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境界を越えるバス/[特別編2]都県境編10.5/淵24系統津久井道柿生鶴川旧村境

東京神奈川都県境編10.5(多摩丘陵編5.5)
2025年1月現地調査
2025/02/20 初版公開

データ類は特記なき限り2025年1月現在のものです。
画像・写真類は特記なき限り筆者自ら作成・撮影したものです。

今回の記事でお届けするのは、津久井道の旧都筑郡柿生村/旧南多摩郡鶴川村境にて都県境を越える、土曜日のみ1往復=週1往復運転の路線です。2025年3月一杯で廃止されるという情報を入手したので、改めて調査に行ってきました。付近の路線もあらためて合わせて紹介します。


現場の位置概略。ベース地図は freemap.jp より。

これまでのいきさつ

 以前の記事でも述べたが、シリーズ『境界を越えるバス』の記事では、運転本数が極めて僅少である路線は対象外としてきた。具体的には、1日1往復平日のみの運転となる路線までは対象とするが、土休日のみ1日1往復=ほぼ週2往復より運転本数が少ないものは、走行風景の撮影が困難であるため、対象外としてきた。
 今回紹介する"淵24"系統淵野辺駅北口~登戸土曜のみ1往復が運転される路線である。以前に片道通しで乗車したことはあるが、神奈川県川崎市柿生地区と東京都町田市鶴川地区の間にある、津久井道=東京都道・神奈川県道3号世田谷町田線)の都県境越境地点での画像は撮影できていなかった。この"淵24"系統も2025年3月一杯で廃止(土曜日のみの運転なので最終運行日は3月29日になる見込み)されるという情報が入って来たので、現地調査を実施。片方向のみであるが、走行風景を撮ることができた。その画像と合わせて、前回記事で説明が中途半端になっていた路線群、特に津久井道より南側の川崎市麻生区上麻生エリアや、町田市三輪エリアを走るバス路線についても、合わせて解説を行う。
 場所の紹介などは、境界を越えるバスシリーズの記事のうち、都県境編10/鶴川街道真光寺周辺の末尾と、都県境編11/町田市三輪地区周辺の冒頭でも記している。参考のため、これらの記事へのリンクを貼っておく。場所が東京神奈川都県境編10と11の記事の場所の中間に位置するので、通し番号を10.5とした。また、多摩丘陵編としては5と6の間なので5.5としている。

越境するバス路線

現場付近のバス路線と都県境。ベース地図はOpenStreetMapより。
バス路線は本記事で紹介したもののみ掲載。

津久井道で越境する営業路線

 該当する路線は"淵24"系統。経路を東京に近い側から書くと、登戸~新百合ヶ丘駅入口~柿生駅北口~鶴川駅~野津田車庫~淵野辺駅北口となる。前半は津久井道/後半は芝溝街道を主に走る路線である。登戸の神奈川中央交通のバス停は「駅」がつかない停留所名となっているが、登戸駅のすぐ近くにある。担当は神奈川中央交通東の橋本営業所。運用も淵野辺駅から始まって登戸まで1往復する形となる。起終点は神奈川県内であるが、中間で東京都町田市を走る。このうち、淵野辺駅近くで東京都町田市と神奈川県相模原市中央区の間を越境する地点については、他に複数の系統も通ることから、以前の記事都県境編18「根岸橋と宮前橋」 にて取り上げている。

都県境付近の交差点で停車する"淵24"系統淵野辺北口行。
川崎市麻生区のカントリーサインも見えます。
都県境を越えて町田市側に入った"淵24”系統淵野辺北口行。

 この路線の鶴川駅以西は後述するように並行路線が複数あり、町田街道と交差する根岸交差点のまでの間は、運行本数も非常に多い。一方、鶴川駅以東はごく短い区間重複する路線はあるが、基本的に本系統の単独区間であり、廃止されると路線も無くなる。しかし、この区間は小田急小田原線にほぼ並行していおり、駅間距離が極端に長い区間ではなく(最長で向ヶ丘遊園〜生田間2.1km)、隣駅まで徒歩圏内である。既に週1便の運転であるということもあり、廃止されても影響は僅少であると考えられる。

