痴漢被害、痴漢冤罪をなくそう!(前編)
痴漢や盗撮を撲滅しようという私人逮捕系ユーチューバーや、チケットの転売などの犯罪撲滅を掲げるパトロール系ユーチューバーの動画がインターネット上にアップされ、社会問題になっている。
いわれのない罪で犯人扱いされたり、モザイクなしで投稿されるケースもある。スマートフォンのカメラを向けて、疑惑の人物を追い掛ける私人逮捕系の魔女狩り的な動画は、痴漢冤罪など、無実の罪を作りかねない。画像がネット上から消えず、不利益を被ることもある。
私人逮捕系ユーチューバーが名誉棄損容疑などで次々と逮捕されており、行き過ぎた動画が減少するとの見方もあるが、私人逮捕系撮影者に追われたら顔を隠し、その場から立ち去るか、撮影されたなら、カメラを確保して警察を呼ぶことが身を守ることにつながる。
では実際、痴漢行為は増えているのだろうか。コロナで外出する機会が減った2020年以降、在宅勤務、リモートワークに切り替わったが、コロナ沈静化と共に復活し、活発になったのが通勤地獄、外出、旅行、それに痴漢である。
被害に遭った人は心に大きな傷が残り、電車に乗れないといった事態も起きている。痴漢被害の42.1%が電車の中で起きており、駅構内やバスなどの乗り物も含めると、痴漢現場の53.7%が乗り物関連だ(警察庁調査、2022年)。
これは検挙件数の内訳なので、実際の被害は混雑している満員電車の中が圧倒的に多いと思われる。2022年の検挙件数は前年比16%の増加となったが、外出自粛要請がなくなり、猛暑が続き、薄着で外出する期間が長かったため、今年の痴漢行為はさらに増えている。
痴漢や盗撮をネット上にアップする私人逮捕系ユーチューバーの活動にリンクして、話題になっている動画がある。
『痴漢冤罪』というタイトルの90秒ほどのショートフィルムで、2カ月弱で視聴回数が690万回を超えるほどの反響を呼んでいる。
電車で居眠りをして、もたれかかってきた女性の頭に触れて身体を起こした男性が「痴漢ですよ」と騒がれ、乗客に取り押さえられるという映像だ。
これは「こねこフィルム」という制作団体が、エンターテインメントとして撮影したもの。今年9月15日にTikTokに公開したものが、9月28日にX(旧・Twitter)上に無断で転載されて拡散した。
映画やドラマなど、さまざまな現場で映像経験を積んだクリエイターたちが、今年6月に立ち上げた制作集団の「こねこフィルム」は、『痴漢冤罪』の制作意図を次のように説明している。
「善意の表し方により悪意と取られることがあることや、集団心理の怖さを表現し、また物事の一部分を切り取った端的な情報への警鐘を表現したくて制作しました。視聴いただいた一部の方に不快な思いを与えてしまったことは事実としてしっかりと受け止めて、今後の制作活動の糧とし、今後も制作活動に尽力していきます」
痴漢や痴漢冤罪に対し、擁護や警鐘を鳴らすために制作したものではないという。エンタメ動画が、言論の世界であるSNSに無断で転載されたため、議論が巻き起こり、一部から批判の声が上がるなど、炎上状態になっている。
誰にでも起こりうるシーンを、プロの演技者や演出家がドラマチックな映像に仕上げて、関心を集めたのだが、世の中の多くの人が「痴漢被害」と「痴漢冤罪」に恐怖と関心を持っていることが根底にあるようだ。
痴漢被害と痴漢冤罪が大きなニュースになったのは2017年。痴漢と疑われて、駅のホームから線路に飛び降り逃走する問題がマスコミを賑わし、電車にひかれたり、改札から逃走して付近のビルから転落する死亡事故も起きていた。
厚手のコートなどを着ている季節には痴漢は少ないが、春になると問題が起きてくる。2017年の上半期に痴漢と疑われて、線路や駅構内を逃走したケースは13件に上る。
痴漢が多いと言われるJR埼京線の池袋駅で、2017年3月14日に起きた逃走劇が世の中の話題になった。
女性を突き飛ばし、線路に降りて逃げた男性を撮影した動画がTwitter(現・X)に投稿され、マスコミがその動画をニュースで取り上げた。これが、痴漢や、痴漢と疑われた人物が線路に飛び降りて逃亡する事件を誘発したと思われる。
駅のホームは人が多くて逃げにくく、周囲にいる乗客や駅員に取り押さえられる可能性が高いが、線路は電車が入線していなければ、誰にも邪魔されず逃げやすい。
だが、電車にはねられる危険性があり、法的にも問題がある。正当な理由がなく線路内に立ち入ることは鉄道営業法違反になり、逃げる際に被害者や他の乗客に接触して怪我をさせると、傷害罪や暴行罪になる可能性がある。
線路内に立ち入って電車を止めてしまった場合は威力業務妨害罪などに問われ、巨額な損害賠償請求をされるリスクもある。
起訴された刑事事件の有罪率は99%以上
