ベトナム中部、戦史めぐりツーリング
(タイトル画像はBingさんが作りました)
DMZ中立地帯のたこつぼ要塞、クアンチ要塞、ドンハ戦争博物館、激戦のケソン基地そしてハンバーガー・ヒルを巡り700kmほどのバイク旅をしたときの覚書です。
住んでいるダナンからはそれほど遠く無いのですが場所が分かりづらいことや、戦いの理由となったホーチミンルート隣接しているためゆったり目のツーリングで訪れたい!と以前から計画をしていました。
DMZとは?
ダナンから北に250kmほど、かつてベトナムが南北二分割されたときの国境?緩衝地帯があり、周辺は両軍が対峙するため激戦区や歴史的な要所が多くなっています。 地形的な理由によるため、ずっと昔にもベトナム人の皇帝、権力者たちもこのエリアをめぐり対峙したそうで要塞を築いています。訪れたクアンチ要塞やヒエルオン橋もそうした場所だったそうです。
ちなみに愛車はPCX125、ノーマル車にリアBOXを装着しただけの車体です。この前にベスパLX150に乗っていましたが一度のツーリング(300kmほど)でベアリングのない車軸が焼き付いたりカバーが振動で割れたりと車体の作りの悪さを知ることになりホンダに乗り換えました(泣)
映画「ハンバーガー・ヒル」の山へ
映画好きなので、海外旅行でも映画ゆかり場所に行ったり泊まったりするのは楽しいです。 ハンバーガー・ヒルもそれで記憶には強く残っている映画で以前から行ってみたいなと思っていました。場所が場所なので「楽しい」というのとは違いますが。。。
ちなみにベトナムで有名なロケ地といえばニンビン。
ロケ地(Filming location)へ行くのは英語では Film Tourismというらしく、wikiにもリストがあります。
ハンバーガー・ヒルの映画や戦いは以下のようなものです。
今から54年前のベトナム戦争中、多くの死傷者を出しドキュメンタリー調の映画になったことで世界的に有名になりました。
正式にはドンアプビアの戦いと呼ばれるそうですが、あまりに凄惨であったために兵士がこの名前をつけたとか。日本では最近も映画館で再上映されています。
映画の中では若い兵士が次々に倒れベトナム兵も圧倒的火力で次々に殺される非常に残酷な内容となっています。
作戦の記録資料
ネットで調べると最近になって行った人の記事が見つかったので参考にしつつ、google map で場所を特定。
記事:ベトナム戦争の残酷で忘れられない戦いから 50 年後、ハンバーガー ヒルに登る
記事では映画を酷評しています。映画の前半は現地のバーで楽しんだり脚色がされており、この記事からはそんなお楽しみどころではないより悲惨な状況だったことが書かれています。
旅のルート
ベトナムの美しい海岸線を堪能してから、ブィンモクトンネルやDMZ南北中立線、大規模な激戦・悲惨さで有名なケサン空軍基地をめぐり、途中クアンチ要塞にも立ち寄ってハンバーガー・ヒルを登リます。そして最後は映画「フルメタル・ジャケット」の舞台にもなったフエへ向かう計画です。
1日目: 海岸線をとおりヴィンモク地下道へ→宿:クアンチ近く
2日目: クアンチ要塞ー>ドンハー>ケサン空軍基地ー>宿:ハンバーガー・ヒル近く
3日目:ハンバーガーヒル登山ー>フエ・ザーロン帝廟ー>宿:フエ市内
4日目:ハイヴァン峠ー>ダナンへ
1日目 中部の海岸線とヴィンモク地下道
ハイヴァン峠を超えてフエ方面へ。そこから海岸線で北上します
美しい景色が続くハイヴァン〜フエの田舎道
山を超えて海岸側の道を進みます。とにかく景色が綺麗で最高でした。
ツーリングに来た気分♪
皆さんお米の収穫に追われていました。ずーっと田園風景で最高な道。バイクは停止してすぐに写真が取れて楽しい!
