境界を越えるバス/旧国境編7/旧橘樹・都築・鎌倉郡三郡境=現横浜市保土ヶ谷・戸塚区境付近
2022年11月現地調査
2022/11/17初版公開
2022/11/20改訂版公開
この記事のデータ類は2022年11月現在のものです。
画像類は特記なき限り著者自ら撮影・作画したものです。
前回記事から、何とか(??)横浜市の(行政)区境に復帰した武蔵・相模国境ですが、横浜市内を往く区間はまだまだ続きます。相模国側は相変わらず鎌倉郡ですが、武蔵国側が武相国境編その1から続いていた久良岐郡を抜け、橘樹郡と都築郡がかかわっています。
現場の来歴など
今回紹介する2箇所は、まだまだ横浜市内であるが、保土ヶ谷区と戸塚区の境界となる。2箇所とも地点名はつけられるが、これまでの記事との関連性から、地点O:境木地蔵尊界隈/地点P:横浜ゴルフ場下、とする。なお、地点O付近では、国境稜線上の道路をそこそこの区間バスが通り、複数の方向に分岐・合流しているので★印で示している。
境木地蔵尊界隈(地点O)
地点Oの中心にある境木地蔵尊は、江戸時代に整備された本来の東海道が武蔵国から相模国へ国境を越える地点である。由来については後述する。
港南区を南北に突っ切ってそのままの勢い?で北上してきた分水嶺でもある国境稜線は、この区間でバス通りと合流して東西方向に向きを変え、ここから地点(区間??)Oが始まる。やがて保土ヶ谷宿から元祖権太坂を登ってきた東海道と合流。この交差点に横浜市営バスの「境木中学校前」の折り返し場がある。東海道は暫くの間国境の分水嶺をたどり、境木地蔵尊の前で国境稜線から離れて相模国側へ降り、現代の東戸塚駅のやや東側を経由して戸塚宿を目指していく。こちらは焼餅坂という名称がついていたらしいが、これは境木地蔵尊周辺に存在した茶屋が、名物として焼いた餅を出していたことに由来する。横浜環状2号線を越えた先でバス通りは東戸塚駅方面へ下っていき地点(区間??)Oが終わるが、国境稜線の分水嶺は北西方向に伸びて行き、地点P方面へと向かう。
横浜ゴルフ場下界隈(地点P)
これに対し、地点Pの横浜ゴルフ場下は、現代の東海道=国道1号線のバイパスである横浜新道が、連続した掘割にて国境を越えていく地点にある。横浜新道は、開通当初は地域生活道路の役割を兼ねていて、多くの暫定出入口=ガードレールの切れ目っぽい雰囲気のところで側道っぽい近隣の道路と接続するような場所が多数存在した。2001(平成13)年9月に改良工事&完全有料化が完了、側道も整備されたため、暫定出入口は一部が整備の上正式なインターチェンジに格上げされたが、他はすべて閉鎖された。現代では高速道路並み?のほぼ自動車専用道となっている。今井インターチェンジ以東は125ccクラスの小型自動二輪も通行禁止で、それ以上の排気量の自動二輪車には二人乗りに関して制限がかかる。今井インターチェンジ以西は50ccの原動機付き自転車も通行可能であるが、歩行者や自転車等の軽車両は全線通行禁止である。
なお、地点名の「横浜ゴルフ場下」はバス停名からとったが、実際には横浜新道を挟んだ反対側にゴルフ場は広がっており、掘割になっている横浜新道上のバス停が、実際の位置関係をあらわしている。ちなみに、ゴルフ場の正式名称は「横浜カントリークラブ」、その運営・所有会社名が「横浜国際ゴルフ倶楽部」である。横浜新道を越える「国際ゴルフ橋」は会社名の方に由来すると思われる。
