境界を越えるバス/都県境編16/森野橋
東京神奈川県都県境 境川編その2
2024年7月現地調査
2024/07/28暫定公開/2024/08/01正式公開
データ類は特記なき限り2024年7月現在のものです。
図面・写真類は特記なき限り筆者自ら作成・撮影したものです。
橋の名前は聞きなれないかもしれませんが、町田駅に一番近い路線バスの越境ポイントです。現在では1路線のみが通り、境川西岸の団地内を循環して帰ってくるだけですが、かつては多彩な路線がこの橋を通ってあちこちに向かっていたようです。
森野橋の位置
森野橋は町田駅の西北西約六百mの地点にかかっている。境川のみならず、JR横浜線も跨ぎ越しているが、森野橋の正式な範囲は、境川を越える部分のみである。以下、町田駅と森野橋の位置関係と、今回紹介するバス路線が入った地図を示す。
橋の境川左岸側は、東京都町田市森野2丁目と5丁目の間になる。右岸側は都県境が入り組んでいるので、少しややこしい。森野橋より下流側はほぼ境川=都県境なので、神奈川県相模原市南区鵜野森2丁目である。上流側は都県境が境川右岸に張り出した形になっているため、橋の袂の段階では、引き続き町田市森野5丁目のままである。東京都町田市森野5丁目1~4番地が境川の対岸に飛び出しているためである。都県境の西側は神奈川県相模原市井南区鵜野森1丁目である。
このように、川の対岸に都県境が張り出してしまっている理由は、境川の元々の流路がここを辿っていたためである。洪水対策などで、境川はそこここで流路が直線化されている。ただし、都県境は、流路変更に合わせて直線化された区間もあれば、旧来の流路のままになってしまった区間もある。森野橋下流側は流路直線化に伴って都県境が改訂されていると推定される。
通っている道は神奈川県道・東京都道52号相模原町田線で、町田市内の区間には鎌倉街道の名称がついている。歴代地形図によると、橋前後の道路が、自動車交通に対応した道として整備されたのは1940~50年代のようである。第二次世界大戦前に現在の国道16号線となる道が整備されたのに合わせて作られたのか、戦後復興にて作られたのかは、調査未了である。なお、橋そのものは明治時代以前から架かっていたようであるが、この段階では前後の道は徒歩道であったようである。
経由するバス路線
現存するもの
2024(令和6)年7月現在、森野橋を通るバス路線は、"町06"町田バスセンター~グリーンハイツ循環と、その区間運転便となる"町08"系統のみである。路線形状については、前節の地図を参照されたい。循環系統はほぼ終日、平日が毎時4本/土休日が毎時3本の運転である。区間運転便は町田駅方向が早朝に2本、グリーンハイツ方向は夜間に平日1本土休日2本のみの運転となる。区間運転便は、終点がループ状となった区間の出口手前の柏木公園前/起点は入口入ってすぐのグリーンハイツC2前となる。担当営業所は、これまでの路線とは異なり、神奈川中央交通東の相模原営業所である。
グリーンハイツはいわゆる集合住宅が立ち並ぶ団地で、正式名称は『新原町田グリーンハイツ』である。名前に反して、所在地は相模原市であるのだが、バス路線は2024(令和6)年現在、町田駅方面としかつながっていない。ただし、南西方向にさほど離れていないところを国道16号線が通っており、ここを経由する"相02"系統相模大野駅北口~相模原駅南口が日中は毎時2本程度運転されている。また、後述するように、以前は相模大野方面などに抜けていく路線が色々とあった。
ちなみに、以下で紹介する経路変更されたり廃止されたりした路線の含め、森野橋を渡る/渡った路線の町田駅側は、全便が町田バスセンター発着であり、町田ターミナルまで行かない。グリーンハイツ方面から帰ってきた便は、バスセンター内のロータリーっぽいところで向きを変えた後に降車扱いを行う。必要に応じてここで待機し、車両1台分進んだところにある10番乗り場で乗車扱いする。
経路変更されたもの
以前は、”町09"系統町田バスセンター~古淵駅~国立相模原病院~小田急相模原駅が、古淵駅には入らず、森野橋を渡るルートで運行されていた。グリーンハイツの中へは入っていない。2003(平成15)年12月に古淵駅を経由する現在のルートに変更。現在では区間運転便である"古09"系統古淵駅~小田急相模原駅北口が主力となっている。この系統についての詳細は次記事で解説する。
