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人形写真

Amazonで買ったペンタブが届かなくて気が狂いそうなので気晴らしに文を書くことにしました。注文してから10日経つよ・・・。

人形の話をしよう。Dollの話だ。

人形そのものが好きなわけではないと、最近になって気が付いた。私が好きなのは、彼らが生きている世界であると。噛み砕いて言えば写真だ。
最近は全く触っていないが、曲がりなりにも写真をやっていた人間なので、写真の技法なども見る。だが一番見るのは人形が生きているかどうか、その一点に限る。

うまい写真はもちろんピントが合っていて、無意味な白飛び、黒潰れが無いことが条件だ。これは私が勝手に言っているのではなく、写真展に出す写真の条件なのだから間違いない。ぼかすことで表現する写真家もいるが、初心者がそう言い訳するのは格好が悪い。
だが、ピントが甘くても好きな人形の写真はある。撮影者がその人形と生きていることが伝わってくるスマホ撮影の写真などがわかりやすい例だろうか。

では素材、芸術品としての人形はどうだと言われると、それはそれで好き。これは間違いない。
だが人形そのものを通して何かに至る事は今まで無かったし、このままだとこれからも無いだろう。

人形は永遠に死んでいると言ったのは誰だったか、そもそも文言は合っているか。そんな雰囲気のことを友人は言っていたけれど、私にとってはそうでなかった。(気づくのがものすごく遅れた、申し訳ない)
友人の捉え方も正しい。納得できるが、私にとってそうではなかったのだ。

私にとっての人形はずばり自分だ。

自分がなり得なかった自分。そして自分を誰よりわかってくれる他人として人形は存在する。私は彼女の幸せを誰より願い、彼女が見せてくれる生きた景色にカメラを向ける。その中で、彼女は確かに生きている。永遠に。

表情のある人形があまり好きではなかった。可愛いことには可愛いが、人形は私の感情をトレースするものだと思っているので、できるだけ無表情の方が好みだ。嬉しい気持ちのときは笑顔に見えて、悲しいときは悲しそうに見える顔。
だからsmartdollはみらいちゃんよりトリニティの方が好みだ。もちろん、みらいちゃんも最高に可愛いし、彼女を写した写真はどれも明るく、生き生きとした世界に見える。

人形が居れば、他に何も要らない気さえする。以前コスプレなどもした事があるが、自分がキャラクターを通して表現したいものを完璧に写せるカメラマンは私以外存在しない。他人にキャラクターをやらせるのは、都合を合わせるのもポーズを取らせるのも、そもそも納得いくウィッグや衣装を用意させるのも煩わしく、片手で数える程度でやめてしまった。
表現の相棒として、人形は最高の相棒になってくれる。

だいぶ調子が悪くて、無断欠勤などもした。ものすごく迷惑をかけたし、もう死ぬしかないかなぁとも思ったけど、出勤すると優しい言葉をかけたりしてもらって、なんとか生きている。次の休みでちゃんと病院にも行くし、ちゃんと会社に行く。で、来年こそ狙っている人形をお迎えする。
決意だから、すぐ揺らぐかもしれない。けど、頑張りたいという気持ちだけは確かにある。頑張りたい。

ペンタブが届き次第、ドールの合同誌に取りかかる(だから今回このモチーフで日記を書いた)。彼女たちが見せる眩しい世界を絵で表現できず、だいぶ苦戦しているが、心機一転、描かせていただきます。頑張ろう。

#エッセイ #人形 #デリバリープロパイダが荷物を届けてくれない

無理な金額は自重してね。貰ったお金は多分お昼ご飯になります。