境界を越えるバス/旧国境編6/横浜市南区西側(旧久良岐郡・鎌倉郡境北部)
武蔵相模国境編その6
2022年11月(複数回)現地調査
2022/11/08暫定公開
2022/11/14初版正式公開
この記事のデータ類は2022年11月時点のものです。
画像類は特記なき限り筆者自ら撮影・作画したものです。
今回記事分から、武蔵相模国境は、横浜市の(行政)区境に復帰します。一部区間に例外がありますが、それは本文中で説明します。4つの区が関与する境界になっているので、図面を駆使?して説明します。
旧国境・現区境の来歴
まず、今回調査範囲の概略地図を見て頂こう。地点名には、前回記事からの続きのアルファベットをつけ地点K~地点Nと呼び、現場付近に目印となるような施設・地名がある場合には併記する。次回以降記事で解説予定の地点Oも記入しているが、ここは複数のバス路線が入り組み、国境上の道をそこそこの距離を走るため、★印で表記している。
武蔵国側は概ね横浜市南区で、以前の記事で説明したように、1898(明治22)年の町村制施行時に久良岐郡大岡川村となった地域である。1927(昭和2)年に横浜市に編入され中区→南区に属し、現在に至る。北端の地点Nのみ保土ヶ谷区も関与し、保土ヶ谷区・南区・戸塚区の三区境となっている。現保土ヶ谷区の当該地域は元々は橘樹郡保土ヶ谷町に属したので、地点Nは三郡境であった。保土ヶ谷町は1927(昭和2)年4月に横浜市に編入、11月に横浜市が区制を施行した際に、ほぼ全域が保土ヶ谷区となっている。
相模国側は港南区と戸塚区で、一部南区が張り出している部分がある。地点L~地点Mの間で南区が相模国側に張り出している現代の六ッ川四丁目のエリアは、大元は鎌倉郡永野村の北端であった。永野村は、以前の記事で述べたように、1936(昭和11)年に横浜市に編入され、中区→南区に属していた。その後、宅地開発が進んでいく際に、隣接する六ッ川地区(現在の一丁目~三丁目、旧久良岐郡大岡川村引越のエリア)と一体になってしまったためか、港南区が分区された際に六ッ川四丁目として南区に残留し、現在に至る。
この界隈の現戸塚区のエリアは、1989(明治22)年の町村制施行時に鎌倉郡川上村となった区域で、1939(昭和14)年の横浜市第6次市域拡張時に他の鎌倉郡北部の町村と共に横浜市に編入され、戸塚区となった。
スタート地点=前回記事のゴール地点
まず、今回の探索のスタート地点でもある、武相国境が南区・港南区界に合流する地点について解説する。本来であれば前回記事の最後に載せるべき内容であるが、現地取材が追い付いていなかった。
合流地点は、国境=尾根筋の道が南北まっすぐに伸びていて、そこへ区境の道が東側から合流する形となっている。しかし、合流点付近の区境が、地図によって微妙に異なる。Open Street Mapなどでは、区境は素直に道路に沿って国境に合流するが、ゼンリンの住宅地図を(過去に)ベースにしている(いた)地図だと、三角形に張り出した部分は南区となっているものが多い。地理院地図では、対象範囲があまりに狭いため、二万五千分の一地図ベースでも判別不能なぐらい微小なエリアである。
実は、すぐ上の画像に写っている掲示板を見ると「別所四丁目町内会掲示板」と記されている。別所四丁目は南区なので、この掲示板が区境を越えていないのであれば、件の三角地帯は南区である、と結論付けられそうである。
