僕は「髪を切っていた。」みんなは「髪を整えていた。」
2020年1月23歳になった僕は先日、人生で初めて1万円というお金をかけて髪を切りに行きました。
それまではおばあちゃんに切ってもらうか1,000円カット。しかも3-6か月に一度という頻度でした。(美容師さんに聞いたら1-2か月に一度くらいらしい、マジですか?)
これからする話は、この経験を通して髪を切るという行為について考えてみた(考えさせられた)話です。
僕から言いたいことは一つ
「僕は髪を切っていた。みんなは髪を整えていた。」
これは本当に大きな気付きで、「髪を切る」という行為に対する認識の齟齬です。
僕は髪が長くなって、不潔に見えるようになって、目に入って、髪の毛の存在が生活上うざくなって初めて髪を切っていました。
でも他の方は違いました、「セットが~」とか「髪型変えてみたくて~」とか「流行りの○○にしたくて~」とか言いながら、僕から見たらぜんっぜん「髪を切る」必要がない状態なのに1万円もの大金を払って美容室に来ているのです…
彼らがやっているのは必要に迫られた「髪を切る」という行為ではなく、自分が美しく生きるための「髪を整える」という行為でした。
美容室のまとっている雰囲気も、僕が「髪を切る」ときのめんどくささと鬱陶しさからくる鬱屈なものではなく、前向きに、自分の幸せのために「髪を整える」希望に満ちたやさしいもので、「こんなに楽しそうに髪を切っているんだなぁ…素敵だ…」と思いました。
自分を大切にする行為の中に「髪を切る」という行為が入っているんだと思います。主体的な生活の選択としての髪型は多分すごく楽しい、しかも多くの人が共通の知識を持っているので盛り上がりやすい。みんなが髪型の話をたくさんしている意味がよくよく分かった美容室体験でした。