【エッセイ】居場所
今日はどんだけテンションあげなきゃ、とか上手く笑えてるかな、とか色々考える朝。
きっとそういう風に意識しなくとも無意識的に自分に与えられた役割を演じて滞りなくスムーズに1日が終わるように、と心のどこかで願ってしまう自分がいた。
いつもの駅まで歩きながら、少し後ろを歩くカップル。この日は出勤時間が少し遅めの11時くらいのこと。「え〜?やばくなーい??」と楽しそうに笑う女性の声。もしあれがこうだったら、、と想像を膨らませていく2人のテンション感に(幸せそうだなぁ、平和だなぁ、、)と思った朝だった。
でも、そうして一緒にいる人と巡り会って、いろんなことを乗り越えてでも一緒にいたいと思えるのは一体どんな感情なのだろう?と純粋に疑問と尊敬が湧く。これまであまり良い感情になった試しが無いから、恋愛とか恋というものに距離感というか、一線引いて見てしまう自分がいる。あー喉が渇いた、
多分脱水気味なのかもしれない。色んな意味でカラカラだ。
一緒に居て、その人の隣ならきっと
、、お、右隣に座ったベイビィが足をぐにぐにと私の足に地味なキックを繰り出す。「ごめんなさい💦」と言われたけど、「大丈夫ですよ、眠ってますか?」「いやまだ起きてるけど、うとうとしてます」「そうですか、ゆっくり寝て欲しいですね☺️」と笑った。
「優しいお姉さんだ、、」と旦那さんにいうお母さん。降りる時も「すみませんでした💦」と言われたけど「いえいえ、とんでもないです!」と返す。
少し緊張しお顔ちゃんと見れなかったのが少しだけ反省。きちんと顔を見て挨拶や言葉を、基本なのかもしれないけどやはりスムーズには出来ない。
話は戻るが、その人と一緒に居たい、とか。
もう家族になろう!!とか、本当にどこのファンタジーかと思ってしまう自分がいる。凄い事だ。
自分らしいってなんだ?
ありのままってなんだ?良さって??
そんなことを電車内でぐるぐる考えてしまう。
きっと、そうした恋仲であろうと友情や愛情を持った繋がりであろうと、大事なのは、分からないけれどきっと「自分を受け入れてもらえる安心感」なのだろうな、と思う。
人に弱音や苦しさを溢したり、自分の未熟な部分を露呈してはその行為に反省して自虐して苦しくなっても、でもそれを繰り返してしまうのは「受け入れてくれるかもしれない」という希望であり、安心なのだろうと思う。だから、生産性のない話を何度も話してしまうし、感情のままにダダ漏れでしまうのだろう。きっとそういうのを人は「居場所」って言うんだろうな。
あぁ、コントロールできるようになりたい。
時間もお金も、身体も心の状態も。
少しは、今の心地よい「居場所」を守れるようにしたいからやはり変わっていくしかないのだろうな、と嫌でも思い知らされる🤢朝
今日が変われば未来は変わるのだろうか、
明日を変えれば見れる景色は変わるのだろうか、
まだよく分からないけど、分かるようにならなきゃ行けない日が来るんだろうな、きっと。
少し変えようとした2%のチャレンジで、書いたto do リスト。今日は何をすんだっけ、、
あぁ、返信するのとさっきのベイビィさんで思い出した。キルフェボンのゼリーは贈って好評だったらしい?やったね。
あーー、眠さが強くなってきた、頑張ろう。
母さん、行ってくるね。
母の日おめでとう?
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