境界を越えるバス/旧国境編5/横浜市港南区内(旧久良岐郡日下村・鎌倉郡永野村境)
武蔵相模国境編その5
2022年10月現地調査(複数回)実施
2022年10月21日初版公開
この記事のデータ類は2022年10月時点のものです。
またこの記事の画像類は筆者自ら撮影・作図したものです。
境界を越えるバスの旧国境編、ついに市町村境どころか(行政)区境ですらないエリアに突入です。ただし、横浜市が合併で拡大する前は、久良岐郡と鎌倉郡の郡境だった区間で、現代でも概ね東京湾と相模湾の分水嶺になっている場所です。
横浜市港南区の来歴
横浜市内を南北に武蔵国と相模国の国境が縦断していることは、地元在住の方か地理歴史にそこそこ詳しい方であればかなり周知度が高い事実と思われる。たいていの箇所は現代においても区界になっているが、港南区では国境が区内を縦断するという状態になっている。
まずは、神奈川県内/横浜市内における武蔵国/相模国の範囲図を示す。
このような事態になった原因は、明治~昭和前期にかけての横浜市の拡張政策にある。横浜市が、当時の東京市と同様、お隣の川崎市と競う(??)ように周辺の郡部を合併して拡大していった過程については、色々なサイトで取り上げられているので、この記事では現代の港南区周辺に相当するエリアに絞って解説する。
江戸時代において、現代の港南区の東部は武蔵国久良岐郡/西部は相模国鎌倉郡に属していた。この境界は概ね三浦半島中央分水嶺の延長に沿っており、久良岐郡側の河川は江戸湾/鎌倉郡側は相模湾に注いでいた。明治初期の廃藩置県では、紆余曲折を経て全域が神奈川県となるが、郡についてはそのままとされた。1889(明治22)年に本格的に町村制が施行されると、久良岐郡側には北部に大岡川村/南部に日下村が、鎌倉郡側には永野村が周辺の村の合併により成立している。
1911(明治44)年、横浜市の第2次市域拡張時に、大岡川村の北部(江戸時代に堀之内村、井土ヶ谷村、蒔田村、弘明寺村、下大岡村であったエリア)が横浜市に編入される。何故、大岡川村全域を編入しなかったのかは不明であるが、1927(昭和2)年4月に大岡川村の残りの部分(江戸時代に上大岡村、永田村、引越村、中里村、別所村、最戸村、久保村であったエリア)も南隣の日下村と同時に横浜市に編入される。その年の10月に横浜市が区制を採用、大岡川村のエリア全域は中区の一部とされる。日下村は西部(江戸時代に日野村と坂下村だったエリア)のみが中区に属し、それ以東の部分は磯子区の所属となっている。現代の中区はみなとみらいエリアがメインとなっているが、成立当初は内陸部の方まで広がっていた広大な区であった。
1936(昭和11)年、横浜市は郡境を越えて鎌倉郡永野村を合併、中区の一部とする。流石に広すぎたためか、西南に張り出している部分を1943(昭和18)年に南区として分区。更に1969(昭和44)年に、大岡川村南部(概ね1927年に合併したエリア)/日下村西部(中区→南区になっていたエリア)/永野村ほぼ全域を港南区として分区して現在に至る。かくして、現在の港南区の西端は、往年の永野村西端とほぼ一致する。
ちなみに、永野村以外の相模国鎌倉郡エリアに属する村は、現代で鎌倉市・藤沢市になっているエリア以外(北部の戸塚町、中川村、川上村、豊田村、本郷村、中和田村、瀬谷村、大正村)は、1939(昭和14)年4月の第6次市域拡張時に横浜市に編入され、一括して戸塚区とされた。瀬谷区・栄区・泉区はそこから分区されているため、これらの区は全域が相模国であり、区内を国境が横切る場所は、原則として存在しない。ただし、集落の実態などに合わせて微小に区境を変更した場所などで、区内を国境が(ほんの少し)横切る例がある。
残りの鎌倉郡内の町村は、1939(昭和14)年11月に鎌倉町と腰越町が合併して鎌倉市が発足。西部の村岡村が1941(昭和16)年/片瀬町が1947(昭和22)年に各々藤沢市に編入された。最後まで残った深沢村と大船町も1948(昭和23)年に鎌倉市に編入され、鎌倉郡に属する町村は消滅している。
