玉坂汐音という存在#4
ここまでは中学生の話。まだ良かった。自分で言うのもなんだけれど、中学生のころの私はとても活動的で、クラスでも中心と端っこを繋ぎ渡す理想的な位置におり、外円にはなぜか私のファンだという同級生すら存在していた。少なくとも主観として、玉坂汐音、君と私には結果的にそう隔たりがなかった。
私は中学校を卒業し、すぐ隣の校舎へ進学した。そして、ずっと憧れていた部活へ入った。本当に、ずっとずっと憧れていたのだ。飛び込んでみようと思った。幸いながら大学一般受験の必要もなかったために、高校の3年間を全て費やそうと決断できた。それくらいの憧れと意欲があった。
3年間、部活をやめようとは一度も思わなかった。それどころか夢中なあまり、試験前の部活停止期間だって練習をしたくてしたくてたまらなくなった。朝練も昼練もあったので、シャツやリボン、ネクタイは登下校時のみで、校内では常に部活着のTシャツを着ていた。(下ジャージで授業を受けると叱られるので、それだけはスカートにはき替えていた。私の高校ではよく見る光景だ)本番前でなくとも週6で、練習がないのは水曜の放課後と日曜だけ。部活に全てを捧げていたので、3年秋の文化祭で引退した瞬間に抜け殻のようにもなった。文化祭の代休ですぐインフルエンザになり寝込んだことも、卒業までの半年間で意味のない遅刻や保健室休憩を繰り返したことも、今となっては笑ってしまうほどに分かりやすい。
人はがむしゃらに頑張った時、初めて自分の決定的な欠点を知るものだ。部活に心血を注いだ3年間、正確には2年半、「楽しかったか」という問いに私は明確な答えを見つけられていない。
楽しかった。つらかった。あの場所で頑張れてよかった。あの部活に入ってよかった。入らなければもっと楽な人格になっていたかもしれない。別の好きなものをもっと伸ばして、そっち方面の自信を付けられていたかもしれない。もっと私が頑張れていたら、手を伸ばせていたら、もっともっと楽しかったし、今でももっと楽しかった。全て正解。
あの時、私は絶望的なほどにコミュニケーション恐怖症となっていた。誰のせいでもなく、私自身のせいだった。卒業から10年経った今頃になってようやく自分の気持ちが少しずつ紐解かれてきたくらい、当時の私はぎちぎちに鬱屈とした思いをそのまま押し込めていた。押し込めていたことにすら10年気付いていなかったほどだ。そんな高校生だった。
ごめんね、話が逸れてしまった。汐音、私は君を再び呼んだんだ。
そして君は現れた。中学生時は長かった髪を私と同じようにボブパーマにして、今度は17人の部活の同級生と一緒に。
汐音、君は"私"だ。でも、高校生の君はもう、とてもではないが"私"ではなかった。