フエ中心からほど近い、アジアで最も美しい橋の1つと言われ、最近修復された古代風の橋。
中洲エリアはお墓だらけ
海沿いの中洲エリアに戻り北上します。ずーっとまっすぐ
教会やお寺とその間にお墓が続く砂地の殺風景な情景が。。。
かなりの距離(10kmとか)海岸線の中洲エリアはとにかくお墓だらけでした。後で聞いたら激戦地クアンチ〜フエでは人数不明なくらい一般人も亡くなりお墓も急増したとか。立派なのは最近ものとは思いますが。。。その規模と数に圧倒されました。
更に寄り道をして砂丘へ
すごい景色を予想していましたが、上ったらソーラーパネルが広がっていました(泣)
海岸線を見れるのは最後の一部分で、ほとんど砂地のお墓でした
時々、こんな戦没者を称えるようなソビエトっぽいのが出現します
ヴィンモクトンネル
途中休憩を取りながらヴィンモクトンネルに到着。諸事情で出発が遅れ夕方になってしまいました。
ここは米軍との「抵抗戦争」にいかにして戦ったか、保存している場所のようです。
ホーチミン市の北にクチトンネルというのがありますが全く違う作りで、トンネルの規模は大きいながら銃の試し打ちや戦争ガイドさんとかはおらず、穏やかな歴史博物館?です。
展示ルームもあり小さいながら充実した内容。
トンネルを進むと海岸に出ます。この高低差で換気や排水が出来るので、タコツボ要塞の内部で長期間滞在可能だったようです。
敷地内には不発弾や爆撃で空いた大きなクレーターなどを見ることが出来ます
出口近くの露店で喉の乾きと疲れを癒やします。ココナツウォーターとミネラルウォーターで補給しました。
胡椒の産地だそうで乾燥したものを購入。5万ドン(300円)でした。
まだまだ先は長い。ハドン近くの有名な橋を経由してホテルへ向かいます。
ヒエンルオン橋
トンネルから30分ほどでフランス敗北後の南北分割の象徴、ヒエルオン橋に到着。
橋の両岸に自分の陣営の旗をかかげて大音響でプロパガンダ放送をするのが恒例になっていたそうで、当時の説明をする博物館や国際連盟の会合?があった建物が残っています
厳かっぽい場所ですが、収穫期なので現地の人たちはとにかく忙しそう。敷地内でも勝手にお米を道に広げて作業をしている人たちがたくさんいたいました。(笑
南に20kmほど走って、ホテルについたら夜!
1日めのルートです。出発が遅くなり反省。。。
2日目 クアンチから山岳地帯を巡りケソン空軍基地へ
2日めは早起きしてクアンチ要塞へ
お堀の内側の要塞の壁はくちている場所が多く、現在は意味をなしていません。
中にはモニュメントや現代芸術風の彫刻などがある公園になっています
この要塞はちょうど皇居のお堀の半分サイズで、4稜郭な形状の要塞だったようです。
要塞前の広場は川に繋がり船着き場となっています。 皇帝が居た時代には偉い人が北に違いない雰囲気です。
そして大雨に。。。予想外の展開に。
雨が収まってきたところでホテルに戻りビュッフェで腹ごしらえ。このホテルはおかずが中華系で超ウマーでした。
ナビ用のBluetoothが無い!
ホテルの駐車場でbluetoothヘッドフォンを落としましたが、ものの数分でどなたかが拾ったらのか影も形もありません。
仕方なくホテルの近所の電気屋さんで購入。お姉さんが半額にしてくれて1200円ナリ。Google map ナビがないと厳しいので助かった〜!