ちなみに、江戸時代までさかのぼると、南区側は別所村/港南区側は久保村であり、明治時代に周辺の村と合併して大岡川村となったエリアである。明治期の地理院地図を見ると、この時点で別所村も久保村も大岡川村になった後なので、村境の記号はない。それどころか、この界隈にあるべき久良岐・鎌倉郡境の線も引かれておらず、境界未定地域だったと推定される。大岡川村は2回に分けて横浜市に編入されているが、どちらも2回目の1927(昭和2)年に横浜市に編入されたエリアである。Wikipediaなどには、大岡川村のうち概ね最初に横浜市になった地域が後の南区で、後から編入された地域が港南区となった旨の記載がある。大岡川村別所や引越などは、後から編入された地域であるが、現在は南区になっている地域である。このようなエリアが、現代の南区西部にいくつかある模様である。
いずれにしても、現在の区境は1969(昭和44)年に港南区が分立した際に新たに設定しなおされたものである。武蔵国久良岐郡/相模国鎌倉郡境は、それとは無関係に、この尾根筋上をまっすぐに進んでいるため、本調査への影響はない(というか、守備範囲外とさせていただく)。
地点K:水道橋
この地点の道路は掘割になっており、その上をかなり太い水道管が通過している。水道管橋の正式名称は「別所水管橋」という。バス停名は「水道橋下」で、上大岡駅方面は水道管のほぼ真下、芹が谷方面もすぐ近隣にある。少し離れた所で横浜横須賀道路の別所インターチェンジが接続されているが、通りの名前は特についていないようである。
掘割になっている地点の常であるが、大体の場合において掘割区間に尾根筋がある。堀割ってる道路の坂の頂点は掘割区間を抜けつつある地点にあり、旧国境や区境は尾根筋にあるので、両者は数十~百m程度ずれている。掘割側から調査をする場合には気に留めておく必要がある(と、今回までの調査で学習した)。
この地点を通る主要バス路線は、上大岡駅発着の循環線が2系統と、東戸塚駅へ直通するものが1系統で、全て神奈川中央交通の舞岡営業所担当である。まず最初に、以前の記事で取り上げた地点I:永作/地点J:南高校付近も含めた、関係するバス路線図を載せる。どの路線も、武蔵国側の隣の停留所は「普門院前」、相模国側は「芹が谷山谷」である。
循環線の1つ目は"30"系統上大岡駅~上永谷駅~芹が谷~上大岡駅である。以前の記事で地点I:永作を経由する系統として紹介した路線である。基本は循環線であるが、上永谷駅先回りは途中の「芹が谷」折り返し(この便は「水道橋下」には来ない)、芹が谷先回りは上永谷駅折り返しとなる便が多々ある。どちら回りなのか経由地を入れて上大岡駅出発の段階で識別できるようにしている。上大岡駅での乗り場は、上永谷駅方面先回りがバスターミナル内/水道橋下方面先回りは県道上と、互いに離れている。循環線になる場合は、系統番号の上に「外回り/内回り」と表示され識別できるようになっている。上大岡~水道橋下~芹が谷折り返しとなる路線は、後述する"71"系統として運転される。「水道橋下」では"71"系統と合わせて毎時5~6本の運転となるように調整されているが、"30"系統と"71"系統の割合は、時間帯により大きく偏っている。"30"系統の変種で、港南台駅始発の"港95"系統が朝に片道1本だけあることは、以前の記事で書いた通りである。
循環線の2つ目は"71"系統上大岡駅~南高校前~芹が谷~上大岡駅である。以前の記事で地点J:南高校前を経由する系統として紹介した路線であり、この系統の途中折り返しは、両回りとも「芹が谷」のみである。本地点「水道橋下」を経由する方は”30"系統と完全に同一経路となるが、先述したように"71"系統として運転される。「外回り/内回り」表示は"30"系統と同様に行われており、上大岡駅のバス乗り場の位置についても同様である。「水道橋下」においては、"30"系統と”71"系統の割合が極端に偏る時間帯があることは先述した通りであるが、1日通しての運転本数は似通っている。
