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あのときソニーの戦略が任天堂を救っていた ~Nintendo DS の誕生~
次世代ゲーム機が発売されると、各社の戦略を評論する記事を見かけるようになります。
Switch2(仮) が、発売後にどのような評価を受けるかも気になるところですが、任天堂の戦略がもっとも話題になったのは、2000 年代(Nintendo DS ~ Wii)の頃だったと思います。
しかし、当時の情報をよくよく振り返ってみると、そこには計画的な戦略よりも、意外にも任天堂の ”行き当たりばったり” 感を見て取ることができます。
今回も、公開されている情報から推測可能な範囲で整理していきます。
《当時のゲーム機市場と時系列》
当時、ゲーム機市場をリードしていたのは間違いなくソニーでした。
【ソニーゲーム機 売上台数】
◎PlayStation:約 1 億台
◎PlayStation 2:約 1 億 5000 万台
【任天堂ゲーム機 売上台数】
◎Nintendo64:約 3000 万台
◎GameCube:約 2000 万台
しかし、任天堂はこの後、Nintendo DS と Wii を発売し、市場を奪い返します。
以下が、その時系列です。
【Nintendo DS】
◎2003.08:次世代携帯ゲーム機の開発を公表
◎2004.05:Nintendo DS 本体を初披露
◎2004.09:発売日と価格を発表
◎2004.12:発売
【Wii】
◎2003.05:次世代据置ゲーム機の開発を公表
◎2004.05:開発コードネーム「Revolution」を公表
◎2005.05:Wii 本体を初披露
◎2006.12:発売
この年表を見て、「あれ?」と違和感を覚えた人は多いのではないでしょうか。
「Nintendo DS のプロモーション期間って短くないか・・・?」
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《不可解な工程を辿っている Nintendo DS》
ゲームアナリストや経済評論家と言われる人たちは、こういった不可解な点をあまり語りませんが、開発の視点を踏まえると Nintendo DS には他にも不可解な点が多くあります。
◎無骨な初代のデザイン、わずか 1 年でのモデルチェンジ
初代の Nintendo DS は、携帯するには不便な形状の無骨なデザインでした。
まるで試作機のようです。
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そして、約 1 年後の 2006 年 3 月に新モデル Nintendo DS Lite が発売されます。このモデルチェンジは、歴代ゲーム機の中でも異例の早さです。
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◎戦略に沿ったゲームタイトルの発売時期の遅れ
Nintendo DS は『Touch! Generations』のキャッチコピーを掲げ、
今までのゲーム機とは異なる操作
今までのゲームとは異なるゲーム体験
を謳っていました。
初期の代表的なゲームといえば、以下の 2 つがあると思います。
いずれも、Nintendo DS の売り上げの起爆剤となったゲームタイトルです。
しかし、これらのゲームタイトルは本体と同時発売ではありませんでした。
◎2005.04:『nintendogs』発売
◎2005.05:『脳を鍛える大人のDSトレーニング』発売
「新しいコンセプトのゲームのため、開発に時間がかかった」という可能性もあります。しかし、戦略の一部に組み込むのであれば本体と同時発売の方が、やはり自然です。
◎インタービュー記事から見える開発スケジュール
当時のインタビュー記事がアーカイブで残っています。
【1up.com のアーカイブ:Wayback Machine より】
Satoru Iwata: In early 2004, we began discussing in earnest what to do with the controller for our new console. Around that time, the DS concept had recently come together.
[訳]
岩田聡:2004 年のはじめに、私たちは新しいゲーム機のコントローラーについて、真剣に議論し始めました。ちょうどその頃、DS のコンセプトが固まりつつありました。
Nintendo DS のコンセプトが固まるのが遅すぎです。発売まで 1 年を切ってしまっています。開発者の視点に立つと、これはかなりの ”突貫工事” だと言えます。
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◎Nintendo DS は「ゲーム人口拡大戦略」の外?
そもそも、当時の任天堂が掲げていた
ゲーム機の高性能化競争から離脱し、ゲーム人口拡大を目指す
という方針に携帯ゲーム機は含まれていたのでしょうか?
そもそも、当時は任天堂しか携帯ゲームを開発していなかったので、携帯ゲーム機で高性能化競争は起きていなかったはずです。
【TGS 2003 岩田聡 基調講演記事】
ゲーム産業は順調に成長発展を続けてきたが,失ったものも多い。以前から岩田氏が指摘している通り,ゲーム機はユーザーと開発者の期待どおりの進化を遂げたが,ゲームの大容量化と複雑化が成功法則となりえるのはもはや限界に来ているという。
(中略)
シューティングゲームや格闘ゲームは,ファンの要求にこたえるあまり高度になりすぎ,ライトなユーザーが誰も遊べなくなって市場が衰退してしまったが,「ゲーム全体がそれらと同じ道を歩んでいるというのが私の危機感」と岩田氏は語る。
当時の社長である岩田さんは、PlayStaion や Xbox などの据置ゲーム機における差別化に絞って話をされているように見えます。
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当時の他の記事を読んでも分かりますが、任天堂は携帯ゲーム機に関しては特に危機感を持っていませんでした。しかし、何かが起きて方針転換を余儀なくされたわけです。
《方針転換を余儀なくしたソニーの行動》
オールドゲーマーの方なら、このとき何が起きたのか記憶にあると思います。
PlayStation Portable(PSP)の発表です。
当時は、私もゲーム開発者だったのでよく覚えています。
「ソニーが任天堂にとどめを刺しに来た」
「セガと同様に、任天堂もゲーム機事業から撤退するのでは?」
業界内は、こんな反応ばかりでした。
私も、そう思ってました。(^^;
◎”行き当たりばったり” と ”強かさ” の方針転換
今までの情報を踏まえて、Nintendo DS の時系列を整理してみます。
【Nintendo DS】
◎2003.05:(ソニーが PSP を発表)
◎2003.08:次世代携帯ゲーム機の開発を公表
◎2004.XX:Nintendo DS のコンセプトが固まる
◎2004.05:Nintendo DS 本体を初披露
◎2004.09:発売日と価格を発表
◎2004.12:初代 Nintendo DS 発売
◎2005.04:『nintendogs』発売
◎2005.05:『脳を鍛える大人のDSトレーニング』発売
◎2006.03:Nintendo DS Lite 発売
(・・・改めてみると、すごいスケジュールだ。)
この年表から、任天堂は
PSP の発表を受けて急いで舵を切り
携帯ゲーム機をゲーム人口拡大戦略に組み込み
突貫工事で Nintendo DS を仕上げ
『Touch! Generations』というキャッチコピーを付け
あたかも戦略的に開発したかのように振舞った
と分かるわけです。
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先の読めないゲーム業界においては、事前の計画はもちろんのこと、
”行き当たりばったり” に舵を切り、それを戦略にしてしまう ”強かさ” も必要というわけです。
◎結果的に裏目に出たソニーの戦略
もともと任天堂は、次世代携帯ゲーム機を開発していたはずです。
(ゲーム機発売直後から、次世代機の計画はスタートします。)
おそらく、単なる Gameboy Advance の進化系だったと考えられます。
なにしろ、もともと任天堂には Nintendo DS を開発するインセンティブがなかったわけですから。
しかし、PSP の発表により Nintendo DS が誕生することになりました。
もし、ソニーが PSP の発表を 2004 年まで先延ばししていたら、ゲーム業界の勢力図は今と違っていたかもしれません。
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それは、今となってはもう知る由はありません。
しかし、あのときの「ソニーの PSP 発表」が任天堂復活の口火を切ったのは間違いないのです。