豪雨!苦行の始まり〜。水曜どうでしょう?みたいな豪雨ライドになりました。
まずは前日訪れたときには閉館していたヒエルオン橋の博物館へ。
ヒエルロン橋歴史博物館
小中学生とかが学校で修学旅行できたりする定番スポットだそうです。戦争中は爆撃などで殺された人が橋に流れ着くこともあったとか、ベトナム人から聞いたことがあります。が、そういったグロい解説はなく展示は内容がよくわかりませんでした。
あまり見るものもなく、雨で予定ズレズレなので先を急ぎます。
ラオス方面、西に進路を取り程なくすると美しい景色が広がっていました。花で飾り付けられた家が並ぶ道があったり、切り立った山や朽ちた橋があったりでついつい止まって写真を取りたくなります。
有名な橋!Cầu Đầu Mầu
有名な頂!ロックパイル
無名だけど美しい景色
お昼!ぼったくられず普通価格でした。が、閉店間際でこれだけ。時速40kmほどで安全運転で進捗。。。
どんどん時間が過ぎ焦りますが、腹も膨れたのでケソン空軍基地跡を目指します。
ケサン空軍基地 (Ta Con Airport)
ラオスに近い山の中にあった米軍基地で、北ベトナム軍が南の米軍をおびき寄せるために包囲攻撃をし激戦になったことで有名だそうで、アメリカ人だけでなくベトナムの子供も見学に来るそうです。実際に当日もちびっこたちがきていました。
ケソンの戦いはベトナム戦争最大の激戦の1つで両軍合わせて1万人近くが死亡したと言われています。
米軍45000VSベトナム40000人の兵力で、ベトナム側はB52の114000トンの爆撃にさらされ実際にどのくらいの人が死亡したかわからないとか。
現地の土産物屋&受付のおじさんは金属探知機で兵士のドックタグや隊員バッジなどを集めて売っていました。爆死してバラバラになったかもしれない隊員が付けていたのかと思うと複雑な気持ちに。
ケソン空軍基地は1,200メートルの滑走路を備えた約2平方キロメートルの基地だったそうですが、見える範囲ではそれほど広くはなく当時の状態はすべて保存されていないようでした。
下の写真は拾いものです。塹壕陣地が保存されていました。 こういうところに行くと余裕がなくなりちゃんとした写真がいつも取れません。反省します。
小さな博物館が併設され、中には他の戦争博物館と同じような展示がありました。写真の展示とかもありますが吹き込んだ風雨に一部破損もあり管理は悪目。
見学が終わって売店で地産のアラビカコーヒーを飲んでいるとちびっこ遠足隊がきました。皆ベトナム国旗Tシャツを来てる!外国人観光客みたいw
幼稚園の先生。めちゃー愛嬌があってかわいいせんせいでした。
旅先で感じる日本人ブランド
ベトナムでは日本人というと歓迎されることが今でも比較的多めです。
ケソン基地で休憩中も取材?来ていたカメラマン?のおじさんが話しかけてきて日本人というだけで喜ばれました。「日本が好きだ!日本人を尊敬している!来てくれてありがとう!」話半分でも嬉しいものです。
乗っているPCXもコレお前のか?!いいね!と声をかけてくる人もたまにいます。みんなバイク大好き。
シェア8割でベトナム通勤を支えているホンダの二輪。ヤマハや川崎、スズキもたくさん売られています。こちらではシェアは小さいカワサキのバイクは高級路線ですね。
また車といえばトヨタです。壊れない質実剛健、サポートも良い日本メーカーはやはり信頼されているように思います。
また日本人がきれい好きで嘘をつかない・真面目というのも定評がありアパートを優先して借りれるケースがこれまでも何度もありました。金払いがよく、まず踏み倒したり支払いでゴネたりもしないのは世界では稀有なのかもしれません。
せっかくの評判ですので、あとから来る人のためにアパートは借りたときよりキレイにして返し修繕もするようにしています。
ダクロン橋へ
ケソンからダクロン橋方面へ向かいます。そこから山岳地帯の峠道でハンバーガーヒル近くの集落へ。
ケソン空軍基地から来た道をもどりダクロン橋 Cầu Đa Krông へ。
この日は朝から雨続き。途中また豪雨になり、朝からずーっと濡れたトレッキングシューズでの移動となり足が膨らんでるような。。。
途中道を間違えたり渋滞があったりで明るいうちに宿につけるのか心配になってきます。
こんな感じの何もない山の中を走ると時々見慣れない服装の人が薪を背負って歩いているのを見かけました。どうやら少数民族のようです。
なんやかんやでなんとか宿のある街へ。
