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こんな時間に「Mystery of Love」を聴きながら泣いているの、私だけなんじゃないだろうか。

これを読んでいる人で「Mystery of Love」を知っている人はどれほどいるのだろう。
「Mystery of Love」は『Call Me By Your Name』の挿入歌だ。音楽に詳しくないのでなんの楽器かはわからないのだが、後ろでぽろぽろと鳴る音が雨のようで心地良いので気になった人はぜひ聞いてほしい。

今は深夜の一時過ぎだ。そして私はなんだかわからないけれどとにかく泣いている。正確には泣いていた。

17歳っていいなぁという漠然とした若さへのあこがれがずっとある気がする。私が17歳の時のことは今となってはほとんど思い出せなくて、毎日毎日部活と楽器のことしか考えてなかったんだろうなあと思い返す。
大学に入ってからの方がずっと将来に対する漠然とした不安が付きまとっていて、芥川龍之介はいつもこんな心地なのかと想像する。

ここ一か月半ほどずっとその不安から離れていた。でも離れていてはいけないんだろうな、と思う。
学びの多い時間であったと同時に、自分が空っぽなことをとにかく思い知った時間でもあった。もちろん生きてきた時間も経験の差もあることは承知の上で、自分の未熟さを突き付けられた時間だった。それが一番悔しい。彼らの意思とスピードにとにかくついていくので必死で、最初はそんなもんなのかもしれないけどただ悔しかった。
「私ってなにがやりたいの?」とたぶん一番問われ続けた時間だった。楽しくて全力疾走で、でも悔しかった。
もっと私は自分の意思を持たないといけないんじゃないか、と今になって思い返しては泣きたくなる。

私は私自身がいかになんにもないのかをよく知っている(と思っている)から昔からとにかく走り続けていないと不安になる。結果としてタスクを限界ぎりぎりまで引き受けたり作り出したりしている。
今の私は全力疾走することがない。たぶん助走の段階。もしくはストレッチとか準備体操とか。
でも準備体操はちゃんとやらないとずっと走り続けられない。
そこまではわかるのに、自分の走りたい気持ちだけがずっと先走っている気がする。
自分の「なんにもなさ」をなんとか埋めようと延々と同じところをぐるぐるしている気がする。

私は自分で道を切り開くのがずっと怖いのだ。たぶん。

だってやりたいことがなにか、なんてわからない。
やりたいことは山ほどあるような気もするし、全然ないような気もする。

ここまでの人生が長いとは決して思わないんだけど、ごくたまに、こうやって自分が分裂してしまってもう真っ二つになっちゃうんじゃないか、って思う夜が来る。

夏が来るとどうしても『Call Me By Your Name』を思い出してしまうんだけど、たまたま今日見た空が少しあの映画に似ていた気がして聴きだしたら、いっぱいいっぱいになってしまった。

行き先を見失って迷子になって泣いてるのなんて私だけなのだろうか。

まあ泣いていても仕方ないのは真実で、とにかく走ってこけてまた走っていくしかない。だってあと60年も生きるのにまっすぐ歩けるわけなんてないんだから。


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