登戸へ到着し、折り返し準備中の"淵24"系統。
この画像は2024年8月撮影。
登戸バス停の時刻表。この画像も2024年8月撮影。
土曜のみ運行のはずなのに、旧盆期間中は5日続けて運転された模様。
(8月17日は土曜なので本来の運転日)

 この路線の開設時期は不明であるが、1964(昭和39)年の時点ですでに存在している古い路線である。当時は小田急バス生田営業所と共管だったらしく、後述するように生田営業所出入庫便が絡んでいた模様。当時も神奈川中央交通の本来の営業エリアからはみ出す路線であり、向ケ丘遊園への団体輸送・臨時便運転時に活用されたとのこと。
 本系統の区間運転便であり後に"鶴37"系統となる鶴川駅〜淵野辺駅の系統もこの当時から存在した。運転本数は区間運転便の方が多く、こちらが主力であったようである。現在では"鶴37"系統も平日朝に1往復のみの運転となっているが、これは中間の野津田車庫=神奈川中央交通町田営業所にて系統分割された結果である。鶴川駅~野津田車庫間は現在では"鶴33"系統が主力で運転本数も多い。野津田車庫以西は、淵野辺駅に至る”淵23"系統は運転本数があまり多くないが、根岸交差点から町田街道を南下して町田バスセンターに至る"町26"系統が頻繁運転されている。

津久井道で越境する非営業路線

 以前の記事でも少しだけ触れているが、営業路線ではないものの、この地点で都県境を越えるバスは他にも存在する。小田急バスの鶴川駅発着となる路線は新百合ヶ丘営業所が担当しているので、新百合ヶ丘営業所と鶴川駅の間を回送にて出入庫を行っている。この出入庫便が、回送にて津久井道上の都県境を通過する。鶴川駅発着の各系統の他、玉川学園駅周辺を走るコミュニティバス「たまちゃんバス」も新百合ヶ丘営業所担当である。新百合ヶ丘営業所という名前になっているが、場所は新百合ヶ丘駅と柿生駅の双方から同じぐらいの距離である。

都県境付近の交差点を通過する、おそらく鶴川駅から新百合ヶ丘営業所への回送便。
時間は朝混雑時が終わった頃。
川崎市麻生区へ入った、新百合ヶ丘営業所への回送便。
都県境はバスの後輪あたりから手前に斜めに道を横切る模様。
その先に見える青い案内標識は麻生通りの入口。
2023年3月撮影。夕方の混雑時間帯の回送便。

 鶴川駅発着となる小田急バスの各路線は、大元はよみうりランド前駅近くにあった生田営業所が担当していた。この当時は生田営業所~鶴川駅という出入庫路線が存在し、営業運転にて津久井道上の都県境を通過していた模様。1983(昭和58)年に町田市野津田に町田営業所が新設されると、鶴川駅発着と柿生駅発着の路線が移管される。この場所は、現在の神奈川中央交通町田営業所に隣接していた。出入庫は回送にて行われたため、都県境を越えるのは柿生駅発着系統の出入庫回送のみとなる。
 2017(平成29)年から、新百合ヶ丘駅発着系統の一部が登戸営業所から町田営業所へ移管されると、柿生駅との間の回送便に加え、新百合ヶ丘駅への回送便も都県境を越えるようになる。2022(令和4)年、町田営業所を移転する形で新百合ヶ丘営業所が開設される。新百合ヶ丘駅発着便と柿生駅発着便の回送は都県境を越えなくなった代わり、鶴川駅発着便の出入庫が都県境越えの回送となり、現在に至る。
 なお、生田営業所は2013(平成25)年に移転して登戸営業所となっている。登戸営業所は多摩川のほとりにあり、多摩水道橋からほど近い所であるが、多摩川を渡る都県境越え路線は、回送も含めて存在しない。ただし、別な場所(例:よみうりランド正門前付近や、下平尾周辺)で都県境を越える営業路線は存在している。

