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30年間続いた不登校の後遺症① (インターフォン恐怖症)

不登校によって生まれた後遺症

今から三十年前の話である。
小学5年生の時に、学校へ1年間行けなくなった。

その後、再び学校へ行けるようになった。
しかし、いくつかの後遺症が残ることになった。

その後遺症とは、次の3つだ。

(1) インターフォン恐怖症
(2) 自宅電話恐怖症
(3) 醜形恐怖症

三十年間気づかなかった後遺症

「三十年間も、こんな後遺症と付き合ってきて大変だね」と
言われるかもしれない。

しかし、実はこの後遺症があることに気づいたのは、
ほんの数年前のことである。

というのも、仕事の過負荷と上司のパワハラで適応障害になった。

それをきっかけに受けた心理カウンセリングで、
これらの後遺症が残っていることに、偶然気づいたのだ。

もちろん、これらの症状(後遺症)には困っていたが、
生まれた時から存在する「不便さ」として、
当然のように存在するものと思い込んでいた。

例えていうならば、人間には鳥のように羽がない。

だから、行きたい場所に自由に飛んでいけない。
これを「不自由」と取るか、当たり前に存在する「不便さ」と取るか、
それは捉え方次第だ。

私は、それを後者、つまりは「不便さ」と捉えていた。

しかし、心理カウンセリングを受ける過程で、
これらの「不便さ」は、三十年前の不登校の時から発生し、
その後遺症として存在していることに気づいた。

今回から3回に分けて、後遺症についてnoteに綴っていきたいと思う。
まず、今回は「(1)インターフォン恐怖症」の話である。

平日の真っ昼間に小学生は家にいるはずがない!

この言葉が一般的にある言葉なのかは分からない。
  「インターフォン恐怖症」

学校へ行けなかった当時、真っ昼間から家で過ごしていた。

普通ならば、平日の真っ昼間の家に小学生はいない。
なぜなら、学校にいるのが当たり前だから。
つまり、真っ昼間の家に小学生が居るのはおかしい。
居てはいけないのだ。

だから、仮に来客があったしても、
自分の存在を消しておく必要がある。

インターフォン恐怖症になるきっかけ

きっかけは、些細なことだった。

いつもならば、自宅のインターフォンが鳴っても、
一人で留守番している時は、息を潜めて無視していた。

しかし、その日は違った。

近所の酒屋さんがお中元を我が家に届けにきたのだ。

ヤマトや佐川のような普通の宅配業者ならば、
インターフォンを鳴らして不在であれば、そのまま荷物を持ち帰る。

しかし、地元密着な酒屋さんだけあって、
そのままでは帰らなかった。

折しも、お中元の時期なので、
風遠しをよくするために窓を開けていた。

だから、家に誰かいると思ったのだろう・・・。

縁側や勝手口を開ける音がした。
そして、「御免ください」と大きな声が飛び込んでくる。

心臓がバクバクした・・・

この時間に、小学生は家に居てはいけないのだ。

勝手口や窓から離れた奥の廊下へ急いで移動し、
しゃがみこんで、息を潜める。

「家に入ってこないだろうか?」と、
心臓は服の上からでも分かるように、バクバクと動く。

この当時、いわゆる「ひきこもり」の状態だった。
誰に会うにしても、恐かった。

だから、この酒屋のおじさんの行動は、
まるで強盗が家に押し込んできたかのような恐い体験だった。

これが、「インターフォン恐怖症」になるきっかけだった。

ただ、「この困りごとがあるということ」はもちろん、
「これがきっかけであった」ということに気づいたのは、
この出来事から約三十年後の心理カウンセリングの最中だった。

具体的な症状

今から思い返せば、とても些細なきっかけだったと思う。

だけど、このきっかけによって、
約三十年間ずっと、困りごとと付き合うことになった。

具体例を挙げると、
インターフォンが鳴ると、心臓がバクバクする。

そして、インターフォンに出るのが怖い
だから、出れない。

もちろん、もう学校へも再び通い始めていたし、
ましてや、就職して会社へ普通に通っている。

だから、学校へ行けなかった当時と違って、
堂々とインターフォンに出ても問題ない。
もう怖いものはないはずだ。

なのに、インターフォンに出るのが怖いのだ。

ストレートに言えば、何が怖いのか分からない
とりあえず怖い
心臓がバクバクするのだ。

だから、「めんどくさい」とか適当な言い訳をして、
基本的に家族にインターフォンに出てもらう。

もしくは、一人で留守番をしている時は、
宅配便の配達員の方には悪いが、居留守を使わせてもらう。

子どもならまだしも、いい大人がインターフォンに出れない。
今から振り返ってみても、おかしい話・・・。

しかし、この三十年間ずっと付き合ってきた
生きづらさであるのは間違いない。

「なんかイヤだな~」という感情と共に、
曖昧にしてきた生きづらさだ。

今どうなったのか?

心理カウンセリングを卒業して、そろそろ2年が経つ。

心理カウンセリングを通して、
かつての不登校時代の整理と昇華をだいぶん行った。

「その結果、今はどうなったのか?」

セキュリティ付きのマンションに引っ越し、
インターフォンにカメラが付いた。

それも理由の一つかもしれないが、インターフォンが鳴っても、
以前のように、心臓がバクバクすることは無くなった。

そして、来客の対応もできるようになった。

正直に言えば、インターフォンが鳴ると、
いまでも多少だが、心はザワザワする。

だけど、それはだいぶん改善し、
今もまだ少しずつゆっくりと改善しつつある。

やはり三十年間続いた後遺症は、
そう簡単には完全に消えないようだ。

三十年経ったけど、まだ不登校は終わらない・・・

※「30年間続いた不登校の後遺症② (自宅電話恐怖症)」へ続く