残り1つの主要系統は"203"系統上大岡駅~芹が谷~東戸塚駅で、地点J:南高校前を通る系統で紹介した"上202"系統の経路違いである。後述する”206”系統と合わせて毎時3~4本程度の運転。J地点を経由する方は上大岡を示す「上」の文字がついているが、こちらは数字だけの系統番号記号であることから、かつて横浜市交通局との共管路線であった時期がある。この変種で、平日日中のみ、上大岡駅には入らず、市営地下鉄線蒔田駅と京急線井土ヶ谷駅を経由する循環ルートで折り返す"206"系統が毎時1本運転される。また、深夜バスとして、上大岡駅発で東戸塚駅行とは分岐して国道1号線を下り、戸塚駅との中間付近の不動坂行となる"上96"系統が片道のみ運転されている。
"30"系統と"71"系統の過去来歴
"30"系統は、本文中で述べたように元々は横浜市交通局との共管路線で、芹が谷~上永谷~上大岡~横浜駅・県庁前・関内駅を結ぶ系統がメインであったようである。この当時は「芹が谷」に横浜市交通局港南営業所芹が谷派出所があった。1974(昭和49)年12月に野庭営業所芹が谷詰所になっている。現在残っている上大岡駅拠点の循環線も当時から存在したが、「芹が谷」が拠点の循環線も存在した。京急ニュータウン~上永谷~上大岡という支線も存在した。2006(平成18)年1月30日付で、上大岡発着の循環線とその区間運転便を、共管していた神奈川中央交通へ全面移管。そのほかの系統は廃止して現在の路線形態となっている。
"71"系統も横浜市交通局との共管路線であったが、運行形態は「芹が谷」拠点の循環路線があった以外は、現在の路線と同じである。"30"系統と同じ時期に神奈川中央交通へ完全移管されている。
なお、「芹が谷」発着の循環線は"30"系統/"71"系統ともに上大岡駅を越えて乗りとおすことができたようで、一部のバス停表示にはその形跡が残っている。
地点Lと地点M
この両地点を経由する路線は密接に関連しているので、合わせて解説する。どちらも武蔵国側は横浜市南区であるが、相模国側は地点Lが南区と港南区/地点Mは南区と戸塚区の区境上を通る道である。
戸塚駅・東戸塚駅方面と弘明寺・井土ヶ谷方面を結ぶ路線のうち、「こども医療センター」を経由するものが地点Lを、神奈川県道218号弥生台桜木町線(平戸桜木道路)を直進するものが地点Mを経由する。「こども医療センター」を経由する系統も、通過後は再び平戸桜木道路に復帰する。地点Lを通過するバスは「こども医療センター」と「六ッ川四丁目」停留所間で国境を越える。地点Mを通過するバスは、「引越坂」と「六ッ川四丁目」間で国境を越えるが、「こども医療センター」経由便も、武蔵国側の隣の停留所は「引越坂」である。なお、地点L・Mどちらを経由する便も、全て神奈川中央交通舞岡営業所の担当である。
地点Lを通過する「こども医療センター」を経由する系統は、戸塚駅発着が、"横44"系統横浜駅東口発着がメインで、区間運転便として”戸25"系統こども医療センター発着/"戸45"桜木町駅発着が各々少数存在する。東戸塚駅発着は"東01"系統井土ケ谷下町発着のみである。なお、「こども医療センター」から南区方向へ行く路線として、“井10"系統井土ケ谷下町発着があるが、上述した"東01"系統と異なり、すぐに平戸桜木道路に出ず、南回りのルートをとる。ちなみに、"井10"系統も折り返しの途上で、国境の道を走る区間がある。これらの系統は、通常の地図には描かれていないこども医療センターの構内道路を突っ切って東区側にアクセスしているようである。
