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言い訳

写真は特に関係ない。最近ヘリオス44-2をやっと手に入れて、嬉しくて撮った中の一枚だ。

さて言い訳。言い訳をしなければならないことがある。
6月に出したえにしのむすびめ、あれはあれで完成している。Forgrt me (not)の物語としては正しい終わり方をした。
ただ。
ただ、海月の物語を終わらせたい気持ちがどこかにあった。

人生の終わりは見えない。生まれることは自分以外の意思によって決められて、死ぬことは頑張れば選べる。どうあがいても生まれないことを自分で選べないのだ。生まれたくなかったと、いくら嘆いても嘆く以上変わらない。

えにしのむすびめは、海月が彼女を救うことを選んだ世界線だと思ってほしい。そしてこれから上げるものは、彼女が彼女自身を救うために海月が必要だった世界線。海月でなければいけなかった理由とか、正直ない。そういう運命だったとしか言いようがない。

救いが欲しかった。いつでも。いまでも。
ここ何年か少ない親戚が死にまくったり自分にもいろいろあって、死ぬことについてずっと考えていた。そこら辺の集大成かもしれない。たぶん自分はこれから、死について考えられなくなっていく。救われたいけれど、いや最終的な救いは死にあるって信じてはいるけど、それでも死ぬこと以外を考えて生きていくことになるだろうから。

海月の物語は次に出すものが本当の本当に最後です。
彼が生まれた時から今日までの私に区切りをつけるためでもあるから。


短くなりすぎたので、最後にめちゃくちゃ死にたかった時のくそも面白くないボツ記事を供養しておきます。こういう日がなくなりますように。

タイトルも思いつかない。書くことも思いつかない。けれど今の自分には書くしかない。

考えていた事を書けばいいんだろうけど、何も考えていない。考えるだけ不幸になる気がしたから。今までずっとそうだった。考えたところで幸福にたどり着いたことなんてなかった。

何かを表現するときはずっと文章だった。今も少しは絵を描けるようになったりしたけれど、あれは表現というより遊びだろう。写真もそうだ。

よし、思いついた。

精神的にぶっ壊れる前から泣き虫だったのが、ぶっ壊れてから悪化した。泣くことになんの感情もなくなってきたけれど、最近本当に悲しくて泣いた話でも書こうと思う。

スマホの液晶が割れた。

えっそれだけ?って感じだろうけど、本当にそれだけだ。そんな取るに足らないことがすごく悲しくて泣いた。
目立たない場所ではあるけど、あぁもう本当に終わりなんだなと感じた。最近電波を拾わないことが増えたりとか、某アイドルが歌って踊るゲームの3Dモデルが動かなくなったりノーツ止まったりとかもあったけど、まだイケるなと思って騙し騙し使っていた。けれど画面が割れた。買い換えろってお告げみたいだ。
つまりはもう少し庇護されて生きたかったっていういつもの恨みが出てきただけだ。
割れた画面を見るたびに、これを自分でなんとかするしかないっていう無力感を抱かないといけないのがつらい。私はいつまでも弱者だ。
もしも健康になれるなら全てを捨ててもいいと思う。絵を描けなくても文章を書けなくても写真ができなくなってももうなんでも良いから健康になりたい。

以上、泣き言のコーナーでした。

夏ですね!
連日猛暑が続いていますが、こっちは今週ぐらいから涼しくて暮らしやすいです。というか雨ばっかり。嫌いじゃないけどさ。
世の中全てのものは始まりがあれば終わりがあるので、この涼しさも長くは続かないだろうし、そうこう言っているうちに夏も終わるでしょう。
秋には兄さんの命日があるし、それを過ぎれば私の誕生日です。酔っ払って私の母と私を勘違いして電話してきたこともある人だったので、兄さんと酒が飲めないのは悲しいです。多分私もそんなに飲めないんだろうけど。
日々に希望はありませんが、それなりにやっていきましょう。私は頑張ったり頑張れなかったりしますが、これを読んでいるあなたは頑張ってください。頑張れば必ず報われるので。

それでは。

無理な金額は自重してね。貰ったお金は多分お昼ご飯になります。