「今夜はブギー・バック」と閉業する七福湯のこと
「今夜はブギー・バック」のリリースから30年ということで、界隈がにわかに賑わっている。
30年前、つまり1994年3月の発売だ。
確かに、中学校入学を控えた僕らを支えてたのは、やはりこの曲だった(あとミスチルの『CROSS ROAD』)。
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このたび公開されたインタビューにはこうある。
いわれてみれば、インチキ成金プレイボーイみたいな薄っぺらいフレーズが散らばった歌詞だ。そこに高尚なメッセージ性はない。もちろんそれでよい。
ただ、そんな中に紛れる「とにかくパーティーを続けよう」というBoseのラップ(smooth rap ver.)だけには、薄っぺらいなどと流せない、ちょっとした重みがある。
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パーティーとは何か。
「友達のDJがやっているパーティーへ遊びに行く」
「支特政党の政治資金調達バーティーに出席した」
「西田ひかるの誕生パーティーが今年も開催された」
「ぱーてぃーちゃんは意外とネタが強い」
上記の各パーティーはそれぞれほぼ別の物といってよい。
パーティーとは、一体。
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パーティーとは何か。その答えは七福湯にある。
七福湯のフロント前、休憩処における常連の酒盛り。あれはパーティーだ。本物のパーティーだ。
DJも議員も西田ひかるも、すがちゃん最高No.1もいない。踊るとか資金を集めるとか祝うとか、目的もない。
故に、あれは本物のパーティーである。
そんな七福湯が閉業する。
数回しか足を運んだことのない私に、惜別の言葉を述べる資格はない。
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銭湯とは何か。その答えはひとり一人の心にある。
私にとっては「デカい湯船で熱い湯に浸かれる場」だが、他の誰かにとってはコミュニケーションの場だったり、保清・健康増進の場だったり、パーティーの場だったりする。
七福湯における目的のないパーティーは、目的がないゆえ、存在自体に意味がある。
七福湯のパーティーこそ、今育のリアリティーだ。
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久しぶりに七福湯へ。閉業するからと足を運ぶのはあまり上品でないが、さよならをいわない理由もない。
ブーツでドアをドカーッと蹴ったりはせずに淡々とお金を支払い、on and on to da break downてな具合に湯へ浸かり、サウナに入った。
しみた。シビレた泣けた惚れた。メモったしコピった。
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七福湯がなくなる。
トリッキーな配置のテレビ。ロッカーの上に置かれた空の水槽。フロントに飾られた上手いんだか下手なんだかわからない裸婦画。
ここでしか見れない景色。
ここでしか吸えない空気。
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さっぱりと汗を流し、脱衣場を後にしたのは16時過ぎ。まだ明るい。
休憩処のテーブルには酎ハイが並んでいた。あと10日ほどで閉業するというのに、感傷的なムードはこれっぽっちもない。
「とにかくパーティーを続けよう」
額縁の中から裸婦が叫んでいた。