地点O境木地蔵尊の武蔵国側は江戸時代から橘樹郡保土ヶ谷町であった。相模国側は東海道が鎌倉郡平戸村と品濃村の境界となっていた。地点Pは、武蔵国側は都築郡今井村の南端近くになる。相模国側は鎌倉郡品濃村である。1889(明治22)年の町村制施行時に、保土ケ谷町は周辺の町村と合併しているが保土ケ谷町の名称はそのままである。今井村は都築郡の周辺町村と合併して二俣川村となる。相模国側はどちらも合併で鎌倉郡川上村となる。1927(昭和2)年に4月保土ケ谷町は横浜市に編入され、同年11月に横浜市での区制導入で保土ケ谷区となる。1939(昭和14)年には二俣川村も横浜市に編入、保土ケ谷区の一部となる。同時に鎌倉郡川上村も周辺の鎌倉郡の町村と同時に横浜市に編入、戸塚区が新設された。1969(昭和44)年、保土ケ谷区から泉区が分立し、旧二俣川村の領域はほとんどが泉区に属したが、旧々今井村エリアは保土ケ谷区に残留し、現在に至っている。
したがって、地点Pの近傍に、橘樹・都築・鎌倉の三郡境が存在した。現代の地名では、保土ケ谷区境木町・保土ケ谷区今井町・戸塚区品濃町の接点が該当するが、完全に横浜市内となってしまっている。
ちなみに、武蔵・相模の国境が横浜市内を脱出するのは、現代の都県境と合流し、東京都町田市と横浜市瀬谷区の境界となる区間になる。まだまだ先は長い。
バス路線
境木地蔵尊界隈(地点O)
境木地蔵尊付近を経由するバス路線は、そこそこ長い区間国境の分水嶺上に作られた道を走るので、図にして表す。すべて横浜市交通局の担当路線である。"106"系統が本牧営業所の担当である他は、全て保土ヶ谷営業所の担当である。
整理すると、相模国側の東戸塚駅発着の系統のうち、"210"系統は「境木中学校前」折返場へ入るところだけ武蔵国に入る。同じ"210"系統を名乗る平戸二丁目方面への循環線は国境上の道を走るが、折り返し部分に相当するループ区間は相模国側であるので、実質的に武蔵国には入っていない。開設されたのは、境木中学校前折り返しが1995(平成7)年12月、平戸2丁目方面の循環線が加わったのが1997(平成9)年9月である。両者合わせて毎時4本程度の運転である。ちなみに、本記事のトップ画像は、「境木中学校前」の折り返し場に入ろうとする"210"系統を、国境稜線の尾根上のやや離れた地点から捉えたものである。
"210”系統の他に「境木中学校前」の折り返し場を使う路線に"106"系統がある。"210"系統とは逆方向に折り返し場を出て、国道1号線に出た後は"260"系統と逆に北上、保土ヶ谷駅・戸部駅・桜木町駅・関内駅を経由して本牧車庫まで走る、現代では(市バスとしては)超長距離路線である。元々は横浜市電6系統を始祖に持つ歴史の長い系統であるが、市電が武相国境まで来ていたわけではない。そして国境稜線上を走るが、折り返し場が武蔵国側であるため、完全に相模国側に入っている区間はない。長距離路線にしては運行本数もそこそこ多く、毎時2〜3本程度運転される。
これに対し、"214"系統は境木本町方面への循環ルートで折り返すため、ループ区間が丸々武蔵国側となり国境越え路線といえる。ちなみにこの路線は、元祖権太坂を登って国境稜線へ復帰する。復帰する地点が「境木中学校前」折り返し場のある交差点である。2017(平成29)年10月に試験運行開始、翌年10月から正式運行になった。運転本数は1時間に1本程度。
以前の記事でも述べた平和台折り返し場へ行く"260"系統は、国境が東西方向から南北方向に直角に曲がっている部分を直進して武蔵国へ入る。国道1号線に出ると南下、以前の記事で紹介した地点O:(新)権太坂にて、再度、相模国に戻って終点となる。2014(平成26)年3月末から運転開始された、比較的新しい系統である。運転本数は平日が朝夕/土休日が日中の各々ほぼ1時間間隔であり、あまり多くない。
横浜ゴルフ場下付近(地点P)