地点Mを通過する県道直行便は、戸塚駅発着が"横43"系統横浜駅東口発着が主力である。先述した"横44"系統との違いは「子供医療センター」を経由しないだけであり、毎時3本程度運転されている。この区間運転便として、"戸01"系統井土ケ谷下町発着/”戸03”系統県庁入口終着・本町四丁目始発があるが、いずれも早朝・深夜にわずかな本数が運転されるのみである。東戸塚駅発は、"東08”系統横浜パークタウン循環がほとんど全てである。武蔵国側に入ってすぐのところにある住宅街を循環して東戸塚駅へ戻る系統である。横浜パークタウン内には、井土ヶ谷下町から来て循環する"井12"系統も入っている。少数運転系統では、深夜バスの"井14"系統が、井土ケ谷下町→横浜パークタウン→不動坂と走る。東戸塚駅発で1本だけ、平日早朝に県庁入口終着となる"東06”系統が運行されている。復路は2022年10月時点のダイヤでは存在しない模様である。
地点N:(新)権太坂
国道1号線上の、箱根駅伝でも有名な、いわゆる権太坂の頂上付近を国境が横切る。(新)をつけているのは、この区間では国道1号線から外れている旧東海道の方にある権太坂が元祖であるため、識別のためにつけた。元祖権太坂は、次回(以降)記事で登場する予定。いずれも、国境から武蔵国側(の坂の下の方)が権太坂の名称を持つ。今回のケースでは、相模国側の掘割区間が長いため、これまでのケースとは逆に坂の頂点は武蔵国側に寄っている。
横浜市交通局の平和台折返場が国境尾根を横切る地点のやや相模国側にある関係で、この地点を通過する系統も多岐に渡る。停留所名では、「狩場町」~「平和台」もしくは「平和台折返場」間で国境を越える。
平和台折返場を使う路線は、全系統が横浜市交通局の担当である。大半が権太坂頂上の武蔵国側で東方向へ曲がっていく路線である。その1つが、港町終着・関内駅始発となる"79"系統であり、毎時3本以上運転される。平日昼間のみ1時間に1本南区総合庁舎を経由する"199"系統として運転される便がある。混雑時間帯には関内駅側の折り返しが変則(ループ状)となる便も存在するが、"79"系統の一種である。もう1つは”79"系統と同じルートで永田町の住宅街を抜けた後、保土ヶ谷駅/横浜駅西口に至る"53"系統であり、毎時2~3本程度運転である。この出入庫便で、途中で国道1号を外れ、相鉄線星川駅界隈にある保土ヶ谷車庫まで営業運転する便も少数設定されているが、同じ"53"系統を名乗る。なお、土休日の昼間帯は、ほぼすべての便が、保土ヶ谷車庫か横浜駅西口まで直通する代わり、毎時1本の運転となる時間帯がある。
平和台折返場を使う別方向へ行く路線として、"260"系統境木地蔵尊経由東戸塚駅発着便がある。これについては、次回記事で取り上げ予定の、地点O境木地蔵尊界隈を通過する路線でもある。
平和台で折り返さず国道1号線を抜けていく系統は、神奈川中央交通の担当である。東戸塚駅へ向かう系統は横浜駅西口発着の”横17"系統が主力であり、毎時3~4本の頻発運転である。この系統の途中で折り返す、保土ヶ谷駅発着の"205"系統/水道道発着の"東21"の各系統が、平日朝混雑時間帯にのみ少数運転される。
戸塚駅まで向かう系統は、保土ヶ谷駅発着の"戸38"系統がメインであるが、土休日の昼間帯は約半数が途中の「不動坂」折返しの"保08"系統となる。こちらも両者合わせて毎時3~4本の頻発運転である。平日早朝に1日1往復だけ横浜駅西口発着の"横46"系統がある。
この他に、平戸で国道1号線を離れ「芹が谷」発着となる"77"系統が横浜駅東口発着で運行されている。毎時1本程度の運転である。
おまけ
探索の最中には、思わぬ風景に出会うこともある。古の旅人たちも同じような気分を味わったのであろうか?
蛇足
横浜市港南区関連の国境越え3箇所をまとめた時と同様、横浜市南区関連の国境越え路線3箇所をまとめて1つの記事にしてみた。各々がボリュームがありすぎて、結果として膨大な作業量になってしまった。個別の記事にしてもよかったかも?