『ジキル&ハイド』観劇記録 その時私はハイドになった!
ミュージカルの金字塔『ジキル&ハイド』を3/21と3/27のマチネに観た。石丸幹二さんの10年にわたるジキハイのファイナル公演だ。善と悪を瞬時に演じ分ける怪演は年々狂気を帯び、「時が来た」のビックナンバーでは拍手喝采でショーストップを体験した。世界中で愛されるジキハイの日本公演は、Wキャストの柿澤勇人さんが引き継ぐ。あくまでも個人的主観だが、舞台感想記録を残したい。
あらすじ
19世紀のロンドン。医師であり科学者であるヘンリー・ジキル(石丸幹二/柿澤勇人)は、「人間の善と悪の両極端の性格を分離できれば、人間のあらゆる悪を制御し、最終的には消し去ることが出来る」という仮説を立て、研究は作り上げた薬を生きた人間で試してみる段階にまで到達した。ジキルはこの研究に対して病院の理事会で人体実験の承諾を得ようとするが、彼らはこれを神への冒涜だと拒絶する。ジキルの婚約者エマ(Dream Ami/桜井玲香)の父親であるダンヴァース卿(栗原英雄)のとりなしもむなしく、秘書官のストライド(畠中 洋)の思惑もあり、理事会はジキルの要請を却下した。ジキルは親友の弁護士アターソン(石井一孝/上川一哉)に怒りをぶつける。理事会の連中はみんな偽善者だと。
ジキルとアターソンは上流階級の社交場から抜け出し、たどり着いたのは場末の売春宿「どん底」。男どもの歓声の中から、娼婦ルーシー(笹本玲奈/真彩希帆)が現れる。「(私を)自分で試してみれば?」というルーシーの言葉に天啓を受けたジキルは、アターソンの再三にわたる忠告にもかかわらず、薬の調合を始める。赤くきらめく調合液。ジキルはひとり乾杯し、飲み干した。全身を貫く激しい痛み―息も絶え絶え、苦痛に悶えるジキル。腰が曲がり、声はかすれ、まるで獣 — この反応は一体何なのか!そしてとうとう現れたハイド。そして、街では、次々とむごたらしい殺人が発生。謎に満ちた、恐怖の連続殺人事件にロンドン中が凍りつく。犯人は、ハイドなのか。エマや執事プール(佐藤 誓)の心配をよそに研究に没頭していくジキル。果たしてジキルの運命はいかに……。
ひとつの体に宿った二つの魂“ジキル”と“ハイド”の死闘は、破滅へ向けて驚くべき速さで転げ落ちて行く…… (東宝HP)
石丸等身大ジキルと変身ハイド
過去回までのジキハイは、猟奇的な殺人場面が恐怖で目をそむけることも多かった。しかし年月を経てショッキングなシーンもマイルドになり(わたしが強心臓になったのか?)、歌を通して全編を堪能できるようになった。優秀で真面目な医師ジキルの人体実験は、理事会の承認を得られないでいる。盟友アターソンが言うように社交性に欠ける性格も要因のようだ。今期の石丸氏は、冒頭からまっ白な気持ちで挑む意欲をプログラムで語っている。だとすればジキルの始まりは、石丸氏のほぼ素のままだといえよう。音楽を愛し、盟友がいて、頼りになる女性に支えられる俳優活動を生業とする石丸氏の活躍を、すんなりと思い浮かべることができる。
自らの身体を通して実験を試したいジキルは、自らの限りを尽くして変身し続けエンターテイメントを牽引する石丸氏自身なのではないか。そう感じるにつれ、ハイドに変身する間の苦悶表情や悪の極みのダミ声ひとつにもLOCK ON!晴れて(?)ハイドになってからの殺人シーンも勧善懲悪よろしくの痛快劇のように、胸の高まりが強くなった。いや違う、わたしもその時ハイドになった。
『ハリー・ポッターと呪いの子』のハリーとの並走。キーワードは「父性」
今期のジキハイは『ハリー・ポッターと呪いの子』のハリー役との並走だった。ハリーが父親になってからの物語で、魔法学校に入学した息子との関係性に苦戦する少しくたびれた男性を演じている。少しジキハイから脱線するのだが、メガネをかけたハリーはわたしの亡父に似ている。魔法こそ使えないが、一生懸命に勉強して学校に入学し、定年まで会社を勤め上げ、わたしたち子どもを遠くから近くから見つめてくれた温厚な父だった。そんな父とジキハイを重ね、彼も世の中の理不尽と向き合いつつ人生の幕を閉じたことに想いを馳せた。ハリー役との並走は各所との折り合いをつけての公演だと聞くが、並大抵ではないことは容易に推測できる。だからこそラストシーンで無事にジキルが永遠の眠りにつくとき、悲しみよりも安堵感がつのる。恐縮だがジキルの眠顔が亡父の寝顔に見えて、「おつかれさまでした」と心中でつぶやいた。
ストーリーテーラーとしての
盟友アターソン
わたしはストーリーテーラーで盟友の弁護士アターソン役を石井一孝氏で観た。石井氏はミュージカル『スカーレット・ピンパーネル』や『シークレット・ガーデン』のミュージカルで敵役や弟役を演じ、トランペットのような突き抜けた歌声でその存在感を記憶に刻んでくれた。今回のジキハイでは、アターソンの優しい兄貴のような言葉が、心の拠り所となった。
しかし彼の優しさが、ジキルの終焉のひきがねとなる。まさかの結婚式での出来事だが、とても神聖な場面のように感じた。いままでオーケストラピットで奏じられた曲のすべてがジキルへの鎮魂曲のようで、エンディングが惜しくてたまらなかった。
すべて生きることは演じることに繋がり、演じる難しさがあればこその人生だ!わたしが生きる最中で、どれだけの困難に対峙できるのだろうか。
劇場をあとにした帰路に、夜の桜が待ってくれていた。
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