チェックインするとwifiが弱い…😭 1階しか届かないみたいで、仕事は外のテーブルでするしか無さそう。
宿は団体様向けな感じの広々な4階建て。しかし何もない山の中に団体でくるってどんな人達なんだろう。お値段は一泊1500円くらいだったと思います。
まずはシャワーしてふやけてヤバイことになった足の裏を乾かします。。。米軍兵士はふやけた足に水虫の2重苦で足の皮がめくれ骨が出ることもあったそう。よくわかりました、私には無理です‥。
数時間乾かしてから、近所の屋台へ。このグリーンペッパーだくな鶏のおかゆは絶品でした。横の豆おこわや鶏肉BBQもウマーでした。
一人反省会で〆チェー。お店でサッカー見てる人多し。。。
そんな2日目、雨の強行軍ルートはこちら
3日目 ハンバーガー・ヒル
朝4時に起き暗いうちに宿をでてハンバーガー・ヒルへ。宿からは10kmもないですが道が悪そうなのと気温が上がると厳しいため早めに出ました。
入り口の参道に到着。間違って無くてよかったw
看板には道の外には不発弾があるので目印の色付きの杭から外には出ないように、と注意書きがありました。
年月とともにでしょうか、整備された階段はところどころ崩壊しています。トレッキングシューズを吐いてきてよかった。
地図では800mほどとなっていましたが実際には1.2kmほどの山道でかなりきつかったです。
頂上はこれだけ
ワシントン・ポストの記事にあったプロパガンダ石板。 確かに米軍が戦闘に勝利しましたが戦争には負け、やっていることもおかしいのでベトナム勝利で良いでしょう。
この先には下り道で山の反対側へのルートがあります。道も荒れていて、下りてから戻るのはかなりしんどそうだったので今回はパスしましたが、その険しい道こそが最も悲惨な戦場だったそうです。
この場所の手前に更に高い丘っぽい場所がありそこが頂上かな?という感じでしたが現在は木と藪に覆われて入れませんでした。
来た道を帰ります。下りは楽だ。。。
下山してバイクで戻る途中にあった比較的平らな場所。米兵がヘリから降下したのはこのあたりだったかもしれません。
やはり血みどろの戦闘が行われたこともあり、最近まで人が住まない所だったとホテルに居たおじさんが話してくださいました。現在も山から少し行った場所に数件の農家?があるだけでした。何も知らなければ美しいところですが。。。
記事を書く時に確認&調べていたらドローンで撮影された方がいました。すごい!
宿に到着すると
宿に戻ったら19歳のドイツボーイズがいたのでチョットおしゃべりして旅の醍醐味。一人はyouTuberで日本の情報なども発信しているということでした。
ドライバー付きで移動。リスク少なめに合理的な冒険。遊び慣れてて驚きました。
自分も仕事の雑務作業を終わらせてフエへ出発!
山を下ったところにあったてお店で昼ごはん、豚肉定食。ウンマー!
少ない肉をねだるスキルの目をもつ子犬が足の間に陣取るハプニング。。。
ザーロン帝廟へ
旅のミッションを消化した開放感でゆったり帰り道。ここからザーロン帝廟へ向かいます
ザーロン帝廟、阮朝1番目の皇帝のお墓
数あるグエン朝皇帝廟のなかで一番好きなのがここ。古い感じのミンマン帝廟、豪華なカイデン帝廟が人気かもですが、ここや寂れているティエウチ帝稜が好きなのです。
入場料が200K、ちょっと高いザーロン帝廟はひろーい敷地にお后さんとかいくつかのお墓があります。地図を見ると東京ドームかなりより広そうです。
皇帝廟というより「公園」っぽい広さが好きだったりします。
不人気なグエン朝
ベトナム最後のグエン朝はグエンさんが一番多い理由と思いますがベトナムではあまり人気がありません。
聞くところではこの王朝、フエ遷都前後に国内の他の勢力と戦うために外国の力を借り、その見返りに国土の一部を割譲したその始まりと、フランスの傀儡政府になってしまったこと、こうした大きい皇帝廟や寺をつくって散財したため、国として貧しくなったことなどが理由のようです。
フランスと戦った皇帝も居たそうですが海外に幽閉されたたそうで、皇帝廟は13代のうち10しか無いとか。最後の一人は日本軍に担がれて独立・日本が負けて亡命したり戻ったりと、波乱万丈の現代人でしたのでフランスに海外幽閉された皇帝は二人ということでしょう。
ホテルへ
ネットが早くてフレンドリー、と評判が良い激安宿を見つけたので予約しておいたタン ティエン フレンドリー ホテルは一泊3000円ほど。
中心部近くのバックパッカー街?のホテル到着後、仕事雑務をして外に出るとまたしても大雨!!
