も、何かで読んだんだけれど、やっぱり分からなかった。月に吠えるの復刻版も邪宗門と一緒に買ったが、邪宗門のようにザクザク切って読める気がしない。文庫で読んで、萩原ファンの友人に「どうだった?」と聞かれて「私には早かった」と答えてからだいたい一年ぐらいだが、やっぱりまだ早いようだ。
しばらく飾っておこうと思う。

大手拓次が大好きだ。インフルエンザの時に読んで熱が上がったぐらいに好きだ。マジであの時は死ぬかと思った。羽毛ぶとん3枚に厚手の毛布を掛けたり敷いたりしたけどクッソ寒かった。世の大抵の異常気象も、アレよりマシかもしれない。
大手拓次の何が好きか、と聞かれると、今にも死にそうなところかなと答えるだろう。なんか、死にそうだから、とりあえず読んでほしいとしか言いようがない。エモーショナル!で全部終わらせたい。簡単に読める一編を選ぶんだったら、海鳥の結婚とかが分かりやすいと思う。なんか、死にそう。よくわかんないけど。
何やってんだよお前。こんだけ良いもの書いといて、勝手に死ぬなよ。もっと文豪っぽく、カッコイイ装丁で、復刻版とか出ちゃうぐらいの詩集ぐらい出してから死んでくれよ。って思う。なぜなら大手拓次は詩人って言うよりは、社会人の側面が強いのかもしれないと思うからだ。文豪と持て囃されている人がこれを書いていても正直響かないかもしれない。何のためにもならないけど、書きたいから書く姿勢に、感情移入みたいなものをしているかもしれない。

ここまで書いたなら室生犀星も書かないといけない気がする。ごめん、詩は読んだことない。
読んだことがあるのは、ある詩人の伝記だ。寂しい。伝記だもの。色んな人を見送って、最後の一人としての責任を果たしているんだもの。これは生きたことの、詩人が生きていたことの証明となるものを遺していた。読んでいて寂しかった。代わりに泣いてあげようか、って感じだ。

ついでに三好達治もこの前読んだから書いておく。大衆受けすると思う。頭使わなくても面白かった。規律の中に、楽しさみたいなものがある、社会って感じがした。

どこかで言ってる気がしなくもないけど、とりあえずこんなものだ。
集中を続けるのが難しくなって以来詩を読むようになったけれど、一文読むだけでものすごい時間考えていられるから楽しい。
荒地が好きというのはまた別の機会にしたいと思う。趣旨が違う。

会社からは実質無期限の休養を貰った。詩なんかに耽っていたら精神状態悪化しそうなものだが、まぁ焦らずなんとかしたいと思う。
薬も調整がかかった。ODはしないと踏んだのか、ちょっと飲みすぎてもハイになるだけと思われてるのかはわからないが、キツい時にはたくさん飲めという薬が一種類出た。ODしたところで吐くのがオチって事は学習してるんで、使い所では躊躇なく使っていこうと思います。

てな訳でこっちの小説の更新頻度ももー少し上げていきたい。だがネタが思いつかない。

とりあえずしっかり休みます。おやすみ。

無理な金額は自重してね。貰ったお金は多分お昼ご飯になります。