仕事、家族、社会。~日々の雑感~
個人的な話になりそうなので、このnoteを公開するかどうかは正直迷いがある。有料設定にしようかと思案もする。それでもインターネットという情報の海にこのnoteを流すことで、どこかの誰かが受け取って何かの参考になるかもしれないと思うから、やっぱり無料で公開したい。だからこの記事の画像は、海を漂う小瓶の手紙。
実はこのテーマは、1年も前から書き残したらどうかと言われてきたことだ。そのときはあまりに模索の最中にあって、なかなか言葉にできる状態じゃなかった。それから先月、大学生と卒業生の交流会に呼んでもらってお話して、ああやっぱりこういうテーマを一般論として見聞きするんじゃなくて、目の前の誰かがどうやって折り合いをつけて生きているか、生の言葉で語るのって話す方も聞く方も力になるよなぁと実感した。
それから時間が空いてしまった訳だけど、noteを更新したり文章を書くことが最近増えて、こうした意識下にずっと溜まっていたものを文章にできそうな予感がするから、今このタイミングで書いてみる。きっと半年後には自分の考え方もまた変わっているだろうから、その時に読み返して、考えを深めるきっかけになればいいと思う。
1.もともとの、仕事と家庭のイメージ
学生の頃、社会人になって間もない頃は、仕事も家庭もどっちも100%でやり切るんだと思っていた。
高校が女子校で、先生たちも女性の先生が多かったことから当たり前のように女性も働けると思っていたし、
大学のときにベビーシッターのアルバイトをして、保育園からお家までのお迎え+お母さんの帰宅まで一緒に遊んだりして「ワーママ」ってこんな感じなのかと少しイメージできたと思っていたし、
社会人になっても子育てしながら時短勤務で、慌ただしくもエネルギッシュに働く女性の先輩がたくさんいたから、自分もそうなるんだと思っていた。
そのときは仕事の面でも使命感に燃えていたし、家庭に関しては結婚して子どもがほしいとずっと思っていたから、どちらか一方に絞るという選択肢がそもそも自分の中になかった。
2.同棲して、結婚して、変わったこと
コロナ禍で仕事がオンライン化したことで、遠距離恋愛だった彼氏のところに行って、同棲することができるようになった。それまで月1回しか会っていなかったので毎日顔合わせていたらどうなるのか分からなくて、まずお試しで2週間と言っていたのが、気づいたら1ヶ月、2ヶ月となっていた。
同棲して3ヶ月くらい経つ頃から、仕事のモチベーションが下がるようになってきた。色んな要因が絡んでいるのだろうけど、当時は「なんなんだろう、これは」と自分でも不可思議で色んなことを考えた。
仕事内容が変わったタイミングでもあったから面白くないのかなとか、ビジョンに共感してないのかなとか、やりたいことじゃないのかなとか、オンラインであまり会えてないからチーム感がないのかなとか、人の環境が合わないのかなとか、
色々挑戦してる人に会う機会が減っていたから刺激が足りないのかなとか、
お家が幸せで安寧の城から出たくないのかなとか、
なんかもう、いろいろ。
それからまた3ヶ月くらい経って、結婚することになった。結婚することを決めた時、自分の心の一番奥底にずっとあった黒い膜が外れたように思った。ずっとあったと言っても、これまではあることに気づいてなくて、外れて初めてあったことに気づいた感じだった。
その正体は、いつも頑張って成果を出したり役に立っていたりしないと見放されてしまう、というそこはかとない不安だった。
それに気づいてから、自分の持っていた仕事の使命感とやらは、見放されないように、何か貢献できるように、という思いの裏返しだったんだと気づいた。
楽しいことをやろう、好きなことをやろう、という人や記事に対して、自分はどこか危機感ベースで動いていて楽しいが中心ではないなぁとぼんやり思っていたけれど、その理由もここにあるような気がした。
その間、思いっきり仕事に全振りするような環境になってみたり、逆にギャップイヤーと名乗って興味があると思うことだけに足を運び続けてみたり、紆余曲折してきた。
