幼い頃の僕と石
保育園に通っていたころから、僕は石が好きだった。
道端で、お寺で、家族と出かけた少し大きめの公園で。
綺麗な石を拾っては気が済むまで大事に握りしめていた。
20年以上前のこと、いまだに覚えている景色がある。
ある日家の近くで見つけた薄くオレンジがかった白い石。
それは幼き僕の石コレクションの中でも上位に入るほどのお気に入りとなった。
そんなに気に入っているなら、家にしっかりしまっておけばいいのに、何を思ったのか僕はそれを保育園にも持っていっていた。
「何を思ったのか」といいつつよくよく考えてみると、どうやらその頃から僕はお気に入りの石を飾るのではなく『持ち歩く』のが好きだったようで、20年以上たった今でも幼き頃のその意思は受け継がれている気がする。
飾るよりも、外に持ち出して眺めて、写真を撮って、持ち歩いていることに謎の幸福感を覚える。
まぁ受け継がれているというよりか成長していないのかもしれないけど。
そんなこんなで、保育園にそのお気に入りの石を持っていっていたわけだけど、これまた何を思ったのか。
僕はそれを砂場に埋めていた。
そしてなんの意外性もない顛末だけど、砂場に埋めたままそのお気に入りの石をなくしてしまった。
泣いていたか、焦っていたか、どのくらい探していたのかも覚えていないけど、ただそのとき石を探して闇雲に砂場を掘っていたあの景色を、僕はいまだに覚えている。
それほどまでに、あの時の僕は本当にショックで仕方なかったんだと思う。
ただ、実際のところなくしてしまったその石は本当にその辺で拾ったただの石だった。
きっと今見たらどこにでもあるような、他愛もない石だった。
海が宿るような色濃いアクアマリンでもなければ、真っ赤なワインを凝縮したようなルベライトでもなく、メルヘンチックな夜を閉じ込めたサファイアの結晶でもない。
本当にただの石。
それでも、あの頃の僕からしたらそれは大事な大事な宝物であって。
もし神様がどんな鉱物でもひとつだけくれるというならば、その何でもないただの石を大人になって僕が集めた大事な鉱物たちと一緒に並べてあげたかった。
なーんてことはなく、そんな神様がいるならそれはもう信じられないほど希少でレアで唯一無二の最高の鉱物をもらうにきまっている。
そしてきっとそんな最高の鉱物を手にした僕は、それをまた外に持ち出して、あっけなくどこかになくすんだろう。
石を探す景色は上書きされて、次はきっと死ぬまで忘れない。
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