廃止されたもの
現存する"町06""町08"系統と関係の深いものから記していく。
"町07"系統は、現在の"町06"系統と同じルートで町田駅から来てグリーンハイム内を循環した後、反対側の鵜野森交差点に抜け相模大野駅に至る路線であった。2000(平成12)年4月に開設された系統であるが、運転本数はあまり多くなく、2003(平成15)年12月に廃止された。この前身となったのは"大15"系統(初代)で、相模大野駅からグリーンハイツの入口にあるリリエンハイムまでの循環路線として存在した。相模大野駅側からの循環路線なので、森野橋=都県境は越えない。
更に遡ると原型となった路線として"町01"系統町田バスターミナル~鵜野森~相模大野駅に行き当たる。この時代は町田営業所の担当で、1997(平成9)年に相模原営業所に移管されると同時に系統番号・運行経路の変更を行っている。この路線は1970年の頃にはすでに原型があったようで、路線の南西端は相模大野駅を越えて小田急相模原駅に至っていた。
鵜野森を抜けて更に先に行く路線として、"町04"町田バスセンター~相模原駅南口、"町05"系統町田バスセンター~上溝が存在した。いずれもグリーンハイツ内には入らず、国道16号線との鵜野森交差点へ抜けた後北上するルートとっていた、どちらも1999(平成11)年12月、麻溝車庫開設に伴う路線整理時に廃止されている。
自治体の変遷
森野橋の左岸=東京都側は、江戸時代には武蔵国多摩郡森野村であった。1889(明治22)年の町村制施行に伴う合併で神奈川県南多摩郡町田村となり、1913(大正2)年に町制施行して町田町に。1958(昭和33)年に合併と同時に市制施行して東京都町田市森野となっている。
東京都が境川を越えて張り出している部分を除き、森野橋の右岸=神奈川県側は、江戸時代には相模国高座郡鵜野森村であった。1889(明治22)年の町村制施行に伴う合併で神奈川県高座郡大野村大字鵜野森に、1941(昭和16)年に合併で神奈川県高座郡相模原町→1954(昭和29)年に市制施行して神奈川県相模原市となる。2010(平成22)年に政令指定都市移行で神奈川県相模原市南区鵜野森となり現在に至っている。
近隣の橋~境橋など~
境川に架かる橋の内、町田駅に一番近い所にあるのは、JR横浜線の南口側に出たところにある谷口橋か鹿島橋、千寿橋となる。ただし、JR横浜線町田駅の南口側は、境川の左岸=横浜線側に神奈川県が食い込んでいるため、完全に都県境に架かっているのは千寿橋のみである。鹿島橋は左岸側の袂で都県境が直角に境川に合流。谷口橋は完全に神奈川県内である。従って、駅の建物から出る方向によっては、即、神奈川県相模原市南区上鶴間本町のエリアとなる場合がある。
町田駅の南口側には、2024(令和6)年時点では乗り入れるバス路線はないが、1981(昭和56)年12月から1992(平成4)年3月の間、町田駅南口というバス停があり、後述する2路線が起終点としていた。その後も、町田市金森地区コミュニティバス「かわせみ号」の発着地点として、2009(平成21)年7月~2012(平成24)年9月の間、再設置されていた時期がある。
境川に架かる橋の内、町田駅に一番近いバス路線が通ったことがある橋は、約二百mほど下流側に行ったところにある境橋である。東京都道・神奈川県道51号町田厚木線が通る。神奈川県側には行幸道路の愛称がある。橋は、東京都町田市原町田1丁目と神奈川県相模原市南区上鶴間本町3丁目の間に架かる。
ここを通ったバス路線は2系統あり、1つは"町90"系統国立相模原病院~小田急相模原駅~相模大野駅~町田ターミナルである。町田バスセンターまでは行かなかったとする資料が多いが、詳細は未詳。先述した町田駅南口発着だった時期もある。1970年代頃には、座間駅や相武台下駅まで至る路線だったようであるが、徐々に短縮・減便され、最末期には町田駅方向のみ平日3本の運転であった。1999(平成11)年11月に廃止。
もう1系統は、"林11"系統南林間駅~町田ターミナルであった。この路線も運転本数が減らされた結果、最末期には休日のみ町田駅方向1本の運転であった。2002(平成14)年11月廃止。この2系統は大和営業所の担当であった。この路線も町田駅南口発着であった時期がある模様。