音楽好き。では音楽の授業は?
息子の音楽の教科書を見ると、私が子供の頃に受けた音楽の授業とはずいぶん様変わりしたように思います。
J-POPなんか取り入れられていて、確かに息子も音楽の授業が楽しそうでした。だけど授業と考えたときに息子は「つまらない」と言うのです。
はっきり言って、私も子供の頃、学校の音楽の授業が好きではありませんでした。教科書に載っている歌はちっとも楽しくない。
なぜ楽しくないのか?
それは音楽の教科書を作った歴史が関係していて…というようなことを大学の卒業論文で書いたような…
「きらきら星」は熱烈な恋愛の歌だった
日本に音楽教育が取り入れられ始めたのが明治時代。
文部省所属の音楽教育機関である音楽取調掛(現東京藝術大学音楽部)によって最初の音楽の教科書「小学唱歌集」が編纂されましたが、当時はどんなものを載せていいのかさっぱりわからない。
もともと日本には五線譜とか音階とかの概念もない。西洋音楽をどのように取り入れていいのかわからないというのがホンネだったようです。
そこでアイルランド民謡など外国の民謡を取り入れ、日本語の歌詞を当てはめるということが行われました。
今、私たちが耳にしている「日本の歌」と思っているものは、多くは外国曲です。
「蛍の光」も
「ちょうちょう」も
「君が代」も
そして歌詞も今のものからは想像できないほどかけ離れたものが多くあります。
その一つ
「きらきら星」は女の子がお母さんに、恋人の男の子の話をする内容ですが、かなり熱烈な内容となっています。
そのような歌を子どもに歌わせるわけにはいかない。
取り入れられた外国曲の多くは、歌詞を教育的な内容に書き換えられ、長く歌われるようになっていったのです。
のちに、作詞も作曲も日本人による「文部省唱歌」ができるまで、この小学唱歌集は使われ続けます。
長く変わらなかった音楽の教科書
文部省唱歌は昭和19年ころまで作られていますが、歌詞の内容も子どもに向けた教育的な内容から愛国心を煽るものまでに広がっています。
そしてこの時に作られた歌の多くが、のちの音楽の教科書のメインとなって長く歌われていくのです。
時代が変わろうと、ほとんど変わることのなかった音楽の教科書。
だんだんとこの時代遅れの「歌」が、子どもたちには「つまらまい」ものとなっていくのです。
テレビから流れる音楽は大好き。
ギターを始めてみて、好きな曲をコピーして楽しんでみる。
バンドを組んで仲間ともっと楽しんでみる。
音楽好きな子は多いはずなのに、私が学生の頃は音楽の授業は不人気でした。
教育実習の衝撃
私は大学は、国立大の教育学部の音楽教育学を専攻しました。当然教育実習があるのですが、私がいた大学は出身校で教育実習をさせてくれません。
付属学校での教育実習となるのです。
これは、国立大学付属学校の多くが教育学部の教育研究活動の一環として設置されているためです。
私も付属の中学・高校で実習を受け、小学校で授業を見学しました。
ここで見た授業は…公立学校しか経験していない私には衝撃的でした。
教科書はあってもないようなもの。
ほとんどが先生とのディスカッションで進められていくのです。
なぜ、どうして、君の考えは?
1時間の授業の中で、たった1問しか解かない小2の算数の授業。
理科の実験後の発言が活発な中2の授業。
そして音楽は…
ちょうど大学の先輩が大学院を出たばかりで、まだ先生になりたてだったのですが、作曲科出身の先輩もまた教科書を使わず、自身が編曲した合唱曲を指導していました。
「夏の終わりのハーモニー」井上陽水と玉置浩二の歌として、生徒たちも興味深かったようです。
この曲を独自アレンジで歌わせる授業がおもしろくて、生徒たちが引き込まれていくのが見ていてはっきりとわかりました。
公立でこれはできないな…
学生ながら当時、私はそう思ったのです。
公立学校では
指導要領通りに行われる授業。
教科書をこなさないといけない授業。
こうした先生の独自性が活かされる授業って、他ではできないんじゃないかと。
だけど、本来、これが教育というものではないのかな?とも思ったのです。
当時見学した音楽の授業では、生徒たちが本当に楽しそうに、生き生きとした表情で授業を受けていました。
あれからずいぶん年月も経ち、ようやく教科書も変わってきましたが、もっともっと楽しめる授業づくりってできないのかな?と今でも思う時があります。
音楽が好きな子は多いのに「音楽の授業がつまらない」という子が多いのは、非常に残念だと思うのです。
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