仕事と家族のバランスについて先月1本noteを書いた。 そこから1ヶ月経って、また少し考えが進んだので現在地として記しておく。 1.30歳という節目 30歳は自分の中で一つのマイルストーンだった。理由は単純で、論語に「我十有五にして学に志す、三十にして立つ」とあったからだ。15歳のときに戦争と平和という自分のテーマを見つけたので、いろいろ勉強して30歳にときに自分なりの形で仕事をするぞと思い描いていた。 その時々の関心や状況でテーマに対する向き合い方は広がり、直近では
広島の平和記念資料館に行ってきた。コテンラジオでシンドラー編の配信が始まって、聞いているうちに戦争としっかり向き合いたいねと夫と話して、金曜の朝に宿を取って土日に出かけるという弾丸旅だった。 資料館は4年前にリニューアルされて、新しい展示になっていた。被爆前後の広島の写真から始まり、爆発の様子、被爆したモノや建物、被爆直後の様子を思い出して描かれた絵、被爆者の遺品、被爆直後とそのあと長く続く身体の症状、外国人の被爆者、長きにわたって被爆者とその家族が抱えた苦労などが展示され
個人的な話になりそうなので、このnoteを公開するかどうかは正直迷いがある。有料設定にしようかと思案もする。それでもインターネットという情報の海にこのnoteを流すことで、どこかの誰かが受け取って何かの参考になるかもしれないと思うから、やっぱり無料で公開したい。だからこの記事の画像は、海を漂う小瓶の手紙。 実はこのテーマは、1年も前から書き残したらどうかと言われてきたことだ。そのときはあまりに模索の最中にあって、なかなか言葉にできる状態じゃなかった。それから先月、大学生と卒
宮崎駿さんのインタビュー集から心惹かれる言葉を拾い集めるnoteの後編。 前編はこちらから。 引用元の本は、『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』(文春ジブリ文庫)。 3.タタラ場で生きることを決意したとき(1997年7月) 4.ナウシカと千尋をつなぐもの(2001年7月) 5.風の谷から油屋まで(2001年11月)
映画「君たちはどう生きるか」を観て、宮崎駿さんの言葉を知りたくなった。宮崎駿さんのインタビュー集『風の帰る場所 ナウシカから千尋までの軌跡』からズシンと響いた言葉、そういう見方でいいのかとヒントをもらった言葉などを拾っていきたい。 1.風が吹き始めた場所(1990年11月) 2.豚が人間に戻るまで(1992年7月)
私はいまお腹にべビちゃんがいて、12月にお産を迎えます。 出産する場所を調べる中で、病院だけでなく助産院で産むなど場所の話、助産師さんのお産に対する考え方、医療介入が必要になる場合、アメリカでの出産の仕方などいろんなことを調べました。その中で出会ったのが「ヒプノバーシング」というお産の方法です。 私はチャイルドバースアカデミーのグループレッスンで、このヒプノバーシングの考え方・方法を教わりました。12月までに忘れないようにという自分の備忘録と、これからお産を迎える妊婦さんの