麻生川沿いにて都県境に接する路線

 津久井道/小田急小田原線を横切った都県境は、尾根筋を失った後は非常に狭い水路(一部暗渠?)を経て、真光寺川の旧流路(藤ノ木川の別名あり?)へ合流、その後に合流する麻生川を辿るようになる。この区間で麻生通り(神奈川県道12号横浜上麻生線)と並走するが、この区間には柿生駅北口発着となる運行本数が非常に多いバス路線が通っている。"柿22"系統柿生駅北口~桐蔭学園が主力であり、区間延長便に相当する"柿23"系統柿生駅北口~市が尾駅と、運行本数が少ない"柿25"系統柿生駅北口~寺家循環が存在する。いずれも小田急バス新百合ヶ丘営業所が担当、営業所と柿生駅北口間は回送されている。なお、”柿23"系統は2023年8月までは東急バス虹ヶ丘営業所と共同運行であった。
 これらの路線が、都県境となっている麻生川に最接近するのは、亀井バス停の少し南側、麻生団地入口交差点付近である。交差点直近で麻生川に架かっている橋は三上橋である。いずれの系統も、柿生駅から麻生通りの入口となる上麻生交差点までは津久井道を走る。上麻生交差点からは前節で説明した都県境越境地点は容易に見通せる距離であるが、三上橋近くの方がより都県境に接近している。

麻生川(画面左側)=都県境との並走区間に入る"柿22"系統柿生駅北口行。
麻生団地入口交差点にて。この画像は2023年3月撮影。
画面右側に写るのは"柿23"系統市が尾駅行。
撮影日は2023年3月なので、東急バスもまだ担当していた時期です。
上麻生交差点にて津久井道へ右折する"柿22"系統柿生駅北口行。

 以前は神奈川中央交通町田営業所が担当する、土曜日のみ1往復運転されていた"柿26"系統若葉台駅~柿生駅北口~市が尾駅という路線も存在したが、近隣の"柿27"系統若葉台駅~柿生駅北口や”鶴22"系統鶴川駅~若葉台駅~調布駅南口ともども、2024(令和6)年3月16日付のダイヤ改正で廃止された。いずれも土曜日のみ運転路線であったため、最終運行日は3月9日であった。神奈川中央交通町田営業所の担当。運用は、鶴川駅から"鶴22"系統で調布まで1往復→柿生駅北口まで回送→"柿27"系統で若葉台駅へ→"柿26"系統で市が尾駅往復→"柿27"系統で柿生駅北口へ→回送で鶴川駅もしくは町田営業所へ、となっていたらしい。

"柿26""柿27"系統がまだ残っていた頃の柿生駅北口バス停(津久井道上)の時刻表。
3系統=3本とも土曜日のみ運転であることに注目。2023年3月撮影。

 ちなみに、この付近の都県境の町田市三輪町側には、"鶴01"系統鶴川駅~フェリシアこども短期大学が入ってきている。後述する藤の木交差点から南下してくる道であるが、バス路線は鶴川駅を出るとすぐに東側の陸橋を南下して小田急線と鶴見川を越えた後、岡上から東→北に走って再度鶴見川を渡って右折してこの道に入る、という、少々、ややこしいルートを通っている。この道は直進すると上述した三上橋に繋がっているが、バス路線はその手前で右折、三度鶴見川を渡って三輪地区の中心部方面を目指す。
 上述した三上橋の町田市側にあるホームセンターの中には、都県境を越えるが最寄となる亀井バス停の時刻表と共に、都県境を越えずに行ける本系統の下三輪入口バス停の時刻も張り出されている。