バス路線と国境が交差する地点
国境の両側が港南区となり、宅地開発も進んだため、交差する地点・路線は非常に多いが、具体的な地点名がついていない場所も多々ある。前回記事の「港南区・栄区境」からの連番?にて、南側から順に地点D~地点Jと呼ぶことにするが、目印となるような具体的な地名や建築物があれば合わせて表記する。なお、前回記事で紹介した地点A~Cと、次回記事で紹介予定の地点Kも併せて示しておく。
スタート地点
最初に図には示していないが、武蔵相模国境が区境から分岐する地点の画像を紹介する。現地は宅地開発でかなり地形が改変されているので、だいたいこの辺り、としか見当がつけられなかったのであるが…
ちなみにこの地点は、久良岐郡日下村(手前右)・鎌倉郡本郷村(手前左)・鎌倉郡永野村(奥)の三村境であった地点でもある。
地点D(横浜市道環状3号線:日野南5・6丁目界隈)
この付近は地形の改変が大きいためか、長い坂道の途中で国境が環状三号線を斜めに横断する形になっている。停留所でいうと「野村港南台」〜「つつじヶ丘」間になる。ちなみに「つつじヶ丘」の停留所は坂の頂点にあるが、古地図と重ね合わせてみると明らかに永野村側に入り込みすぎた場所になっている。古い地形図を見ても、永野村側に少し入ったあたりに三角点が設置されていることから、村境が尾根筋を若干外れていたのかもしれない。
通過する路線は、どちらも神奈川中央交通の担当で、"138"系統港南台駅〜本郷台駅が毎時2本、"139"系統上大岡駅〜本郷台駅が毎時1本設定されている。系統番号に頭文字の漢字がついていないが、2006(平成18)年3月までは横浜市交通局との共管路線であった名残である。さらに過去を遡ると、本郷台駅発着となったのは、この付近の横浜市道環状三号線が1998(平成10)年に整備された時で、それ以前は"港38"系統港南台駅発着の循環線/"上39"系統上大岡駅発着の循環線であった模様。この当時は神奈川中央交通単独運行であった。
地点E(野庭住宅南端)
地名になっている「野庭」は「のば」と読む。
横浜市交通局の"188"系統上永谷駅〜野庭住宅循環が、「野庭スポーツ広場前」~「野庭住宅E街区」 〜「わんぱく公園前」付近にて旧国境を掠める可能性がある。直線では表しにくいので、上の地図では★印で表している。
時系列地形図閲覧サイト「今昔マップ on the web」にて、古地図を現代の地図と重ね合わせると、版によっては上記区間で僅かに相模国側から武蔵国側にはみ出す場合がある。具体的には明治36年測図版の地理院地図と重ね合わせると武蔵国久良岐郡側にはみ出しているが、大正10年以降測図版と重ね合わせると相模国鎌倉郡永野村の範囲に収まっている。現代の港南区野庭町は全域が相模国鎌倉郡側であったはずなので、明治36年測図版は地図上での作図誤差であった可能性が高い。
現場付近の地形も大きく変わっているが、武蔵国側に少しだけ入り込むと切り立った崖に近い地形になっており、その手前に国境はあったと推定される。「国境を極める路線」として独立させる記事にするほどの内容はなさそうなので、本記事の1節として紹介する。
路線自体は2021年7月に新設された路線で、1時間に1本程度、左回りのみの循環線である。相模国側からきて相模国側へ抜ける路線である。
地点F(横浜市道舞岡上郷線:日野8・9丁目界隈)
この界隈は複数の路線が入り乱れているので、次の地点G絡みの路線と合わせて、現場付近のバス路線の概念図を載せておく。
横浜市道舞岡上郷線は、清水橋の交差点にて鎌倉街道=神奈川県道21号線から野庭団地へ入るメインストリートの1つで、南へ下れば港南台駅へとアクセスできる。南下しすぎると横浜市道環状3号線を越えて以前の記事で書いた地点A(横浜栄高校近傍)を越えて、本郷車庫東側の「神奈中車庫前」交差点で神奈川県道23号線に突き当たる。
