九月著『走る道化、浮かぶ日常』感想。"俺、酸素ボンベ要らんねん"

九月くんの著書、『走る道化、浮かぶ日常』を読んだ。本書を通じ、この世がまた少し平和になった。ページをめくるたび鳩が一羽、また一羽と羽ばたき、読み終わる頃にはひと握りの愛と大量のフンだけが僕の手元に残った。

"俺、酸素ボンベ要らんねん"

ー僕は人より、どうしてそうあるのか、意味を考えてしまう性格だと思う。意図がわからないと、どれだけ魅力的であっても困惑してします。無意味なことは嫌いじゃないし、むしろ大好きだけれど、難しい。


今日の帰り道の話。

最寄りのコンビニ内に設けられたイートインスペースに、青年と、その恋人と思しき女性がいた。きっとデート帰りだろう。別れが惜しくなって、コンビニに立ち寄ったのだろうか。愛くるしい。
彼らは誰が見ても胸に暖かさを覚えるような、柔らかい幸せに包まれていた。当然僕もその1人だ。四つ葉のクローバーを見つけた童よろしく、小粒程度の興奮を覚えながら、眼前に広がる幸福を歓迎した。

その刹那。皆が想定する何倍もの刹那。それを表現した言葉は無い程の僅かな瞬間、僕は眼の前の光景に違和感を覚えた。
青年はサイクリングウェアを着ていたのだ。

デート帰りにも関わらず、サイクリングウェアを着ていた。ロードバイクに乗る人が身に纏っているピチピチのアレだ、青年はアレを着ている。その上ピチピチの中でも派手なデザインのものを、だ。


青年のピチピチは怖いくらいにカラフルだった。あんなに多くの色を一気に見たのはぞうのエルマー以来だと思う。いや、きっとそれ以上に青年はカラフルだった。顔は肌色一色だと言うのに、ピチピチはものすごいことになっていた。幼少期に立ち上げた最多肉眼把握色数のギネスを、イートインスペースで青春を謳歌する青年に蹂躙されてしまったのだ。
非常に悔しい話である。

ただ、別におかしな話じゃない。ピチピチを着た青年だってイートインスペースくらい利用するさ。余りにもピチピチで、余りにも派手だったから妙に思ったけれど、幸福に変わりはない。きっとサイクリングデートの帰りだろう、ほら、彼女も小粋なピチピチを着ているじゃないの。そう思いながら隣席に視線を移したとき、さらなる違和感と目があった。

彼女は思いっきり私服を着ているではないか。しかもバチバチに粧し込んでいる。真っ白なブラウスに可愛らしい小物類。まるで茶屋町を闊歩する装いだ。それじゃあロードバイクにゃ乗れないぞ。
あ、ひょっとしてサイクリングデートじゃない?ああそうか、そうだよな。きっと青年はお出掛け帰りの彼女を迎えに来たんだ。それで随分と暑いもんだから、きっとコンビニで涼んでいるんだろう。それなら納得出来る。言われてみれば青年はアイスを食っていた気もする。あんなに洒落たピチピチを買ったんだから金欠のはずだ。青年はホームランバーを食べていた。そう解釈することで、溜飲が下がりに下がった。

再度気分を良くした僕は、最後に青年が乗っているロードバイクをチラ見することにした。コンビニの前に停まっている1番派手なバイクが青年のものだ。派手なピチピチは派手なチャリンコに跨がるからこそ粋なんだ。

しかし、探せどもロードバイクは見当たらない。ダサいのも含めて1台も、ない。あるのは無機質なママチャリだけ。青年はロードバイクに乗っていない。

いよいよ訳が分からない。そうなると青年は何故ピチピチを着ているのだ。まさか、まさかとは思うが、青年にとってピチピチはよそ行きの服なのか?チャリ用の服ではなく、己を演出するアイテムだと捉えているのか。すごく変なセンスを持った男だったのか。ふざけるなよ。僕は静かに怒った。

遠くからBianchiのすすり泣く声が聞こえる。ブリヂストンは生涯笑わないと決めたらしい。

もうこの町に幸せはない。青年のホームランバーの棒に当たりと刻印されていないことを祈って、僕は再び帰路についた。

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