鶴見川を渡る”鶴01"系統フェリシアこども短大行(2023年3月撮影)。
2度目の渡橋箇所で、鶴見川左岸へ戻ります。橋の名前は精進場橋。
正面の交差点を左に行くと藤の木/右に行くと三上橋へとつながります。

津久井道の東京都町田市側で都県境に最接近する路線

 都県境に最も近い津久井道上の町田市側から路線バスがやってくる交差点は、藤の木交差点になる。上述した柿生駅から麻生通りへ向かう上麻生交差点と異なり、都県境から見通せる距離ではない。ちなみに、藤の木交差点から南へ進むと、能ヶ谷町と三輪町の境界の先で数十mほど、三輪地区の南側をぐるっと回って来た後の都県境を、逆方向に辿る(こちらの方が近い)。

藤の木交差点。左右方向が津久井道。この画像も2023年3月撮影。
"鶴10"系統千都の杜循環線は、左から来て奥へと進みます。

 この交差点にやってくるのは"鶴10"系統鶴川駅~千都の杜循環であるが、反時計回りのみの片循環であるので、鶴川駅からやってきて千都の杜方向へ左折していく方向にのみ運行される。小田急バス新百合ヶ丘営業所と神奈川中央交通町田営業所の共同運行である。循環ルートも都県境から適度な離れた道を通るため、都県境が見通せる地点は無い。運行本数は毎時1~2本程度で、日中は1時間間隔となる時間帯が多い。片方向の循環線であるため、実質的な本数が2倍になることが期待できない。
 千都の杜エリア自体が、平成中期以降に開発された地域である。東京都町田市側と神奈川県川崎市麻生区側で独立に宅地開発された結果、都県境での道路のつながり具合がかなり歪な状態になっており、特に町田市側の幹線道路っぽい広い道が都県境にてぷっつり切れている箇所が散見される。
 なお、このルートが、鶴川駅から北方に向かっているバス路線の終点から、直接、新百合ヶ丘営業所へ回送で出入庫する際のショートカットルートになっているという情報もあるが、詳細は未確認である。

”鶴10”系統千都の杜循環線の千都の杜中央バス停。
この奥、数百mで都県境なのですが、それっぽい雰囲気はありません。
バス通りを外れてさらに奥に行った地点。
そこそこ太い道が、道幅半分削られた先で行き止まりに。その付近が都県境。
その先に見える赤い屋根の家へ行くには、かなり迂回する必要あり。

周辺の地形と自治体の変遷

地形と都県境

鶴見川合流点までの麻生川・都県境と周辺バス路線。
都県境が麻生川から外れる付近から南側は、概ね鶴見川旧流路です。

 越境地点では津久井道が都県境の尾根筋末端を横切る形になっているが、丁度尾根筋が消失する地点でもあり、津久井道より南側には尾根筋が存在しない。なお、津久井道が小田急線の山側を並走するようになったのは第二次世界大戦後であり、それ以前は都県境付近は尾根末端を迂回するように東側に張り出していた。昭和初期に開通した小田急小田原線は、これを貫くような線形で開通している。柿生駅付近は東側を通っていた模様。都県境尾根の両側はいずれも鶴見川水系に属するため、鶴見川本流に行く手を阻まれて尾根筋が消失している、と見ることもできる。

津久井道南側から見た尾根末端部。
左側=北側だけ切通になっているのが良く解ります。
津久井道上から見る、小田急線を横切る都県境方向。尾根は完全に消失。
白い建物(変電所)のすぐ左側の細い水路?を都県境は辿っています。
津久井道の旧道は変電所の向こう側を通っていた模様。
上麻生交差点北側の様子。2023年3月撮影。
都県境から幾分東側ですが、尾根末端部っぽいものはあります。

