私は今、実家からかなり離れた場所で療養中の身である。昔ならば湯治とでも言ったかもしれない。今はただの長期滞在にすぎない。

あれから色々考えたり考えないようにしたりして、よくなっているような悪くなっているような微妙な感じになっている。要は何も変わっていない。
久々に相方に会ったら心配されていた。私が死んだら少なくともこいつは泣くんだろうなと思って、生きようと思った。
私にとって相方は、友達と言うには近いけれど、仲間と呼ぶにはあまりにも遠くて、親友と銘打つには不釣り合いな人間だと思う。憧れの存在だけど、気軽に話すことができる。不思議な関係のように感じる。そう思っているのは私だけかもしれないが。
何ヶ月も会わなくたって、相方は相方だし、私は私だ。それぞれ悩んだり苦しんだり、楽しいことがあったりすると思う。一対一の個の人間として存在しているものが、たまに影響を受ける。友達なんて薄い言葉では表現しきれないほど相方は私の心の中で大きな存在になっているし、なくしたくもない。
こう書いてしまうと不思議な関係のように思えるが、学生時代のように毎日会って話すことがないだけで、一般的な友人関係なのかもしれない。ツイッターやラインが普及して、会わなくても毎日話すのが普通になってしまっている今だからこそ、こういった信頼関係を不思議に思うのだろう。
私は相方の目標を応援しているし、在り方を尊敬しているし、私に出来ないことが出来るのを羨ましいとも思う。多分、妬んでいた時期もあった。けれど個体としての差異に過ぎないと気付いてからは、妬みなどは感じていない。個の人間として一般的な幸福を手に入れて欲しいと思う。そしてずっと交友関係が続けばいいと思っている。
私の知っている中で一番不思議な関係の、相方について書いてみたものだが、読まれると思うと微妙な気持ちになる。まぁ日記なんだからいいやと開き直りもしている。

なぜそれほどまでに相方が不思議かというと、私がLGBTsだからだ。
綺麗な女の人がいれば口説いてみたくなる。格好いい男の人がいれば落としたくなる。誰だったかは忘れたが、夏の女性の肌に惹かれるし、冬のコートを着込んだ男性に惹かれるから、男女にも旬があると言った人がいた。全くその通りです。
美しいものが好きだ。女性は美しくあろうとする姿そのものが美しい。男性は、スマートであればあるほど美しい。少し気取っているくらいでいい。煩いものは好みではない。大勢を連れているのも美学に反する気がする。静かであってほしい。そして出来れば中性的な美しさが一番いい。言ってしまえば性を感じないものを最も好むかもしれない。
結局人形が好きって話か?と言われるとNoとも言えない気がする。人形が好きな理由の一つでもあるのかもしれない。ただ人形に性的な興奮をしたことはない。美しいものを、美しいと感じて、それに多少の自己愛を混ぜて愛でているだけだと思う。閑話休題。
相方は美しい人間に入る。間違いなく入る。成長期の半年がここまで人間を変えるかと思うぐらい美しくなった。正直ビビった。けれど性的対象として見たことは一度もないし、これからもない。確実に言える。だからこそ自分の中で不思議なのだ。
今友人としてつきあっている人間の中で、私の中の欲求を呼び起こさなかった人間はそういない。まして女性相手だと、唇に見とれたり、体に触れてみたいと思うことは少なくない。
これで実際にやっていたら犯罪者なので、行動に移したことは一度もないと記しておく。
そういった直接的な欲求ではなく、この体を粘土細工で再現できればどれほどいいだろうと思ったり、美しい髪の流れをカンバスに書き留めておきたいという創作欲や、コレクター精神みたいなものを呼び起こされることもある。
かつて男性と付き合って、一般的の類に入る恋人同士の行動は一通りやったことがある。が、そこに自分がいるというのが不満だったし、美しくなかったから、もうこりごりだ。
人を愛することはできる。だが一個人として、誰かを、自らの欲求の元に愛し求めることは、今の私には難しいと思う。
澁澤は、自分が異性愛に進んだのは偶然にすぎないといったが、私にはその偶然は訪れず、ともすると誰も愛せず一生を終えるような気がしてならない。

だいぶ手がかじかんできた。一応室内だが、明治十九年の建物の防寒性能には限界があるようだ。どこにいるんじゃお前、って感じだろう。私の滞在している市の指定文化財の建物の客室の角、古いようにも新しいようにも見えるソファに腰掛けてこれを書いている。ここまで自由にして良い文化財は初めて訪れた。ちゃんとしたカメラと、愛するドールを持って撮影にでも訪れてみたいものだ。誰もいないというのもポイントが高い。
古めかしい木造屋敷で書くものがこれというのも些か不満だが、いい機会だったのでまとめておいた。これで湯治も半分が終わり、来月の事を考えなければいけないかなという気分になっている中で、こうして自分を振り返ってみた(のだろうか)のは無駄ではなかったと思いたい。

ツイッターの方では言っているが、秋のコミティア札幌に参加する予定でうごいている。その中で、名古屋のコミティアで出す合同誌を描く事になった。いくつかラフを描き出して、モチーフも大体見えてきたので、詳細が決まり次第ツイートするだろうし、直前になればこちらでも告知はする。
私が絵描きだと知らない人もそれなりにいそうなものだし、最近まともなものを描いていなかった報いといえばそれもそうだが、良いものを描くので期待していてください、といった感じだ。
というか自分の方の本も今月中に一冊完成させると意気込んでいたのだが、なかなか気合を入れないといけないスケジュールになってきた。何せ湯治中なもので、原稿を進める手がない。でも多分大丈夫。そういう勘は当たってほしい。
前回もnoteに投稿したいものが出来上がってるだとかなんとか言った気がするが、書きたいモチーフがあって、どの本にも入らなさそうなので、土岐の話としてこっちで公開しようと思う。私的には今書かないといけないような気がするモチーフなので、出来るだけ早く仕上げたいと思う。思うって簡単だなぁ。頑張ります。

あといつも読んでくれてる方々に多大なる感謝を。スキ機能がよくわかってないのですが、全然知らない人がこんな根暗の日記を読んでくれているのを嬉しく思います。もっと創作活動頑張ります。

無理な金額は自重してね。貰ったお金は多分お昼ご飯になります。