九月著『走る道化、浮かぶ日常』感想。"自分らしさはもうある"
九月くんの著書、『走る道化、浮かぶ日常』を読んだ。本書を通じ、この世がまた少し平和になった。ページをめくるたび鳩が一羽、また一羽と羽ばたき、読み終わる頃にはひと握りの愛と大量のフンだけが僕の手元に残った。
"自分らしさはもうある"
ー例えばこう、僕にとって海で過ごす時間は非日常的で特別な時間だ。普段は街中の雑居ビルで働く僕にとって、そうある話ではない。
後日、波の音を聞いては内に眠る作家性が顔を出し、らしからぬ体験への恥じらいとアホ丸出しの情緒を綴るだろう。
これが楽しい思い出ならまだ良い。せいぜい楽しかっただとか、また行きたい、くらい書けば満足して筆を置く。
逆に楽しめなかった場合、かなり厳しい。こうだから相容れないだの、ふと寂しさを感じるだの、しょうもないポエムを撒き散らすに決まっている。
難しい話は何もない。海を楽しめなかった、それに尽きる。ちょっと機嫌も悪くなったんだろう。輪に入れなかったのが悔しかったのかもしれない。
それでも、どうにか理由をこじつけて退屈な自分に折り合いをつける。楽しめないことこそが自分らしさだ、と言わんばかりに。
そんなヤツはどうせバイト先でも馴染めない。地元に愛された個人経営の小さな居酒屋なのに、方針なり文化に共感できないからと暴れだす。
内輪で革命を起こすな。知ってるよ、戦争は正義と正義のぶつかり合いなんだろ。だから争うんだろ。
でもな、お前に正義はない。どう考えても単なる馬鹿だ。こんなやり方時代にそぐわない、じゃないんだよ。だから個人でやってんだろ。
自分らしさを突き通して最後までやり抜くんだよ。分かったら貴様は黙って海老の皮でも剥いてろ。
お前らしく海の命に想いを馳せてみろ。なんでも自分らしくやってみなよ。それが嫌なら、いちいちらしさを押し付けるな。こっちで勝手に解釈する。
そんな意図は無いだろうけど、読み終えると少し反省している自分がいた。
まずは顔を水につけるところから始めてみたいと思う。