 都県境尾根の神奈川県川崎市側片平川の流域である。ただし、柿生駅の西側直近にて麻生川と合流するので、名称不明の橋で津久井道を潜る段階では麻生川の流域となっている。数百m下流で後述する真光寺川旧流路と合流する地点から都県境を引き継ぐ。津久井道交点から2km弱下流側にて鶴見川と合流するが、この付近は麻生川も鶴見川も流路直線化が行われており、都県境は鶴見川旧流路に沿っている。

ちょっと判り難いですが、川の中に岩がある辺りが、片平川と麻生川の合流点。
片平川が左から橋を潜って流れ込んできています。
真光寺川旧流路と麻生川の合流点(2023年3月撮影)。
都県境は奥から来て左手へと進んでます。
鶴見川(左)と麻生川(右)の合流点。
都県境が辿る旧流路は画面の遥か左側です。
上流側から見た鶴見川(右)麻生川(左)合流点。
水辺へ下りる階段があります。2023年3月撮影。

 東京都町田市側は真光寺川の流域である。現在の流路は津久井道を矢崎橋で潜ると、400mほどで鶴見川に合流する。合流する約150m手前で、旧流路が左岸側に分岐するが、接続点は完全に区切られている。この前後で三輪地区の南側をぐるっと囲んできた都県境を辿っている。都県境を分離した先で、旧流路は数百mの間旧能ヶ谷村エリアと旧三輪村エリアの境界となった後、上述したように尾根を失った都県境と合流。以降、激しく屈曲を繰り返した後、麻生川と合流する。

真光寺川と旧流路、鶴見川合流点付近の都県境の様子。
ベース地図はOpenStreetMapより。
右側で図の下(南)の方へ一旦下って行った都県境が、
左側の下から上がってきて、紆余曲折を経て左手(西)へ抜けます。
真光寺川旧流路を2回(互いに逆向きに)辿るのがポイント。
鶴見川(左)と真光寺川現流路(右)との合流点。2023年3月撮影。
この付近の鶴見川流路は、明治以降は大きく変わっていません。
合流点は、川崎市麻生区岡上地区になります。
真光寺川旧流路の分岐点。2023年3月撮影。
白い看板の左側で画面奥へ向かって分岐するのですが、完全に塞がれています。
都県境は奥から出てきて左手へ。左奥が町田市、それ以外は川崎市麻生区岡上。
真光寺川旧流路から見た現流路方向。
もう完全に繋ぐつもりは無さそう。2023年3月撮影。
尾根を失い小水路を辿って来た都県境が、真光寺川旧流路に合流する地点。
いくつか前の画像の、小田急線を横切る都県境の続きになります。
都県境は奥から右手前へ。2023年3月撮影。

自治体の変遷

 周辺自治体の変遷については、以前の記事で説明しているので、本記事では簡潔に述べる。
 現代の神奈川県川崎市麻生区柿生地区側は、江戸期には武蔵国都筑郡上麻生村で、1889(明治22)年の町村制施行で神奈川県都筑郡柿生村大字上麻生となったエリアである。1939(昭和14)年に川崎市に編入。1972(昭和47)年の政令指定都市移行時に多摩区→1982(昭和57)に分区で麻生区となっている。上麻生の地名は一貫して残っており、1984(昭和59)年より住居表示が実施されているが、全域には及んでいない。
 現代の東京都町田市鶴川地区側は、江戸期には武蔵国多摩郡能ヶ谷村であった。真光寺川旧流路より南側は三輪村である。1889(明治22)年の町村制施行に伴う合併で神奈川県南多摩郡鶴川村大字能ヶ谷・三輪→多摩地区の東京都移管→1958(昭和33)年に合併により東京京都町田市能ヶ谷町・三輪町となり現在に至る。
 ちなみに、鶴川駅付近の小田急小田原線は何度も都県境を跨いでいるが、津久井道や鶴川街道など、小田急線の北側でバス路線が通る道路は、全て東京都町田市側に収まっている。

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