今は、仕事:家族=3:7くらいの割合で、自分の中で落ち着いている。学生の頃の自分が聞いたら、さぞびっくりな数字だろう。でもこれくらいが今の自分には心地いい。
きっと、黒い膜がなくてもやっていけるよという安心な場所を堪能しながら、危機感ではない仕事のモチベーションの源泉に出会うのを待っているんだと思う。
冒頭の、大学生と卒業生の交流会でそんな話をしていたら、卒業生の先輩に「仕事と家族の割合ってライフステージによって変化するよね」と言ってもらった。ほんとにそうだなぁと思いつつ、大学生の頃は割合が変化していくという時間軸なんて全くイメージできていなかったなぁとも思う。
そして、仕事が楽しくて燃えていた時期もあるから、またいつかそんな時期に巡りあえたらいいなと思う。
3.社会に関わっている感
仕事という言葉でここまで括ってきたけれど、自分の中で大事なのは「社会に関わっている感」のように思う。
学生の頃から歴史学、政治学、哲学などに興味があって、これからの社会を創る人になりたいと思っていた。
だからギャップイヤーをしていた頃に「無理して頑張るんじゃなくて、自分は何もしなくても皆が(社会を)動かしてくれるから、皆ありがとうでいいんだ」と言ってくれた人がいた時、う~ん分かるけどそれではちょっと物足りないと思う自分がいた。
でもよく考えると社会というのは何のことなのかよく分からない。国なのか、世界なのか。人が二人集まれば社会という人もいるから、夫婦だって、家族だって社会だし、職場で考えても、企業全部が社会なだけじゃなくて、所属する10人に満たないような部署だって社会だ。
関わっているというのも、所属していればいいのか、でも飲み込まれるのは嫌だし、ただ接点があるというだけではない気もする。経営において大事なのは「自分で操縦できている感」と教えてくれた人がいて、その感覚は近いかもと思った。
国の組織で働く機会もこれまであったけれども、「操縦できている感」を持てるのは、正直自分のプロジェクトを考えて顔の見える範囲内で実行するフェーズまでだ。その結果をどう人が受け止めて反応するか、ましてや知らない人にまでリーチできるかは、仕込みを頑張ることまではできても結果というものは手放れしている。
だから仕事:家族=3:7でやっていく時、社会との関わりは、前みたいにビジョンを掲げてパワフルに走っていくのではなく、まずは自分の周りで接点を持っている人との関係性に向き合っていくということなのかなと思ったりしていた。
でもふと気づいたのは、仕事の3割の中でやっぱり社会のビジョンだったりこれからを考えるような情報に触れ続けているんだということ。そしてそれがやっぱり好きだし、それがあるとないとでは全然違うなということ。
社会のこれからを自分で主導して考えたり動かしたりすることは、今の自分にはできないけれど、だからといって忘れていたり、どうでもいいと思っている訳じゃないんだなぁ。
ニュースで触れながら感じ取る社会には暗澹たる気持ちになるけれど、前のnoteで引用した宮崎駿さんの言葉だったり、ドイツの作家のミヒャエル・エンデさんのように、絶望を引き受けながらも前を向いていけたらいいな。光と影はどちらもあって、影の部分を”引き受ける”という考え方になったのもここ1年くらいの変化な気がする。
今書いていて思ったのは、希望というのは解決策や輝かしいビジョンがあることじゃなくて、今の自分にちょっとだけでも出来ることがある、ということなんだろう。
4.これから先のこと
3を書きながら思っていたより思考が前に進んで、ちょっとびっくりしている笑。
これからべビちゃんが家族に加わって、そしたら仕事:家族の割合はまた大きく変化するんだろうと思う。
その時にまたどんなことを考えているのか、ベースは今と同じなのか、全然違うのか、落ち着いたときに返事のnoteが書けたらいいな。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?