2007年に公開された周防正行監督の映画『それでもボクはやってない』で、痴漢冤罪の恐怖が広く知られるようになった。
痴漢と間違われても、自分はやっていないのだからと、身の潔白を証明しようと駅事務室に行くと、そのまま警察に引き渡されて逮捕される。最長23日間、拘束されるといった情報がインターネット上に流れたことも、線路への逃走を後押しした面がある。痴漢を疑われ、逮捕されると、仕事や社会的信用を失い、家族が離散することもある。
逮捕されて容疑を否認していると、警察での身柄拘束、送検まで最大2日間、自由を奪われる。検察官が勾留請求するか、釈放するか、起訴するかを決めるまでが最大1日、検察官が裁判官に勾留請求をして認められれば最大10日間、さらに勾留延長が認められると10日間、最大23日間も身柄が拘束されてしまうのだ。
起訴されれば有罪率は99%以上といった情報を、痴漢冤罪を経験した当事者がテレビなどで語り、さらに著名な弁護士がバラエティー番組や報道番組で「痴漢に間違えられたら、その場を立ち去れ」「逃げることが最善の手段」といったアドバイスを“布教”してきた。
「痴漢をされました」「この人、痴漢です」と言われ、駅事務室に連れて行かれると、現行犯逮捕と見なされてしまうことがある。警察官など司法警察職員に限らず、一般人でも逮捕でき、私人逮捕、常人逮捕と呼ばれている。
私人逮捕には条件があり、犯人が現行犯人、準現行犯人(犯行から間がないと明らかに認められる場合)であること。軽度の犯罪の場合、犯人の住所、氏名が明らかでなく、犯人が逃走するおそれがあること。
30万円以下の罰金、拘留、科料に当たる罪(過失傷害罪、侮辱罪、軽犯罪法違反、道路交通法違反)で、犯人の住所、氏名が明らかでなく、犯人が逃走するおそれがある場合は、逮捕状がなくても現行犯人を逮捕できるためだ。私人逮捕を行った場合は、直ちに検察官、または司法警察職員に引き渡さなければならない。
「痴漢は犯罪です」。このようなポスターが駅などに貼られているが、犯罪だと認識されるようになったのは、被害者が辛い経験をし、被害者をサポートする運動があったからだ。
痴漢は、なんと100年以上も前から、電車に出没していた。その時の加害者は学生が中心だった。1912(明治45)年1月31日、当時の東京府の中央線の中野駅と御茶ノ水駅の間で、朝夕の通勤・通学時に「婦人専用電車」が登場している。
男性と女性が一緒の車両に乗るのは好ましくないという当時の国民世論を反映したようだが、これが初の女性専用車とされる。
導入される3日前の1月28日の「東京朝日新聞」には、次のような記事が掲載されている。
「最近、不良学生が山手線の沿道から市内の各女学校に通う女学生と同じ時間帯に電車に乗って、混雑に紛れて付文(ラブレター)を渡したり、誘惑したり、女生徒の体に触れたり、美しい姿を見るのを楽しみにする風潮がある。彼らは女学生満載の電車を花電車と呼んでいる」
1900(明治33)年に、東京女子高等師範学校(現・お茶の水女子大学)、津田梅子が創立した女子英学塾(現・津田塾大学)、東京女医学校(現・東京女子医科大学)が設立された。
これは、1899(明治32)年に高等女学校令が公布された影響で、1901年の日本女子大学校(現・日本女子大学)の開校など、高等女学校が次々と誕生していた。
こうして女学生が増え、10年ほど経って、女性の身体に触れる問題学生が多い鉄道区間で、女性専用車が走るようになる。私鉄でも女性専用車を走らせたが、女性専用車は定着せず、短期間で廃止になった。
痴漢はどのように出現し、増えたのか
「『痴漢』の文化史」という論文を書いた岩井茂樹氏(大阪大学 日本語日本文化教育センター教授)によると、中国で「おろかな男」という意味で使っていた「痴漢」が江戸時代に日本で広く使われるようになり、明治時代に小説や新聞でも「しれもの」とルビが振られ、「おろかな男」「ばかもの」という意味で使用されていた。
それが、1890年代後半(明治20年代後半)から、見ず知らずの男による性犯罪という意味で使われるようになる。さらに1930年代頃(昭和初期)までに、「痴漢」は「女性にみだらな行為をする男」という意味を徐々に強めていく。当時は「のぞき」から「強姦」さらには「強姦殺人」を犯した者まで「痴漢」と表現された。
1960年代(昭和30年代後半)には、文学作品で「痴漢」が取り上げられ、その存在がクローズアップされた。大江健三郎が1963年に文芸誌「新潮」で発表した『性的人間』では、孤独や絶望を象徴する存在として痴漢を捉えている。
吉行淳之介、泉大八、野坂昭如などが続き、なかでも泉大八は「痴漢モノ」をスポーツ新聞各紙に連載して人気を集めた。
