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失敗

また失敗した、とでも書けば主人公らしいだろうか。

まず日記のナンバリングをやめたのは失敗だったなと思う。毎回タイトルが思いつかない。書いたことの要約でいいんだろうけど、それが難しい。難しいね、ぜんぶ。

あと写真もなんも関係ない。富良野のトリックアート美術館です。童心に帰れる自信のない人は観覧車乗ってジェラート食べて帰るのが一番です。はい。

快方に向かうと思っていたけどどうやら楽観だったらしく、また引きこもりに逆戻りだ。
やることがなくなると、(本当はたくさんある。部屋片付けたりとか、風呂入ったりとか、ご飯作って食べたりとか、洗濯物は着替えないからあんまりないけれど。)人間の人生について考えてしまう。それは自分の人生であったり、友人だったり、何かのキャラクター、架空の人間だったりする。そうして創作の続きがしたくなる。

自分で自分の書いたものを読み返すのは、時間が経つにつれて自信がなくなる。絵も同じだ。それでも続きを書こうと思って、どこまで描いたか確認のために読んだ。さよならジュブナイルを一通り。
話の原型は私がオメガバースに出会った、だいたい4年ぐらい前からずっとあって、どこを装飾してどう着地するかな、といったところだ。
書きたいとこだけ書いたなこいつ、というのが正直な感想だった。このやろう。一番楽しいやつだろ、それ。
結局創作活動なんて自慰行為みたいなものなんだから良いといえば良いんだけど、にしても続きが書きづらいなこれ。それでも今の自分なら絶対に書ける。あれを書いた時とほぼ同じ精神状態なんだから。

自分のことを考えるのが一番つまらない。だから架空の人間の出会いと別れと終わりをずっと空想していて、それには名前があるときもある。実在する人間にこういった人間との出会いがあれば何か変わっただろうかとか、あの日から会っていない彼女がどう生きていくだろうかとか。
人生は面白い。ただそれは振り返った時に言えることで、自分が道を模索しながら歩いている限り苦痛でしかない。他人を俯瞰している時が一番面白いだろう。
思想は変わりゆく。選択は時により変化する。成長は時に邪魔になる。
私は(今は)性善説の人間だ。生まれた瞬間が一番無垢で善であり、それは死ぬ事による彼自身にとっての悪で相殺される。その道中、つまり人生において積んだ善行や悪業が彼の魂の価値であり、たいてい世に対しての善より世にとっての悪、自分に対しての悪より自分にとっての善の方が多いんだから世界から見れば大概の人間は無価値どころか悪なんじゃないの、っていう考えの持ち主です。異論認めます。性善説は本来そうじゃねえっていうのも認めます。でも今の私にはこう表現するしかなかった。すいません。
だから私はやっぱり早めに死んでおくべきだったなっていつでも思っていて、いつでもあの時死ねなかったことを後悔しているけれど、
けれど何だろうな...
生きていなきゃならないんだろうな、だってあの時死ねなくて、助けてくれた人がいたから。
彼女のためじゃないし自分のためでもない。
生きる価値なんか結局ない。
何書きたいかよくわからなくなってきたけれど、私の中で結論が出ていない事だった。そら書けないわ。すまんな、なんか。

呆けていたら自分がアカくなりかけているのを感じている。善悪もよくわからなくなってきた。もう何もわからない。

ごめんな、なんか、これ書いたのも全部失敗だった気がするわ。ごめん

無理な金額は自重してね。貰ったお金は多分お昼ご飯になります。