あるピアニストのお話
たびたび私は「コンプレックス」について書いていますが、もう少しだけ…
今回タイトルにある、「あるピアニスト」というのは、西村由紀江さんというピアニストの方のことです。
実は間接的につながりがあるのですが、おそらく西村さんの方では、1ミリも私のことは知らないと思います(笑)
西村由紀江さんの経歴
出典:http://www.nishimura-yukie.com
ここで西村さんの経歴を少し…
名前:西村由紀江
生年月日:1967年5月8日
出身地:大阪府豊中市
学歴:桐朋学園大学ピアノ科卒業
3歳からピアノを始め、ヤマハ音楽教室に通う。
8歳の時に作曲した「楽しいお誕生日」が「ヤマハ・ジュニアオリジナルコンサート(JOC)」で特別優秀賞を受賞し、バンコクで演奏することになる。
1988年から10年間「西村由紀江の日曜はピアノ気分」(読売テレビ)に出演
1991年 テレビドラマ「101回目のプロポーズ」の音楽担当
「親愛なる者へ」BGM担当
2006年 映画「子ぎつねヘレン」の音楽担当
2007年 財団法人ヤマハ音楽振興会より独立し、個人事務所「株式会社モデラート」設立
以後、数々の映画やドラマの音楽を担当している。
非常に簡単な紹介ですが、わりと身近で西村さんの音楽を耳にしているのかもしれないということが、おわかりいただけたでしょうか。
西村さんとの「出会い」
そんな有名なピアニストである西村さんが、私とどのような関係があったかというと…
実は小学生のころから知ってるんです、私は。
直接の知り合いではないのですが…
私の友達がJOCの常連で、毎回何かしら賞を取っていました。
広島代表の友達と、大阪代表の西村さん。全国大会で顔を合わせることは多かったようで、しかも二人で日本代表として世界大会にも出演しています。
上記のバンコクでの演奏も、実は友達も一緒に出演しており、タイの国王の前で演奏したとか…
帰国後、この時の演奏がレコードになっており、聴かせてもらいました。
友達はいつも「ゆきえちゃん」の話をしていて、彼女がどんなにすごいのかを熱弁してくれていました。
当時の私は、会ったことのない「ゆきえちゃん」の曲を聴き、同じ小学生がこんな曲を作れるなんて…とひたすら驚くばかりだったのです。
そしてもっと後にですが…元夫が仕事関係で西村さんと多少関わらせてもらっているというのも不思議な縁です。
JOC時代の曲
ヤマハは毎年JOCで優秀な成績を残した子の曲をCD化(昔はレコード化)しています。
そして楽譜としても出版しています。
私の友達の曲も、西村さんの曲も出版され、ヤマハグレード試験の課題曲となっています。
こちらがその楽譜です。
私の手持ちの楽譜だけでも4曲入っています。
ちなみに、ここに友達の曲も入っているんです。
西村さんとの共通点
こうして見ると、私とは全く別の世界の、華々しい経歴をもつ方のように見えますが、西村さんもかなりの苦労人だったようです。
これは何かの音楽雑誌の記事で読んだのですが…
実は「コンプレックスの塊」だったのだと。
私が勝手に、あ!同じだ!と思ったコンプレックス
・とにかく病弱
・人見知りだった
・本が大好き→右手でピアノを弾きながら左手で本を持って読んでいたそうそしてその本の場面に音をつけてみる、という作曲の始まりのようなことをしていたんだとか。(ちなみに私も小学生の時は本好きで、6年生の時、図書室の本は全て制覇しています)
・実は歌が苦手
・手が小さく、オクターブがやっと→自分でアレンジして弾くことを覚えた。
以上が私が勝手に共通点だと思ったコンプレックス。
私と違うのは、西村さんは自分なりに工夫して強みに変えているところです。
最大のコンプレックス
実はもう一つ、一番大きな共通のコンプレックス…
それは「家庭環境」
私と同じく、機能不全家庭だったようです。
病気がちだったことも、このことが原因だったのではないかと、のちに西村さんは語っています。
そして…
本当にこれは私も全く同じなのですが、
子供の時は「笑わない子」だったとか。感情表現がとても苦手だったそうです。
家の中で常に緊張状態。学校でも素直な感情表現ができなくなっていたと。
そしてケンカが絶えない両親の言い争いを、ピアノの音で必死に消すように練習していたのだとか。
西村さんが私と違う最大の点はそこです。
辛い状況を逆手にとって自分の強みに変える…おそらく子供の頃の西村さんは、そんなこと意識していたわけではないと思いますが、結果としてそうなった。
今、非常に綺麗な表情をされ、とても優しい音を生みだせるのも、そうした経験からなのかな、とも思うのです。
こちら、日ハム時代の大野奨太選手の応援歌の原曲です。知ってました?
あとがき
これはちょっとした余談です。
西村さんは幼少期の家庭環境の影響か、独身を貫いていらっしゃいます。
そのことについてなのかどうかわかりませんが、このようなことを語っています。私も思わず同意した考えです。
「ピアノを何度もやめたいと思ったことがあり、
それと同じくらいピアノをやりたいという思いがあったのですね。
『やめる』『やってみる』の繰り返しで、ピアノとの間に築いた、つかずはなれずの関係。
そして人との関係にもこの距離感が大切だと思っています。
ヤマアラシは身を寄せすぎると
お互いの針で痛いので、
夫婦であっても
適当な距離を保って暮らしています。
ピアノとも、仕事とも、人とも、趣味とも、自分の人生とも
このヤマアラシの距離感を保っていけたらと思っています。」
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