この頃には強姦や強姦殺人という捉え方はなくなり、電車や公共の場で身体を触ることを痴漢と呼ぶようになるが、痴漢が重い犯罪だという認識が少なく、十分な対策もされていなかった。
こうした風潮を変えるきっかけになったのが、1988年11月に起きた大阪市営地下鉄御堂筋線事件だった。
電車内で痴漢をしている男性二人組を見つけた女性Aさんが、被害女性を助け、スカートのジッパーを上げて逃がしてあげた。Aさんが、男性2人の顔を見たところ、半月前に自分に対し痴漢をした男だと分かり、「前にも会ったでしょう」と注意した。
男性たちは逆恨みをし、凶暴な事件を起こす。「コンクリート詰めにして南港(大阪湾南部にある港)にほうりこんだろか」「少年院上がりだ」などと脅し、マンションの建設現場に連れて行きバンドで殴り、ノコギリで脅しながら強姦したのだ。
痴漢行為にストップをかけ、女性を助けただけなのに、暗い建設現場でレイプされたAさんは、警察での事情聴取で恐怖体験と周囲の様子を次のように話した。
「痴漢されている女性を見過ごすことができず、周囲の加勢もあると思い、思い切って注意したら、逆に居直られた。周りの人は怖がってジロジロ見るだけ。声を出して、もし誰も来てくれなかったら、今度は何をされるか分からないと思った」
検察は男性2人に懲役4年を求刑したが、裁判所は「前途ある青年である」「同情すべき成育歴がある」など、情状酌量の余地があるとし、懲役3年6カ月の判決を下した。
この判決に、加害者にばかり配慮し、被害者女性の心身の傷をあまりにも軽く見ていると、性犯罪に対して甘い世間の風潮、裁判所の判決に疑問や不満の声が上がった。
痴漢犯罪者に注意した女性がその報復として強姦される事態を許したら、性暴力に「NO」と、声を上げられなくなる。こうした危機感を持った女性たちが集まり、1989年に大阪で「性暴力を許さない女の会」が発足した。
あまりに短い刑期の判決だと、性暴力を許さない女の会は「女性への性暴力に対する厳しい法の制裁」を求めて抗議集会を行った。
さらに同会は、性暴力をなくすよう大阪市交通局に対し、「車内広告やアナウンスなどで積極的なPR活動をする、駅員を増員し女性の性暴力被害を防ぐ、被害があった場合は迅速な対応を行なう」などの要望書を提出し、関西の私鉄各社にも同様の要望書を送付した。
大阪市交通局の回答は、迷惑行為や犯罪行為の防止を乗客に呼び掛け、巡視や見回りを強化すると共に、気を付けて自衛手段を取るよう女性に協力を求めるという内容だった。
私鉄各社からも、性を前面に出したくないなどの考えから、「痴漢は犯罪」、「痴漢を止めましょう」といった加害者側へのアピールはしないと、消極的な対応だった。痴漢行為に対する認識が甘く、「痴漢もお客様」と考えていたのかもしれない。
事件があった翌1989年に、大阪府警と関西鉄道協会は「痴漢行為にあったら、勇気を出して大きな声を出しましょう」という趣旨のポスターを作成したが、「痴漢は犯罪だ」「痴漢をやめろ」と呼びかけておらず、痴漢や性暴力に対する認識の甘さを露呈するものであった。
鉄道会社も警察も社会も、痴漢を小さな暴力、迷惑な行為ぐらいにしか受け止めていなかった。痴漢した側には「優しく触っているのだから暴力に当たらない」「触れられた女性も喜んでいる」といった認識があった。
地下鉄御堂筋線事件が起きた5年後の1993 年、「性暴力を許さない女の会」は「セクシャルハラスメントと斗う労働組合ぱあぷる」と共に「STOP痴漢アンケート」を実施している。
2260人の女性から回答を得て、7割の女性が被害に遭い、電車内の痴漢被害は日常的に起きていて、被害者の年齢も10代から70代と幅広く、空いている電車でも痴漢が横行している実態が明らかになった。
「痴漢をされても女性は嫌がらない」「喜んでいる女性もいる」という「都市伝説」ともいえる情報が一部の男性の間で流布していたが、2260人の女性で、痴漢されて喜ぶと答えた人はゼロ。「自分勝手な、ご都合主義的な認識」にNOを突き付けた。
痴漢に気が付いた女性が何らかの行動に出たとき、加害者がどのような行動をしたかという質問に、「逃げた」が37%、「しらを切った」が32%、「痴漢行為を継続した」が20%、「開き直った」が8%であった。痴漢を続けたり、開き直る悪質な痴漢が28%にも達している。「謝った」は、わずか3%に過ぎない。
アンケート結果を公表し、鉄道会社や警察に痴漢撲滅を求める運動を続けたが、「痴漢は犯罪です」というポスターが駅構内に貼られるようになったのは、事件が起きてから7年後、1995年のことだ。
「チカンアカン」など、加害者へのメッセージを入れたポスターや車内放送も実現するようになり、明治時代に一度登場して廃止となった女性専用車両の導入も、2000年以降、首都圏や関西圏で増えていく。(後編に続く)