読む

日記のタイトルを付け直しました。毎回、今が何回目だったか確認しに行くのが面倒になりました…。


最近、本が読めない。文字は読めるし、時間も作ろうと思えば作れる。そうではなくて、ただ単純に、読むことが出来ない。詩ですらも。
多分、理解しなくてはいけないと心のどこかで思っているせいだ、と思う。そのためには、書いてあることの背景を読み取らなければいけない。時代背景、書いた人の生涯と、どういう経緯でこれを書くに至ったかなど。そういった意図をすべて知ってからでないと、読めないような気がするのだ。

諦めというか、しょうがないなと思う部分もある。そこまで知らないといけない理由もないし、そうしてまで読み解くことに楽しみを見出していないのなら、しなければ良いと思う。けれど悲しいのだ。わからないこと、わかれないことがどうしてもつらくて、読めない。

わかる、わからないをテーマにした話(清明潔白恋労のことです…)を書いておいてあれだなぁとは思いますが、わからないことをわかること、それ自身を受け入れることがどうしてもつらい。対人なら、この人をわかってしまってはいけないな、わかったからといって救えたりなんかしないなと諦めることが出来るのに、どうして本だとそううまくいかないのか、それがどうしてもわからない。

反面、つらいほどわかってしまう時もある。痛み、苦しみ、そして解決策。策はあれど、どうにもならない心のことまでも。幸せに生きてほしいとぼんやり願っている自分と、きっとどうにもならない、立ち入ってはいけないと警鐘を鳴らす私。下手に口を出してはいけないこと、その責任を負えるほど出来た人間じゃないこと。
どうにも幸せになれない誰かの幸せを願う事がこんなに辛いとは知らなかった。閑話休題。

どうしてそれを書くに至ったか、というのはあらゆる作品で重要だと思う。私も一応、主義だったり想いがあって作品に挑むけれど、果たしてそれを読者が読み取る必要はあるのだろうか。読者である限り、作品の蜜だけ吸って悦に浸るべきなのか、正しく理解することが正しいのか。そもそもそれを考えていること自体が間違いなのではないか。

時間か、それを乗り越えるだけのいい作品に出会えることに賭けるしかないのかもしれない。きっと自力じゃどうにもならないから。


漫画を描いている。今度こそ完成させようと思います。愛と救いの話です。
というより北海道コミティアに申し込んだので後に引けない状態です。作業配信とか、多分するので暇な人はちょっかいかけてくれると嬉しいです。

あとツイッターのアカウントも新しく作りました。作品の更新などはこのアカウントでやっていきます。こちらも併せてよろしくお願いします。

最近は前よりずっと元気です。それでは。

無理な金額は自重してね。貰ったお金は多分お昼ご飯になります。