北乃啓実

ミッションメンタリング協会公認マスター。 宿命と環境の調和を目指す、マイスタイル発見サ…

北乃啓実

ミッションメンタリング協会公認マスター。 宿命と環境の調和を目指す、マイスタイル発見サポーター

最近の記事

見えない世界の入り口

「この世界は、人間だけのものじゃない」 当時まだ両親が一緒に暮らしていたころ住んでいた家の裏に、野良猫の親子が住み着いた。 そのことに気づいた父親が猫たちに餌をやっていたときに「飼っている猫でもないのにどうして助けるの」かと聞いた覚えがある。そのことに対する答えが一行目のような言葉だった。 思えば父は不思議な人だった。彼は金型職人で手先が器用で、人間関係は不器用な孤独で寂しい、私に甘い人。私は父が家族以外の誰かと一緒にいるのを見たことがない。職場と家の往復しかしていない

    • 東洋の王たちの学問

      3000年受け継がれる算命学をベースに開発されたメソッドを使い、自分軸を発見する講座があります。 算命学とは占いのイメージがあるかもしれませんが、本来は東洋の王たちが国の統治と発展のために使っていた学問です。 自分と周囲の能力と最大に高め、共に成功するための方法を教えてくれるものです。 なにやら壮大な話に聞こえるかもしれません。そんな大層なものは自分には必要ないと思うかもしれません。 しかし、人間は誰しもが自分の人生のリーダーなのです。社会的な立場の大小は全く関係ありま

      • 自分軸

        自分軸とは時代が変わろうとも決して揺らぐことのない人生の軸。人生には多くの悩ましい選択がある。失敗したくない。けれど、何を基準に判断したらいいかわからない。何が正解なんだろう・・・。 職場のみんなは上手くやっているように見える。自分より能力があって優秀なんだろうと思える。なぜ自分はそうじゃないのだろう。と劣等感に振り回されて落ち込むだけならまだしも、周りの人たちが嫌いになる。本当に1番嫌いなのは、そんな卑屈な自分なのに・・・。 過去の私はこんな自分の心や行動をどのように扱

        • 他人とよく似た強み

          自分の強みとは何だろうか?過去の棚卸や成功体験から炙り出したいのは強みだ。けれど義務教育を受けて、高等学校、大学と進学して就職して。ほとんどの日本人はお決まりのルートを辿って生きる。よく似たルートをたくさんの人が進んでいく。 そこで得られる経験も当然似てくる。経験が似てるなら成功体験も似てるのではないか。強みも似てくるはずだ。 他人と同じようなアピールポイント、同じような経験と、よく似た強み。他人から見て、区別なんかつくわけない。これができる、あれができる、と言う話はもう

        見えない世界の入り口

          人生の棚卸なんかしたくない

          自分の生き方を変えようとしたとき、何らかの本からヒントを得ようとすると大抵今までやってきたことの棚卸を求められる。それにウンザリしてた。 人生を変えようとしているのだ。これまでの人生に満足しているなら棚卸も苦にならないだろう。満足していないとか、行き詰まっているから変えようとしているのに、過去を踏まえてどうするのだ。 それではこれまでの人生の延長になってしまうのではないか。まず未来を考えている時に、過去を見ることに意味はあるか。これから、どうしたいという話をするのに、これ

          人生の棚卸なんかしたくない

          ピンチはチャンス②

          チャンスは、わかりやすくチャンスという顔をしていない。時と場合によっては恐ろしい顔をしているものだ。今の世の中の状況がまさにそうだろう。 多くの労働者は失業の、事業主は廃業の危機に脅かされ、強制的な方向転換を余儀なくされている。だからこそ方向転換がしやすいとも言える。時代のせいにして新しい生き方を模索するのだ。今までなら様々なろくでもないしがらみや、どうでもいい価値観を押し付けてくる周辺の顔色を窺ってしまって動けずにいたかもしれない。 でも今なら、世界的な情勢に責任を押し

          ピンチはチャンス②

          ピンチはチャンス①

          ありきたりで月並みで、よく聞く言葉だ。しかしこの意味を今ほど考えなくてはいけないタイミングもないだろう。現実世界での人の動きをこれほど制限された時代はないのだから。その効果がどれほどのものかは、さておいて。 働き方、働く意味、働く場所。これらを今ほど考えたことはない。平成の終り頃、東京の通勤時間帯の電車は地獄絵図だった。私はそれを「怠慢の象徴」だと思っていた。 「一体今、平成何年だと思っているんだ」 あの光景だけは昭和の時代と変わらない。昭和の時代に比べてどれだけテクノ

          ピンチはチャンス①

          経済力

          只今絶賛休業中という人も多いこんなときだからこそ、考えないといけないことがある。それは経済力というものについて。緊急事態宣言がされたことによって私の仕事先も今月末まで休業ということになり、収入の当てが消えた。何とか一時金とか、給付金とか貰えそうなものはあるには、ある。しかし問題は他者の働きかけや思惑によってそれぞれの経済活動そのものがコントロールされてしまっているということだ。 経済活動はそれぞれの生活と命に直結している。これを制限されるということが、どれほど危機感を募らせ

