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藤井風のバンコクライブでみた奇跡。

先週末、バンコクの藤井風のライブに行ってきました。

が、直前まで行けない( ;  ; )と思っていました。

チケットは夫がサイトから注文し、バンコクの友人宅に郵送の手配をしていたのですが、なんと、夫は宛先の住所だけ書いて名前を書き忘れていたのです!!

しかも住所まで微妙に間違えていて。

マンションは、たくさんの方が住んでいる集合住宅です。

しかも住所まで間違っている!

もう、無理だ、残念だけれどこれは行かれない、と思っていました。

が、友人が仕事で多忙ななか、時間と手間をかけて追跡調査をして、見つけて出してくれたのが、ライブ2日前!私たちが日本を経つ直前の連絡でした。

なんか、それだけで奇跡的だ!と感じていました。

そして、何より感じたのが友人の私たちへの愛、です。

彼は、たまたま多忙を極めていて、翌日から泊まり込みの仕事があり、前日までその準備があったにも関わらず、時間を割いて調べてくれていました。

それだけでも胸が熱くなりましたが、ライブ会場でさらに胸が熱くなりました。

入り口前の広場には提灯がぶらさがり、着物を着ているタイのおんなの子もいました。

日本人でなく、こんなにたくさんのタイ人が
日本人アーティスト藤井風が大好きで、チケットを買い、おしゃれをして嬉しそうに会場に集まる人、人、人の数。

日本語の言葉が、こんなに異国の人たちの魂をも震わせるなんてと、その様子が奇跡に見えました。

そして、藤井風のMCはすべて、タイ語か英語のみ。

彼が、訪れた国の人たちをリスペクトしていることが、それだけでも分かりました。

そのライブの彼は、もはや神がかっていて、何か神々しい、眩し過ぎるほどの輝きを感じました。

かっこいい、とか歌がうまい、とかを超えて、もはや愛と光、そのものという感じ。

1人の日本人アーティストが、これほど世界の人の魂を震わせるパフォーマンスができること、それをみていることができる、奇跡的な時間。

隣の夫の横顔からは、涙が流れていました。

夫は普段強気な発言、行動も多いですが、とてもピュアで繊細な一面も持ち合わせているので、愛を感じる場面に出くわすと、ただ涙を流していることがあります。

そういうとき、この人のなかには、ものすごく美しくて優しい愛、神聖さがあるのだろう、と感じます。

言葉を交わさなくても、人々に愛を感じさせ、光を感じさせ、自然に涙を流させるライブ。

何もかもが、私には奇跡のライブに感じていました。

日本に帰国してから、私は以前より体調がよくなりました。

意欲的にもなりました。

愛を分かち合いたい、愛を与えられる人として積極的に生きていきたい、と強く思うようになりました。

聖霊はちゃんとみていてくれる。

私たちは1人残らず、愛と光の存在なんだ、と確信をもてました。

私たちは、誰もが、すでにゆるされていて、愛されている、光の存在です。

そのことをどうか私が忘れないように、
みんなも忘れないでほしい、と願っています。

お読みいただきありがとうございます。

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