アサクリ弥助炎上について歴史ネタ好きの別視点

弥助に関して歴史好きとして別視点を語りたく。

まず、弥助は侍にするべきじゃありません。それも歴史改竄するなというだけの話では無く、侍だった場合弥助というキャラの歴史的な魅力が失われるからです。

理由は簡単。最後に侍でも家臣でも無い動物として見逃されるから。


弥助は本能寺の変の後に捕まって、動物と変わらない扱いとして見逃されるというのが有名かつ明確な史実です。

ここにストーリーを肉付けすると、言葉の分からない元黒人奴隷ながら最後まで戦い続けた弥助は「侍ではないけれど侍のような忠義を持って最後まで裏切らず戦い続け、明智光秀も彼の命を奪わなかった」みたいな物語が生まれるわけです。

じゃあ侍だったとか家臣だったとか歴史を改竄してしまうとどうなるか。

本人は侍で家臣だと思いこんでいるが、実際には名字も何も無く、家臣として書物に名が記される事も無いまま、最後には明智光秀に「お前は侍でも家臣でもなんでもない動物だったよ」と言われて見逃される物語になります。

可哀相でしょ。そして情けないでしょ。

アサクリの脚本家がラストシーンをどうする気なのかわかりませんが、信長が本能寺の変で終わるのと同じくらい、弥助が「侍でも家臣でもなんでもなく言葉も通じない存在=動物」として見逃されるのは決められた結末なわけで、侍の立場を与えれば与えるほど情けなくなってしまう。


むしろ逆なんですよね。史実のままのほうが絶対に面白いんですよ。

歴史のまま、見たまま。黒奴と記されている通り彼は興味本位で信長に拾われた元黒人奴隷であり、忠義を尽くす理由も戦う理由も無い。侍でも家臣でも無い。名簿にも載らない。

それでも。

何も無いけれど、それでも間違いなく最後まで逃げず、最後まで裏切らず、戦い続けた。

そして最後には明智光秀も見逃して寺へと送る。


明智光秀は日本の宗教に信心深くイエズス会に冷たかった。そして弥助は元イエズス会の黒人奴隷で、戦を生き延びる程度には確実に強くて、信長のお気に入り。
フィクションの物語っぽく考えるとむしろ殺してそうな関係なのに、史実の明智光秀はそれでも捕まった弥助を南蛮寺へと送る。
それが当時珍しかった外国の黒人に腰が引けただけなのか、共に過ごした日々に何かあったのかは分からないけれど、明智光秀という存在にも物語の1ページが刻まれてるんですよ。

史実の明智光秀と、史実の弥助だけで、この場面めちゃくちゃ良いんですよ。これが侍だったとなると、侍扱いされず見逃される弥助という悲しいオチで全てが壊れてしまう。

史実こそが何者でもない元黒人奴隷の熱い物語。
もしかしたら、ただ奴隷的に言われるがまま戦い続けただけなのかも知れないけれど、明確に残る史実として最後まで裏切らず逃げることも無かった「侍のような」彼と、そんな弥助を見逃す決断をした裏切り者明智光秀の物語。

「あいつはある意味では侍だった」ってのが良いんですよ。「実は侍でした」とは全く違う。内面に見出される侍と、外付けで侍という肩書を押し付けて最後に情けないやつにするのは違う。

給料を与えたから家臣!とか家を与えたから家臣!とか、そういう定義づけごっこにも当然意味がない。だって彼は最後に「何者でも無いからと見逃される」のが決まっている人物なのだから。

弥助は余所者で、何者でもない。だからこそ侍や家臣という立場に引っ張られず、ただ一人弥助という人間として織田信長と明智光秀の物語に関われていて、それは物凄い魅力だと思うんです。

何者でもない黒人を気に入りそうな織田信長。
本能寺の変を起こし弥助は見逃す明智光秀。
それが、凄く良いんですよ。

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