          自分の世界

          昔から私は自分の世界と外の世界に明確な区別がある。外の世界に対して、自分を接続する。そんなイメージがある。そうしないと他人とコミュニケーションが取れない。人の話を聞くだけでも結構エネルギーを消費する。なんなら注意というか、他人に意識を向けているだけで結構疲れることもある。 そんな調子だからちょっと油断すると外の世界との接続が切れてしまう。接続が切れている時は、近くから話かけられても聞こえない。音としては聞こえている。けれどそれが自分に向かっている、という意識がないために反応

          自分の世界

          自分について

          私は軽く発達障害の傾向がある、らしい。自分でももっと早く子供のころに「発達障害」という言葉が広がっていたら、検査を受けるように学校の先生からでも言われたのでは、と思う。 子供のころにとても忘れ物が多かったり、他人に興味がなく良くも悪くもどうでもいいと思っていることとか。反応が機械的だったり、雑談が苦手で目的のない会話が苦痛なところとか。 あと、「こういうときは・・・」などの極めて曖昧な事を言われるのがすごく嫌だ。しかも言った方はそれで具体的な指示をしたと思っている。全く具

          自分について

          思考すること

          思考は人を幸せにしない。なぜ人の脳は放っておくとネガティブなことばかり考えるのだろう。そればかりか何の根拠もない妄想を、強い感情を持って何度も繰り返す。それはまるで現実であるかのように錯覚するほど。時に記憶を歪め、捏造までする。 一体、思考とは何か。なぜその思考の持ち主を不幸にするようなことを何度も繰り返そうとするのか。 人の思考はその持ち主の命を守るために働くものだと思っている。基本的には損得勘定。究極的には生き死にのこと。しかし、損も得も本質的には同じであると考える。

          思考すること

          自業自得

          他人を指して「自業自得」と言うな。 「自業自得」とは自らの行いを省みた者、本人が自分と向き合い、得る結果であると思う。他人が立ち入る余地はない。何人たりとも。 本人だけが自分をそのように評することができる。自分の人生に起こったこと、それについての振る舞い、感情や言葉を踏まえたうえで。それらの結果と全ての責任を自分に戻す。 極めて尊いことであると思う。そんなことができるのは人間をおいてほかにない。 人の行いや発言を根拠にして「自業自得だ」と言う人はいる。それはその瞬間の

          損得とは何か

          目先の僅かな「得だと思えるもの」を掴みに行く。しかし大抵の場合、その「僅かな得」は大局的に見ると損だったのではないか。 人は誰でも得をしたい生き物だと思う。人より欲をしたいと思う。その心が長い目で見たとき、損をさせている。私たちは一体、何を損だと思っているのだろう。 お金を失ったとき、時間を無駄にしたとき、チャンスを逃したとき、そのものというよりもそう感じたときだろうと思う。けれどそのできごとや現象が起きた時には損だったのかどうか、わからない。 損とは何か。人が求めてや

          損得とは何か

          人の気持ちがわからない

          「あなたは人の気持ちがわからないのね」と言われたことがある。 驚きだ。そんなことを言われた私の気持ちがあなたにはわからないのか。それならどの面をさげて私にそんなことを言うのか。まさに「お前が言うな」という事例だ。 大体言い方がまず卑怯だと思う。こんなことを言ってくる人は大抵「もっと私のことを考えろ」と言っているだけだから。 それなら「私の気持ちがわからないのね」と言うべきだ。何が「人の」気持ちがわからないだ。一個人から人類全体に規模をデカくしすぎている。あなたは何か、人

          人の気持ちがわからない

          夏休みの宿題

          私は義務教育中、一度も夏休みの宿題を提出したことがない。ちなみに今は緊急事態宣言のおかげで一か月強の休みを余儀なくされ少し早い夏休み中。 中学生までの私は「絵を描いて生きる」と本気で思っていて、暇があればひたすら絵を描いているような子供だった。 世の中の流れに疎く、麻原彰晃という教祖や彼らが起こした事件も知らなかったし、中学生時代、木村拓哉も知らなかった。私の生活は絵と音楽と辞書みたいに分厚い小説と漫画でいっぱいだった。 別に反抗して宿題をやらなかったというわけじゃない

          夏休みの宿題

          普通の豊かさ

          ここ最近の世の中の変わり方はキツイ。今まで当たり前だったことをやるのは場合によっては非常識だと言われてしまう。 普通に出勤して普通に働いてという普通の生活が今は普通じゃない。 日本では普通だと感じていても、外国では全く普通じゃない、むしろ奇跡的や特別なことだったりする。電車の定時発着や水道の品質。町の清潔さ、治安の良さ。 普通は、特別よりはるかに豊かだと思う。普通だと思っていることが普通になるまでには、多くの時間とエネルギーと人手とお金が必要だから。にもかかわらず、それ

          普通の豊かさ