フエの夜景を見ながら散歩を楽しむ予定でしたが。。身動きできなくなった隣りにあったビアホイで軽く済ませてホテルで就寝。。。
3日目午後は単なる移動日になってしまいましたが…。
4日目 ダナンは最高
早起きしてジョギングする予定でしたが体力が足りませんでした(笑
雨の中ポンチョで走る距離が長かったので普段より疲れたのかな?
お天気も微妙なので散歩を楽しみホテルへ戻ります。いやー、フエってやっぱり雰囲気ありますね。
朝ブッフェ、野菜炒めなどの惣菜がウンマーで初日よりさらに良い感じでした。
近所のこのうどん屋さんもうまかったー。
ポンチョを来たり脱いだり
何も考えず、ダラダラとかえりますと程なくハイヴァン峠への山道に。
ヘアピンコーナー
ヘアピンコーナーのお茶やで最後のツーリング飯
それまでの天気が嘘のように峠を超えて少し下ると天気!
それにしてこの景色!!!
やはり、ダナンは最高ダナン♪ (お後がよろしいようで…)
帰りのルート。多分4時間以上かかってるかな。。。
後記:
PCX125は素晴らしいバイク、でも。。。
山道が多かった今回のツーリング、やはりスクーターだと「追い抜き」が厳しいと感じる場面が何度も有りました。またギアやフットブレーキがないことで坂道の停車、駐車では焦る場面も。
美しい景色を写真に収めたいのですが躊躇する事が何度もありました。慣れなのかもしれないですが、スクーターではサイドブレーキが欲しくなります。MT車は持っていますがポンコツで長距離は帰ってこれないリスクがありWinnerXへ買い替えの動機が固まった旅となりました。
やっぱり今回も日本人優遇
外国人や2度とこ無さそうな人に飲食などで割高な請求をされることは観光地では多い海外ですが、観光地フエ周辺ということも有り今回は多め。
しかしその倍くらいは現地の人に親切にされる場面が多かったように思います。バイク通勤8割のベトナムで2輪市場を独占している日本車勢や壊れないトヨタの名前は轟いていますし、嘘をつかない真面目できれい好きな日本人のイメージは大きいのでしょう。ベトナム人は総じて親切ですが日本人であることは、旅の経験にはプラスに働きます。
一方で戦前の日本がベトナムに冷たく、戦中も略奪・接収があり餓死者が出たことは学校でだれもが学ぶという事実もあるので甘えず払うものは払う、という関係性が良いように考えています。
日本人にも遠因があるベトナム戦争
ベトナムを回れば、全国どこでも大きな戦没者墓地があります。
またフエの墓地郡のような途方もない規模の犠牲者を実感されるような光景も時々出くわしますし、ニュースでは不発弾が発見されたり枯葉剤の問題は定期的に目にします。眠っている毒や爆弾の量がただごとではないので。。。
日本が開放し、その後残った日本兵がフランス再占領の反抗に参戦した、というのは時々見かけるベトナム日本美談ですが、実際にはそんなに単純ではないようです。
フランスから独立したのは米ソ冷戦の枠組みで、ホーチミンさんらを教育し物資を送り込んだのはスターリンのソビエト、負けじと南北分割してインドシナ半島・東南アジアの覇権を維持したかったアメリカ、ひいてはG7の国々があります。
一方、日本もこれらの直近の発端となった太平洋戦争で資源略奪目当ての南方進出、戦争犯罪から逃れるために東南アジアに居残りをした人たちが少なからずいた事を示す事件があります。
ベトナム人はこうした歴史を小学生から学びながらも笑顔で日本や欧米人に接していることを知ることは、アジアの世紀を生きる上で無駄はないと思います。
また町々にある戦争モニュメントや戦没者墓地も、ツーリング後にこの記事を読んで見方がかわりました。もっと知識があればツーリングもより深く楽しめ、学びがあったのにと惜しい気持ちになりました。