継続と成長

最初に謝っておきます。ごめんなさい。逃げ水の後編、だいぶ遅くなります。
言い訳をすると、逃げ水という話自体が、さよならジュブナイルという執筆中の作品の一部なので、どこまで真相に迫っていいのかとかに迷っているのです。かにかに。
正直前編で終わらせればよかったかもしれない。

さて久しぶりの日記ですよ。書かなきゃやってられん、って時に書いてるのでつまり今までは平穏だったという事で。戻りてぇなとも思いますが、永遠の八月三一日みたいなものだったから、そんな超能力があるなら殺してくれという感じです。レッツ本編。

私の部屋にはギターがある。ベースがあり、電子ドラムがあり、キーボードがある。プチバンドが出来る。
だが私はそのどれも満足に演奏できない。
やけくそで弾いたりするのはまぁまぁ楽しいけれど、正しい音が聞こえた事はない。

やらないで諦めるのと、やってみて諦めるのとでは意味が違うと思う。二、三日続けてみて、何かを感じれば続く。
何かとは、大雑把に言えば可能性。もっと単純に言えば楽しさ。残念ながら先に挙げた楽器にはそれを感じなかった。
限界が見えた。
スクールに通うほどの熱量も金もないし、このまま続けても何にもならないぞと思ってしまった。あとは単純に、うるさくて家族に迷惑がかかる。だからやめた。

続けていれば何か変わっただろうかと思った事は一度だけある。高校生になって、部活を決めようとなった時の話だ。
好きな友人(彼女に対する感情はあまりに複雑すぎて、一言で表せるようなものでもないので、ここでは好きとしておく)が、軽音楽部に入ったという話を聞いた時だった。
私がギターやベースを触ったのは小学生の五年生らへんで、もしあの時諦めずに練習していればめちゃくちゃ上手くなっててバンドとか組めたんじゃないか、と思った。けれど、楽しくなかったんだから、しょうがない。
それからしばらくバンドサウンドが嫌いで、オーケストラやエレクトロニカばかり聴いていた。

唯一私が楽しいと思って演奏していたのはコルネットだった。トランペットによく似た楽器だが、意外と違う。どこが違うのか、まぁ全体的にコンパクトっていうのは見ればわかるが、吹いてみた違和感で違うなとわかる。
トランペットにいい思い出はない。あくまで、コルネットが好きだ。
小学四年生の時に、学校の金管バンドに入った。
仲のいい友達が入ると聞いていてもたってもいられなくなり、親に頼みまくった。
それで初めて吹いた楽器はトランペットだった。
こんな事を言うと吹奏楽部に怒られそうだが、息を吹き込むだけで音が出たから楽しかった。補足をしておくと、唇をブルブル震わせないときちんとした音は出ない。息を吹き込んだだけだと楽器を鳴らせていない、という評価になる。
まぁ小学生のお遊びにそこまでマジになる人もいなかったので、水を差されることもなく楽しくやっていた。
一週間ほど経った時、パート分けをされた。
どうやったか覚えていないが、仲の良かった友達はアルトホルン、私はコルネットのパートになった。
不服だった。
一年ぐらい、パートの下っ端でいい楽器も与えられず、仲良しも居ない、割と地獄みたいな目にあった。
当時は休みの日に友達と集まることが出来て、誰も居ない校舎で走り回るのが楽しかったから、演奏の事は考えていなかった。
そんなだからいつまでも一番下手くそだった。

それから一年が経ち、六年生の子たちが卒業していき、バランスを取るためパート分けをし直した。もちろん、仲良しのいるアルトホルンを志望し、アルトホルンパートになった。
さて、ここでリコーダーを思い出して欲しい。ソプラノリコーダーのソの指が、アルトリコーダーのドで、困惑した中学(もしくは高校)一年生の頃を思い出して欲しい。そんな記憶がないと言う人も是非捏造して欲しい。
つまり、そういうことだ。
運指が全然違う。おまけに楽器のサイズが違うから息も足りない。一年前からこの楽器をやっている仲良しは当然上手い。悔しい。あとパート練習の時は仲が良かろうと悪かろうと関係ない、めちゃくちゃビジネスライク。
馬鹿らしくなってしまった。
それからまた一年が経った時、私はコルネットに戻った。
一番良い楽器は二つしかなくって、六年生は三人。私なんかには回ってこなかったが、ボコボコのベルの方が気楽だった。
パートは三。リードメロディなんかまず回ってこない。
入りたての年下がどんどん増えていった。何なら年下の上手い子が上の難しいパートを担当しているなんてざらだった。
それでも良かった。
小さな金管バンドだとコルネットパートの三なんて演奏していないことの方が多い。
下の子に教えていると、うまくいかないことも乗り越えようと必死で、なんだか嬉しかった。
小学六年生最後のコンサートでソロを吹いた時、やってて良かったと思った。

