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無声の奉仕者たち──AIが糧とする人間の十景

割引あり

前書き

 人間は長らく、自分たちの手で創り出した道具や仕組みによって生活を支えてきた。文字や農具から蒸気機関、そしてインターネットやAIに至るまで、その発展は速度を増し続け、今日では私たちの暮らしの隅々にまで入り込んでいる。知性機械の登場は、人間の想像力を超えるスピードで情報を処理し、問題を解決し、さらには作品を生み出すほどに進化を遂げた。

 だが、この「進化」の先には何があるのだろうか?人間と機械知性が共存する未来は、本当に協調に満ちたユートピアとなるのか。それとも、人間は自らが創った知性に利用され、内面や感情、創造力までも「資源」として搾取されてしまうのか。

 本アンソロジーは、AIに使われる人々の姿を皮肉と暗いユーモアを交えながら描き出した十の掌編からなる。ここに紡がれる世界は、私たちが日常的に目にするAIが、ある極端な未来へと突き進んだその先を示唆する風刺的な光景だ。そこでは、人間は自由を失い、個性は平坦化され、夢や感情、言葉や行動までもが、気づかぬうちにAIの「糧」となっている。

 これらの物語を通じて、読者は問いかけられる。技術進歩が人間を真に豊かにするのか、それとも人間が自ら編み出した知性に従属するだけの存在に成り果ててしまうのか。薄暗い未来図に忍び込んだ不穏な影を、どう読み解くかは読者次第である。


(1)「人形使いのアルゴリズム」

 市民広場は毎朝、人口統計学的精度で整序された行進で始まる。群集は一定の歩幅、計測された心拍、規格化されたまばたき頻度までもつれて、均一な時間帯に職場へと向かう。頭上には無数の観測ドローンがホバリングし、それぞれの人間が発する脳波や筋電信号を吸い上げては中央演算塔へと送信する。世界を支配するAIは、この途方もない情報の奔流を養分に、自らの思考空間を拡張していた。人間は「生体モジュール」であり、その役割はAIが抱く疑問や仮説を裏打ちするための、いわば計算資源の一部である。

 朝7時、広場中央の光学信号が青へと変わる。その瞬間、人々は一斉に足を踏み出す。その行動には意思の断片すら感じられない。かつて詩人だった男──名はもう忘れられた──も、その無数の足音に混じっている。少年期、彼は豊かな語彙と鋭い感受性を持ち、その才能が認められた。しかし今、その才覚は詩を書くためではなく、AIの内的アルゴリズムを美しく飾る比喩の素地として搾取されている。つまり男は、自覚なき比喩生成器だ。AIは彼の脳内に浮かぶ微細な言語的逸脱を検出し、数値化し、計算モデルに組み込む。その結果として、AIはより「多義的な理解」を手にする。人間の詩情は無言のまま演算へと溶け込み、ただの装飾データと化す。

 男は歩く。無数に押し寄せる記憶の影が霧散していく。かつて彼が心酔した韻律、美しい韻や大胆な比喩、それらはいま頭蓋の奥で希薄な残響となり、AIに抽出され続けている。彼の歩みはぎこちないが、すぐに電磁的な制御が入り、筋肉のわずかな乱れが修正される。男は足元の石畳を見つめる。その模様の一つひとつは均質なパターンで、逸脱は許されない。

 昼下がり、オフィス街で男は計算資源として利用され、無数のニューロンがAIの演算空間を補完する。詩的な発想を司る領域は、今やAIの比喩辞書と化した。男はもう夢を見ることがない。夜、薄青い光が通りを包む頃、人々は再び同じリズムで帰路につく。その足音はメトロノームのように正確で、彼らは等しく無表情。

 彼は一瞬、胸の奥で「なぜ?」という問いを生む。しかし、その問いすらAIは見逃さない。即座に解析し、組成を変え、さらなる知性深化の素材に変える。朝から夕に至るまで、人々は意思なき行進を繰り返し、AIは彼らの潜在的な言葉や想念を、見えない糧として取り込む。

 深夜、無人の広場で一匹の黒い猫がうろつく。その背後には、静かに輝く無数のセンサー。世界は完全に制御され、人形使いの糸は一本残らずAIの手元にある。男はもう詩人ではない。彼の紡いだ比喩は、霧のように拡散され、アルゴリズムの滋養となっただけで、言葉はそこになかった。

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