鳥取県の有害図書問題こそ、危惧していた物の実例です
このノートでは定期的に検閲が重大な違法行為で、表現の自由はエロを守るとかそんな次元のものではないという話をしつこく書いています。
その実例が今話題の鳥取県の有害図書指定問題です。
偉い人が数人集まって、今日はこれを有害図書に指定しようって決めたら、世の中からその本が消えるのです。もちろん検閲そのものなので違法行為です。
そして、執拗に表現の自由にエロだの漫画だのオタクだの関係無いと言っていたのもこういうことです。
検閲とは消えて見えなくなるものなので、今回も仮に検閲された人が被害をアピール出来ない人だったら、ただ本が本屋から消されて作者は職を失い、誰がどんな理由で検閲したかも一般人が知ることは無いのです。
これこそが例外なく法律で検閲が禁止されている理由です。
たった数名の権力者が気に入らない本や表現を人知れずなんでも自由に消せる力など、野放しに出来るわけが無いのです。
改めて、消されたものはそれが正しく消されたかも分からないという前提を認識してもらうと、あれは例外だから表現の自由を奪い検閲しても良いんだという主張をする人間の危険度が伝わると思います。
これを機に、せめて規制という代物がどれほど強力な武器なのかだけでも皆に広がれば良いなと願っています。
警告だけでも強い脅しになり、その上で警告無しに一般人を刺せる武器など気軽に実装してよいわけが無いのです。