多数のバスが走るのは、横浜新道の南側に沿った往復2車線の道である。本シリーズ記事で初登場となる、相鉄バス担当路線である。相鉄バスは、漢字+数字の東京方式の系統記号番号表示を行っているが、漢字の部分は担当営業所を示している点が他のバス会社と異なる。この地点を通る多数派は、旭営業所担当の"旭6"系統東戸塚駅西口~二俣川駅南口である。毎時5~6本の頻発系統である。この界隈の横浜環状2号線が整備された2001(平成13)年に運行開始している。
二俣川駅行は、東戸塚駅周辺から横浜新道の南側側道を走行、地点P付近にある「横浜ゴルフ場下」のバス停を過ぎると、左折して「国際ゴルフ橋」を渡った直後に右折、環状2号線の下へもぐりこみ、こちらの今井インターチェンジから環状2号線に入る。その後も、あちこち寄り道しながら二俣川駅を目指す。東戸塚駅への復路は、この逆ルートを走る。
もう1つの系統が、一部区間で横浜新道を走る"浜17"系統である。"浜"の文字は横浜営業所担当便であることを示す。東戸塚駅西口→今井インターチェンジ→(横浜新道)→藤塚インターチェンジ→(側道)→星川入口→(横浜新道)→今井インターチェンジ→東戸塚駅西口、という変則的循環系統である。昼間帯でも毎時3本程度の運転。横浜新道上に「今井町」「藤塚町(東戸塚方面のみ)」のバス停がある。
この系統は、「横浜ゴルフ場下」のバス停を出ると、交差点を直進し、そのまま横浜新道の今井インターチェンジへと入ってゆく。復路も今井インターチェンジで横浜新道から出るが、入るときには直進した交差点の右側に出てくるため、左折して側道へ入り、「横浜ゴルフ場下」のバス停に停車する。
この変種で運転本数僅少の"浜18"系統は、東戸塚駅に近い川上インターチェンジを使って横浜新道に出入りする。この便のみ「品濃町」「横浜ゴルフ場下」の停留所は横浜新道上のものを使うが、星川方面は土休日の深夜に2便/東戸塚方面は休日の早朝に1便のみの運行である。「横浜ゴルフ場下」の横浜新道上のバス停を視察してみたが、環状2号線併設の歩道から降りる階段こそしっかりしているものの、バス停付近は星川方面は砂埃に塗れ、東戸塚方面は落ち葉と枯れ枝で埋もれていた。
ちなみに、この系統は横浜駅から横浜新道経由で戸塚駅を結ぶ速達便がルーツである。1980(昭和55)年、東戸塚駅の開業とともに東戸塚駅発着に短縮された。当時の横浜新道は片側2車線で、暫定出入口も多く、渋滞が激しくなってきた。この時期に、渋滞などの影響を受けにくい、東戸塚駅~ソニー研究所前(現在の藤塚インターチェンジ付近)間に設定された区間運転便が、現在の"浜17"系統の直接の源流である。1995(平成7)年に藤塚インターチェンジの開設と共に、折り返しできる場所が無くなったため、新設・整備された側道を星川入口まで走って折り返す現在の形態になった。
かくいうわけで、厳密には地点Pは、側道上のものと横浜新道上のものと2つに分かれるが、後者は運転本数僅少な上、実質的自動車専用道上になるため、バス走行中画像の現地取材は辞退させていただきたく...
境木地蔵尊について
Wikipediaにも項目があるが、概要だけ、まとめておく。
東海道が武蔵相模の国境を越えるこの地点に境木地蔵尊が建立されたのは、1659年、江戸時代の初期である。元々は鎌倉の由比ガ浜に流れ着いた仏像が「夢のお告げ」を通じて、紆余曲折あり、この地に安住したものと語り継がれているそうである。元々は良翁寺という寺院の境内にあり、江戸時代には東海道を行き交う人々をもてなす茶屋でこの界隈は繁盛していたらしい。寺院の本堂は関東大震災で被災、以降は無住の状態が続いている(なので御朱印はもらえない?)が、境内はよく整備されている。
門前の広場は2005(平成17)年に整備されたものである。