国境は地点D同様、坂道の途中で斜めに横切っているが、地点Dと異なりこの区間は深い掘割になっている。本記事のトップ画像は、坂の頂点にある歩道橋の上から、国境が横切っている掘割を見下ろして撮ったものである。
尾根断面を観察すれば場所の特定が比較的やりやすいはずなのだが、尾根上も地形の改変がなされているようで、現地にて現場の特定は難しかった。「金井谷」の停留所は完全に武蔵国側にあるはずので、バスを降りたら坂道の上の方を見てみるとよいかもしれない。
この地点を通るバスの主力は横浜市交通局による"45"系統である。この地点を通る便はJR根岸線港南台駅~横浜市営地下鉄上永谷駅間を結ぶ路線が基本であるが、一部に港南台駅を越えて洋光台駅までいく便や、上永谷駅を越えて京急ニュータウンまで直通する便もある。両方に直通する便は存在しないが、末端部の区間運転便も含めてすべて"45"系統である。毎時3~5本程度の運転。国境を越えた次の停留所は、坂を上り切った地点にある野庭団地交差点を左折、すずかけ通りに入った先の「みやのくぼ」である。この方向の最終便のみ交差点を直進して「野庭団地東口」を経て「野庭中央公園」で終点となる。早朝には逆方向となる「野庭中央公園」始発が1本だけ存在する。早朝便は洋光台駅行だが、深夜便は港南台駅発であることに注意。
もう1つ、この地点を通るのは、同じく横浜市交通局の"130"系統で、港南車庫~上永谷駅間の出入庫系統である。本数も1時間に1本あるかないか程度で、早朝の入庫便や夜間の出庫便は存在しない。坂の頂点付近の野庭団地交差点は直進し、国境を越えた次の停留所は「野庭団地東口」になる。
地点G(すずかけ通り:日野6・7丁目界隈)
上述した野庭団地交差点を東西に横切る道がすずかけ通りで、武蔵・相模の国境とほぼ並走しているが、掘割となっている横浜横須賀道路を越えた先、国境が北寄りに方向へ変える地点でこの道路と交差する。道路そのものは、その先、日野公園の西側の野庭団地入口交差点にて、鎌倉街道=神奈川県道21号線に突き当たる。
この地点を通るバスは、横浜市交通局による"51 / 52"系統で、いずれも京急線上大岡駅~野庭中央公園を結ぶ。"51"系統の方が主力で、野庭団地地区を半周してから元々車庫があった野庭中央公園に向かうのに対し、"52"系統は野庭団地交差点を右折してショートカットルートで直接野庭中央公園へ向かう。"51"系統は終日にわたって毎時5本以上運転されるが、"52"系統は平日朝混雑時のみの運転である。
この区間には、もう1つ、横浜市交通局"112"系統洋光台駅~上永谷駅も通る。毎時1~2本程度の運転で、野庭団地内は"51"系統と同様、団地内を半周した後に上永谷駅方面へと向かう。最終便のみ「野庭中央公園」止まりとなるが、野庭団地を半周した後に終点へと向かう。逆方向の「野庭中央公園」始発は、土休日の朝にのみ、1本だけ存在する。
地点H(日野4・6丁目界隈)
神奈川中央交通舞岡営業所が担当する上31系統上大岡駅〜下野庭三田循環は、2011年10月から2か月間の実証運行の後、2012年4月より正式運行となった新しい路線である。交通空白地帯であった日野ヶ丘エリアを埋めるような路線設定となった結果、国境を越えて宅地開発が進んだエリアに路線を延ばすことになった。運行本数は1時間に1~2本程度。自分が乗った便はかなり混雑していた。
実際に乗ってみて思ったのだが、住宅街の中を先へ抜けられる道を選んで右左折を繰り返し、おまけに急坂を登ったり降ったりと、運転手さんにとっては非常に大変な路線である。使用車両もマイクロバスサイズではなく、普通に見かけるタイプ(の中でも小型の方ではあると思うが)である。
「日野サザンポート前」〜「公務員住宅中央」間にて国境をこえるのだが、現地調査に行くまではどこが国境なのか判然としなかった。しかし、現地で、今昔マップ on the web を使って古地図と現在位置を重ね合わせて、概ね位置を特定できた、と自分では思う。
地点I:永作(横浜市道17号環状2号線)
