私がピアノ講師になるまで①
一般的にピアノの先生になるには、小さい頃からピアノを習い、音大卒業してそのまま先生になると思っている方が多いかもしれませんね。
だけど私の場合、少し違っていました。
今回はそんな話。
音大目指している人、音楽の道に進みたいと思っている人、進路について考え中の人に何かしらヒントになればと思っています。
ピアノとの出会い
ピアノを習い始めたのは、幼稚園年長のとき。
自分から別に習いたいと言ったわけではなく、母が突然ピアノを買ったからです。
母については以前にも記事にしていますが、精神年齢が幼いまま大人になったような人でしたので、周りの同じくらいの年代の子が次々ピアノを習い始めたときに、遅れをとりたくない、うちの子にもさせたい!思っただけのようでした。
母についてはこちらの記事に書いています。
私のレッスン遍歴
初めてピアノを習ったのは、某音楽教室の幼稚園会場でした。
保育時間が終わると、そのまま残ってレッスンが受けられるというので、便利といえば便利。
ただし、保護者同伴が必須だったので、これが母には苦痛でした。半年も経たずにやめさせられてしまいます。
次に自宅まで来てくれる先生に習いましたが、この先生も結婚のため、1年も習わなかったと思います。
さらにその後は音大生。
そして転勤族の父に合わせて転居を繰り返し、小学生の間は短い期間で先生が変わっていきました。
私が中学生になる頃、ちょうど家を建てて広島に落ち着くことになり、新居の近くにたまたま個人経営の小さな音楽教室があったので、ここにお世話になることに。
このことが私の人生を大きく変えることになりました。
ピアノを教えないピアノ先生
初めてこの教室に行った時、応対してくれたのは、目がぱっちり大きくて、真っ赤なマニキュアをし、髪はふんわり巻いている、美人だけどちょっと派手な先生でした。
しかもこの先生、妊婦…
当時はまだ女性がバリバリ働く時代ではなかったし、妊娠中も働くということの方が珍しかったと思います。
しかも他に先生を3人雇っている女性経営者。
子どもながらに、すごいな…と思った記憶があります。
その先生は、少し私のピアノを聴いてから、上級者向けの先生のクラスに入ってもらうと言ったのです。
そしてこの美人先生、
「自分は音大卒ではない、専門学校卒です。だから初級の子しか教えられないんです。」
と恥じる様子もなく、むしろ堂々と言ったのです。
ずっと後になってわかったのですが、この美人先生はピアノ講師というより、人をプロデュースする方が得意だったみたいです。
しかも、元ミス広島。美人のはずです!
このミス広島の経験を活かし、人脈もものすごく広かったので、個人経営ながら様々なイベントを企画していきました。
そのためこの先生の教室はどんどん人気が上がり、生徒数もかなりの数に。
全体の発表会だけでなく、上級者だけの発表会をホテルでランチ付きで行なったり、さらに選抜された子にはプロのオーケストラとコンチェルトをさせたり…
時々音大の先生を呼んで、公開レッスンを開いたり…
子どもを出産しても、赤ちゃんをおぶったまますぐ働き始めるという、パワフルな先生でした。
私のトラウマ克服のために
この美人先生は、早くから私の性格は見抜いていたようです。当時は人前で弾くことが大嫌いという困った性格でした。こちらの記事でも少し触れています。
いつのまにか教室では最年長の生徒になっていた私のために、少しずつステップアップできるように新しい先生を見つけてきて、常に技術の向上をはかってくれていましたが、本番に極端に弱い私のメンタルもどうにかしようとしてくれていたのです。
私と母との関係にも気づいていて、何度か母と話をしてくれたようですが、元々まともな話が通じない母だったので、母との話は諦め、私を直接変えていこうとしたようです。
「人前で弾くことに慣れなさい」
荒治療ですが、元ミス広島の人脈を活かし、とにかくピアノが弾けるイベントに私を連れ回していきました。
お祭りの野外ステージ、成人式、喫茶店…
年間、何回ステージに上がったかわかりません。
それでも私の本番の弱さはなかなか克服できないでいました。
進路を考える時期
高校生になり、大学への進学を考えなければならない時が来ました。音大に行くには人より早く決断が必要…もうタイムリミットでした。
当時の私は本当に無気力で特にやりたいものが見つからず、まだ音大とも考えられないような状態だったのです。
この時、美人先生は私のために音大の先生を紹介してくれました。
本来なら1レッスン何万円です。それをこれまでのレッスン料を上げずに受けさせてくれたのです。
と同時に、どっちに転んでもいいようにと、楽典とソルフェージュを美人先生自身が教えてくれるようになりました。
新しいピアノの先生のレッスンは、思った以上に濃いもので、新しいことを吸収するのが毎回楽しかったのです。
私、やっぱりピアノが好きかも。この頃ようやく音楽への道に進みたいと思い始めていました。
立ちはだかる壁
しかしここで大きな壁にぶち当たります。
両親が大反対したのです。
当時私はそこそこ勉強ができ、模試でも上位に名前が載るほどでした。
両親にしてみたら、医学部か薬学部にでも進学して、医者と結婚してほしいと思ったようです。安易すぎます。
ここで初めて、私は両親に反抗したのです。
遅い反抗期に両親はかなり動揺したようです。
母と私、美人先生、ピアノの先生との話し合いになりました。
ようやく母が折れてくれ、音大への進学を認めてくれたのです。
しかし、条件があると…
私立はダメ!国公立のみ!
国公立の音大って限られてしまう。
どうしよう…
ここで美人先生がとんでもないことを言い出しました。
「東京藝大受けよう」
は?
嘘でしょ…
(続きます…)
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