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ハイツ友の会と町の銭湯のこと

2024年4月1日。

朝起きたら、大好きなお笑いコンビ「ハイツ友の会」が解散していた。

エイプリルフールのアレかと思ったが、あんなに面白い人たちがクソ企業公式アカウントみたいな真似をするはずがない。本当に解散してしまった。悲しい。

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メンバーである西野さんのコメントを読む限り、解散の理由は色々あるようだが、以下の一節は私の心を特にザワザワさせた。

今の漫才やコントの形を変えると自分たちのやりたいネタではなくなります。ですが今の形のままだと優勝できません。優勝できない状況でやり続けるより、今辞めてしまおうと思いました。

https://www.oricon.co.jp/news/2320814/full/

「今の形のままだと優勝できません」と断言している。そして「今の漫才やコントの形を変えると自分たちのやりたいネタではなくなります」ともいっている。なんと悲しくて清い。

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(以下、ど素人による皆目見当違いのお笑い語り)

確かに、彼女らのネタは賞レースで優勝できるタイプのものではない。テンポとか爆発力といった要素は、恐らく意図的に捨てている。

漫才に関していえば、いけ好かない or よくわからない事物に対してボソボソと毒づくのが基本的なスタイルだ。コントも概ね同様である(コンビニ強盗のネタ大好き)。それが「自分たちのやりたいネタ」なのだろう。

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賞レースを獲ることがお笑いの全てではない。

レギュラー番組を持つとか、CMに出るとか、とりあえず食えればよいとか、設定されうる目標は色々ある。

彼女らなら、賞レース優勝ほどではないにせよ、それなりに困難な目標を達成できただろう。いや、すでにいくらかはしていた。

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「優勝できるかどうかなんて、続けてみないとわからないじゃないか!」
ともいいたくなるが、こちとら素人の他人である。それよりも、プロの当人が正しいに決まっている。

変えたくないスタイルと変えたくない日標。
相容れず生じるパラドックス。
じゃあ辞めよう。

悲しくて、カッコいい。

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私の地元にはあまりないけれど、いわゆる町の銭湯がリノベーションし、カフェを併設したり、サウナに特化した施設になったり、そんなケースが少なくないらしい。100%ではないにせよ、生存戦略という側面はあろう。もちろん否定はしない。

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他方、後継者不足や光熱費の高騰といった理由により、そのままの姿で閉業する銭湯も少なくない。

昨日、つまり2024年3月31日、我が札幌の中心にある湯が、幕を下ろした。

消えていく銭湯が自分たちのスタイルにこだわったのかというと、そういう例は恐らく少ない。カフェやサウナなど他に採用しうるスタイルがあるなんていう発想すらなく、消えていっている。

そして、銭湯に賞レースはない。だから、そんな銭湯と好きだったお笑いコンビの解散を並列で語ることはできないし、しない。

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だけれども、やっぱりどっちとも悲しくてカッコいい。

それも悪くはないけれど、最期の最期はただカッコよく、笑えればよいなと思う。

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