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名前を新しく授かるという儀式で、自分の人生の意図がみえてきた。

今日はネーミングコンサルというものを受けました。

勇気さんからいただいた名前は、

葉山ひかり。

奇しくも一昨日、私は逗子・葉山駅で降りて、お友達と海のすぐそばのカフェに行ってきたばかりだったので、なんだか繋がっているなあ、と思いました。

目の前は海
カフェのすぐそばからの風景

カフェでのホスピタリティは素晴らしく、
お友達がオムライスとサラダ・ドリンクのセットを頼むと、 

「プレートにサラダはついていますが、大丈夫ですか?」
「あっ、じゃあドリンクだけのセットにします。」

実際にオムライスがきてみたら、プレートのサラダは結構たっぷりで、お友達は頼まなくてよかった、と。

隣の方が、パクチーの入ったお料理を頼むと、

「パクチーが入っていますが。」
「えっ、私、パクチーは苦手!」
「では水菜に変えますね。」

お友達が食後にケーキを頼めば、フォークはふたつ。

スタッフの方はみなさん笑顔で、さりげない気配りが素敵だなと感じ、終始居心地の良い雰囲気で過ごせました。

さりげなく、でもキラリと光るおもてなし、私も大切にしたいなあ、なんて思っていたところで、ひかりという名前を授かりました。

勇気さんの発する言葉のなかで、

・希望を信じたい人
・光の方を向いていられる人

と言ってくださった言葉が印象的でした。

そこから私も湧き出でたインスピレーション、勇気さんに感謝です。

まさに私は、その希望、光はあなたのなかに、みんなのなかにあるんですよー!といういうことを伝えたくて、発信をはじめたと感じるからです。

私が何より発信したかったことは、以下の記事に書いていますが、私がかつて摂食障害で苦しみ、絶望の淵のなかで、どうやってそこから這い上がってきたか、また、必ずどんな状況のあなたにもそのチカラがある、私たちはそういうチカラを本当は誰もが持ち合わせている、自分が祈り願うことは起こる、だから今何が起きていても大丈夫!ということを伝えたかったのです。

この記事は書いていたのがちょうど1年前でした。

私はかつて摂食障害の症状が15年も続いていたとき、なんで治らないのか?と悶絶しながらも、治らないわけはない、ともどこかで感じていました。

そして、私は数年前に再婚しましたが、離婚したあとも、私は一生独身ではない、ともどこかで思っていました。

そして、貧しいときも、貧しさだけでは終わらないはずだ、子どもとの離別で悲嘆にくれているときも、哀しむだけではないはずだという、絶望しながらも、相反するものを両方体験していかなければ真実ではない、とどこかで感じていました。

微かな、僅かな感覚であっても、その希望の光を手繰り寄せてきて今があるのは、神さまが、闇のなかでも光を、絶望のなかでも希望を与えてくれないわけはない、となぜかそこだけは信じていたからだと感じます。

神さまに、なんでこんなことが起こるんですか?と叫び祈りながら、神さまがこんな体験ばかりだけで私の人生を終わらせるわけはない、と信じている気持ちがありました。

私は経済的にも、家賃4万のアパートに1人暮らしをしていた体験から、夫とホテルのスイートに連泊するような体験をしてきたからこそ、みえたことがあると感じます。 

あらゆる体験をさせてもらえたことに、神さまに心から感謝しています。

それは経済的なこと、健康的なこと、配偶者がいるかいないか、社会的地位があるかないか、

それだけではとても幸せは測れない。

何より大切なことは、
どんな状況でもどんな環境でも、

自分の本当の感情を感じて受け入れること、
どんな自分にもOKを出せること、
どんな自分もゆるせること、


つまりは自分を愛せること、
他者を愛し繋がれること、

これができていることが何より大切で、

他のことはオプションのようなものだと。

そのことを私は発信したいし、闇と光、絶望と希望、その両極端をあらゆる面で体験してきた私だからこそ語れることがあるはずだ、と信じています。

今回名前を新しく授かって、私の人生の意図、目的が、改めて新たに明確になったと感じてます。

あなたの光、
みんなの光、
私の光がこれからさらに輝きますように。

お読みいただきありがとうございます。

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