本記事では初めて出てくる、主要地方道にして横浜市道17号環状2号線が通る。政令指定都市の場合に限り、市道でも主要地方道に成り得る。バス停では「下車ヶ谷」〜「永作」間になるが、地点名としては、ほぼ、永作である。この地点も武蔵国側が掘割になっているので、尾根断面からある程度地点を特定できる。ちなみに、坂の頂点付近は、地点D同様、かなり鎌倉郡永野村側に入り込んだ地点になっている。
経由するバス路線は、全て神奈川中央交通の担当。1つは循環路線である"30"系統上大岡駅〜上永谷駅〜芹が谷〜上大岡駅。2006(平成18)年までは横浜市交通局と共管だったため、系統番号の頭文字の漢字が無い。日中は毎時3本程度の運転である。循環線なのでどこかでもう1度国境を超えるのだが、それは次記事のK地点になる。元々は、神奈川中央交通は循環線のみを担当していたが、全便が神奈川中央交通に移管されている。この地点を通るのは「芹が谷」にて起終点となる便も多々あるので、目的地まで行くかどうかは確認が必要。この変則便で"港95"系統港南台駅〜上永谷駅〜芹が谷〜上大岡駅となる便が、平日朝に片道1本のみある。
もう1つは"舞01"系統上大岡駅〜上永谷駅〜舞岡。2012(平成24)年に新設された路線である。舞岡営業所に出入庫するための系統であるため、ほぼ終日にわたって運行はあるが、時間帯により本数に偏りがある。ちなみに、"30"系統の上大岡駅~永作~上永谷駅の区間運転便は、一旦は"舞01"系統に統合されてた後、現在では運行がなくなっている。
地点J:横浜市立南高校界隈
この地点は、国境上の道を複数のバス路線が複数の方向から入り込んでおり、説明が少々ややこしくなってるので★印で示している。まずは、国境とバス路線の関係を図に示したので、ご覧いただきたい。
神奈川中央交通舞岡営業所が担当するこの界隈で国境越えとなる路線は、"71"系統上大岡駅〜南高校前~芹が谷〜上大岡駅と、"上202"系統上大岡駅〜南高校前~下永谷〜東戸塚駅である。「室の木」〜「月見ヶ丘団地」〜「南高校前」で国境を辿り、「月見ヶ丘団地」の停留所は国境上になる。両方合わせて毎時4本程度の運転である。
"71”系統は前節で述べた"30"系統の経路違い循環線で、やはり「芹が谷」発着便が多数ある。"30"系統と同様、2006(平成18)年までは横浜市交通局と共管であった。"上202"系統は、神奈川中央交通が独自に開設した路線で、"71"系統の循環区間の南半分と同じルートを走るが、その先はさらに西に向かって東戸塚駅に到達する。次記事で説明する、別ルートで上大岡駅~東戸塚駅を結ぶ”203”系統の姉妹的存在である。
なお、横浜市交通局のバス路線には、"上"の文字が付かない単なる"202"系統が存在する。走るエリアは全く異なっているが、留意しておいたほうが良いかもしれない。漢字+数字の系統番号記号の場合、数字部分は1〜2桁であることが原則で、漢字の後に3桁数字がつく例は極めて少なく、以前の記事で紹介した"大109"系統のように、なんらかの意図がある場合が多い。本系統は上で少し触れた"203"系統の姉妹系統であることを解りやすくした、と考えられる。
京浜急行バス杉田営業所が担当するこの界隈で国境越え路線は、"上1"系統上大岡駅〜南高校前である。国境上を走るのは「久保坂」〜「桜台」〜「南高校前」で、「桜台」の停留所が国境の路上にある。武蔵国側からきて相模国へ入って終点となるので、れっきとした国境越え路線である。上大岡駅と横浜市立南高校をほぼ最短経路で結ぶ。1965(昭和40)年に開設された比較的古い路線で、日中は毎時4~6本程度運転される。
まとめ
以上、港南区内を武相国境が縦断している区間で、バス路線が国境を越える(あるいは国境に隣接する)8箇所を紹介した。
スタート地点の画像があるのに、ゴール地点の画像がないのは、単に調査が追い付いてないだけである。旧国境シリーズの次回記事で紹介するK地点:水道橋をはじめとする、横浜市南区絡みの3地点と合わせて調査に行く予定である。