初期衝動、終盤
今年の春で28歳になりました。
世間的にはどうなんだろう、きっとまだ中年ではないよね。
かと言って新しい時代を担っている感覚もない。ほんの数年前まではひとりもいなかった、”若い子たち”が街中に溢れかえった。
誰かの物差しはさておき、どうやら僕は僕のことを若いとは思っていないらしい。
昔はよく文章を書いた。きっと今より自分を表現する幅がうんと少なくて、それでもどうにか発散はしたいから、大して得意でもない文章にわざわざ縋っていたんだと思う。すがるってこんな字なんだ。糸を追いかけるような人は確かに縋ってそうだな。
部活帰り、どうしても炭酸のジュースが飲みたくて、渋々知らない自販機で知らない安くて怖いジュースを飲んでいた感覚に近い。別に好きじゃなくても、それしか無いなら人は存外簡単に諦めてしまう。あれ怖いよなほんと、全部同じ色の同じ味。名前だけいっぱいある。没個性。浅めの風刺過ぎる。ただお金がないだけでシニカルな喉越しを味わう羽目になるなんて。
兎角、本当はもっとふさわしいやり方があったんだろう。でも、当時はそれが最適解に思えて仕方がなかった。
そもそもの話、思い返せば何を表現したかったのかもよく分からない。別に虐げられた日々を過ごしてなんかいない。むしろ相当に恵まれていたほうだ。忘れられないほどつらい記憶なんてひとつもない。どれも忘れてしまえる程度の些細な躓きだ。
それに、大して得意でもない文章を認めてくるような輩に一体僕は何を見出していたと言うんだ。
もちろん、良いことは沢山あった。第一に、自分の文章が少し好きになった。無学のくせに誰の真似もせず感覚だけで並べた言葉にしては、それなりに愉快だと思う。僕が僕の気に入るように書いているんだから、良いと思うのは当然だとも言えるんだけど。
友達もできた。文章があったから出会えた人はひとりもいなかったけれど、文章があったから友達になれた人はいくらかいる。そう思うとブログ文化は良かったよな。こんなに体の良い挨拶は無いぜ。
さて、僕はもう若くないという話だ。最後に一旦戻してみよう。
きっとこれから、28歳の僕は若かったと思う日が来るんだろう。中年をまだ自覚しない僕が、今の僕を”若い子”だと言い放つんだろう。
だから、若くないなりにもうひと展開くらいは期待してみたい。
色んなことの正解が決まってきたから、うっかり間違える20代でいたい。
若さにもう少しだけ縋って、新しいことでも始めてみよう。
茶道でも始めようかしら。いくら表現しようと茶しか出てこないから、思い返したところで浮かんでくるのはせいぜい味くらいのものだ。