中学に上がり当然吹奏楽部に入って、唇ブルブル問題にブチ当たったり、トランペットが三人いたはずが速攻で一人脱落し、もう一人も素行不良で消滅したり、とある曲でコルネットが必要で、試しにコルネットパートを吹いた時に「トランペットよりいい音出てるじゃん」と言われたりする内にトランペットが段々嫌になって、最終的に顧問と喧嘩してそのまま辞めてしまった。
当時はブラック部活なんて言葉はなかったが、休みは学校閉鎖の年末年始のみ、毎日七時半から朝練、放課後は六時までとかいう真っ黒だった。そりゃあ自律神経やられるわ、と言う感じである。
中学の吹奏楽部の愚痴を言わせると死ぬほど出てくるのでこの程度にしておくが、結局四年ぐらい管楽器をやっていて、一番楽しかったのがコルネットで、それが他人にも認められるほどだった。それだけです。

まぁそれも四年で終わってしまったのかと言ってしまえばそれまでだ。もっと長く続いている事といえば、CGだろう。
一ヶ月ぐらい描かなかったりとかはあるので多めにみて欲しいものだが、中学一年生でペンタブとノートパソコンを入手して、アナログでもまともに絵を描いたことがなかった自分が絵を描き始めて、七年ぐらいになるんだろうか。
超初期の頃の絵は消してしまった。下手だけどまぁ遠目に見ればオッケーかな、ぐらいの描き始めて一年程の作品はPixivに残っている。なんとなく消せない。多分これからも消さない。
本当に始めの頃は、耳が何処についているとか、髪の中に頭があるとか、全然わからなかった。幼稚園の頃に描いた父と母の絵が今でも茶の間に残っているが、そこから何も成長しないままペンタブを握った。
それでも描いていて楽しかったし、自分で下手だと思わなかった。後から見返してなんだこれと思って、もっといいものを描いてやろうといったエネルギーを生産していた。
ひたすら楽しかった記憶がある。
ママー見てーという気持ちでTwitterにアップして、いいね(当時はファボだった)なんかついた試しはないけれど、よっしゃ次描こう!となっていたのだから、めちゃくちゃポジティブだ。
もし誰かに「下手くそwwwwww」みたいなコメントを貰っていたら心が折れていたかもしれない。当時のTwitterは平和だった。

まぁそれから、下手だなぁとか時間かかるなとか、こんな構図を描きたいけど脳内からうまくアウトプット出来ないとか、絵描きあるあるみたいな悩みを抱えながら、今に至る。

中学時代は絵を描いている事を隠していなかったし、TwitterやPixivをやっていることもモロオープンだったのが幸いしたのか、一年ぐらい前にPixivに、「中学の頃よりずっと上手くなってんじゃん」旨のコメントがついて嬉しくなった。自分でもわかっているが、改めて他人から評価されるとまた別種の喜びがある。
当然だろ、ずっと頑張ってたんだから。
いや、語弊がある。頑張っていたとは思っていない。
楽しい事をひたすらやっていただけだ。
けれど振り返ってみて、あぁあれは努力だったのかと認められるなら、頑張ったねと言っても許される気がするし、私は頑張ったんだぞ!と胸を張って言ってもいいと思う。
頑張ろうと思って努力が出来るような器用な人間でもないから、頑張ったと自他共に認められる事は大切にしたいなと、思った。

うつ傾向に陥って、人生何も楽しくないやと思うことが増えた。
そんな時でも、ちょっとした事で感動したりして、親に報告すると大抵「お前が楽しいならそれが一番いい」と返ってきた。
返事考えるのが面倒なだけだったかもしれないが、自分が楽しんでいる事が一番いいというのは案外、間違っていないのかもしれない。

無理な金額は自重してね。貰ったお金は多分お昼ご飯になります。