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カンショウ小説――“文を楽しむ”というスタンス
小説を読むこと。それは誰かの物語を追うことだけではなく、文章そのものを味わう時間でもある。音楽の音符のように、文字の音符を楽しむ時間。文を楽しむーー 文楽。
私は、自分の文章の魅力を意識していなかった。平易な文で読みやすいと言われるけど、ただそれだけだと思っていた。自分がどんなふうに書いているのかを深く考えたことはなかった。だけど、物語を書き続けて、読んでくれた人の感想や対話の中で、初めて教えてもらった気がした。
――ああ、私は“瞬間”を書いているんだ。
キャラクターの動作、間、視線の移ろい。心の奥の機微を、あえて言葉にしすぎず、読者の心に響く形で残す。あたかも、舞台の一幕を切り取ったように、必要なものだけを描く。
光景のすべてを説明するのではなく、一眼レフで撮った写真のように、一瞬の情景を切り取る。だからこそ、そこに込められた温度や匂い、空気の質感までも、読む人それぞれの感性で感じ取ることができる。読者自身の経験や記録と重なり、まるで自分のための物語のように感じることもあるかもしれない。
気付けばそういう作品に仕上がっていた私の小説を、そんなスタイルを「カンショウ小説」と名付けた。
“カンショウ”にはいくつかの意味がある。漢字で書けば「感傷」「鑑賞」「観照」。
感傷――登場人物の想いに触れ、読者自身の記憶が呼び起こされる。
鑑賞――文章そのもののリズムや余韻を味わう。
観照――物語の情景や人物を、静かに見つめるように読む。
ここに挙げた以外の読者が自由に浮かんだどのカンショウも当てはまる小説。そんな風に、小説の持つ楽しみ方を読者を信じて委ねて、文章を“味わう”というスタンスを大切にしたい。
物語を読んで涙を流すことも、心がじんわり温かくなることもあるけれど、その前の“文章を楽しむ”という段階で、私は読者と繋がりたい。
カンショウ小説――それは、一瞬を切り取り、読者の中で物語が生まれるような、そんな小説のかたち。
「カンショウ小説」というスタイルで物語を紡ぐ作家かんすい
シンプルな言葉を楽しんだ先に、読者自身の心情が静かに映し出されるような、あなただけの物語が生まれますように。