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認めたくないことを認めると、自分らしくいられる。


昨日は今継続的に私が受けているセッションの日でした。

 
「プライドが高い」と先生が私に言ったとき、えっ?とはじめは思い、そうかもしれない、とその後自分の中にじわじわと染み入るようになりました。


表向きは、弱くてダメな1番下の妹が私です、みたいな立ち位置で、私は小さな頃から原家族のバランスを無意識に取って生きていました。


だからやたらと、すいません、ごめんなさい、と言い、自分が何かミスなどしようものなら、謝りまくっても落ち着かず、しばらく落ち込んでしまう、みたいなことをしていたので、自分はプライドが低い人、と思っていました。 


攻撃的な人や自己主張の強い人を側でみると、言いたいことを言えないできた私とは全然違うなあ、と思っていました。


が、セラピーなどで自己探究を繰り返し感じてきたのは、私は自分の考えを否定されたり、人から指摘されたりするのが苦手だ、ということでした。

また、自分の頭で考え行動したいという欲求が、かなりある、ということでした。


そして小さな頃から負けず嫌いだった、ということも。


負けず嫌いでプライドが高い、ってなかなか受け入れたくないです(笑)


全然いい人っぽく見えない(笑)


私はいい人でないといけない、いい人でないと愛されない、と思い込んできたから、そんな自分を認めるのは怖いことだったのだと思います。


が、私が好きな友人のことを、他の方からあなたたちは何かとてもよく似ている、と言われたとき、ハッと気づいたことがありました。


向上心があり努力家で負けず嫌いな彼女を好ましいと思っている私は、何か同類なのかもしれない、と。

そう、私はいい人でいないといけない、愛されない、と頑張って表向きいい人をやっていても、満たされず幸せではありませんでした。


でも、夫と知り合い、夫からあなたは強い、全然弱くなんかない、私の方が負けるとか(笑)、あなたも私と同じで自分の考えからしか動けない、人から指図された通りにただ動く、なんて無理でしょ?などと言われるうち、私は本当の私を偽って生きてきたんだなあ、と感じるようになりました。


夫はわかりやすく、誰の前でも自己主張をし、自分の思うように行動をし、内面と行動が一致しているから、イキイキしています。


が、私は、本当は夫と同じような自我の強さを抱えながら、私は自己主張もしないし、意見もないし、みなさんに合わせます(笑)と、自己犠牲をしていい人をやっていたから、毎日が虚しく苦しかったのです。


こうしてnoteを継続して書いて、有料記事を書くのも、ある意味自分の伝えたい、ということが明確にあるから、誰からも頼まれていないのに(笑)勝手に楽しく続いているわけです。


私は人生半ばになり、やっと自分の本来持ち合わせていた特性に気がつき、解放されてきていますが、その本来ではないもの、に早く気づき手放せるに越したことはないです。


もし、何となく自分はこういう人と思ってやってきているけれど、もし今何か生きづらさ、しんどさ、苦しさ、虚しさ、を感じている人がいたならば、ぜひ自分のなかで、あってはならない人ってどういう人かな?と思い巡らせてみてください。


そういう人にOKを出したら、実は本来の自分がそういう人だったということもあり、それを認めたら、グッと自分らしく、生きるのが楽に楽しくなるかもしれません。


この私の気づきが、どなたかの何かのヒントになれば嬉しいです。


お読みいただきありがとうございます。

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