【語れよ、理想を。己が夢を。】
ふと。僕は人には自分の理想や夢を語れと説いてきたが…己が理想や夢というのを、明確に打ち出してきたかといわれると、突然自信が無くなった。
口の端に乗せて、端々では言葉ではしてきたかもしれない。
・誰もが笑顔でいられる世界。
・子供達に教育がいきわたる世界。
・夢を語って笑われる事のない世界。
・公平性と平等性が正当に扱われる世界…
ただこれは、「夢」なのか「理想」なのかと改めて突きつけられると、確かに「願っているもの」ではあるが、「その世界に浸ったときの自分」を想像出来なくなった。
総てを叶えてしまった世界で、何を為せばいいかわからない自分…それを考えたときに、「成し遂げようとしている事が好き」であって、ゴールを得た瞬間に燃え尽きてしまうのではないだろうか…だからいつも、手が届きそうになる時に、自分で自分の行動をブロックしてしまっているのではないか…
成し遂げたい事に情熱を燃やす自分が好きだから、「理想」を語る事をしないのだろうか?
人は。理想や夢を語る人が基本的には好きだ。世のリーダー達を見ればそれは明らかだ。キング牧師もガンジー氏もスティーブ・ジョブス氏も…理想を語り夢を語り情熱的に人々を集め、果たすべき役目を全うして描いた理想郷を世の中に創造した。
一見すれば、リーダーよりも才能があるように見えた人物たちですら「その理想は彼にしか描けないから後に就くことを決めた」っと、リーダーを支える事を…否、理想と夢を支える事を選んだ。劉備玄徳に従えた諸葛孔明のように。
理想とは、夢とは、何なのだろう?
プロ野球少年団の少年たちの夢は、プロ野球選手になることなのだろうか?
プロ野球選手、しかも1軍のレギュラーになり、大谷選手のような世界を股に駆ける選手になる…素晴らしい夢だし、無垢に応援したい。でも、そのあとは?
大谷選手だって、今だ練習に練習を重ねる。手放しで勝てる世界ではないし、例え自分が頑張ったって、勝つか負けるかはチームの事情もあるだろう。自分の力だけではどうしようもない事もある。
大谷選手みたくなっても環境のせいで負け続ける事になるかもしれない。それでもそれは「夢」なのだろうか?
夢といわれれば夢かもしれない。でも理想なのか?
理想とは何か?自分が為すべきことを成して、自分が幸せにいられる世界にいる事だとするのならば…僕の答えはたった一つに収斂される。世界を導いてきたリーダー達とは真逆。高尚な想いも、「願い」すらも無碍にする、シンプルな解答。「お金に困らないようになりたい」だ。
その世界に浸りたいがために、いくつもの「願い」を「仕事」として「お金儲け」をしようとしているにすぎない。下世話で低俗な、理想だ。
そりゃ、こんな堕落したような話を、己が理想として話すのは憚られるわけで、口に乗せるわけもない。人には胸躍る情熱を説いてきたというのに。
だがーーー何故、だろうか?
二つの事が言える。一つは「資本主義の世界だ。お金が大事」という超現実的な話と「幼少期の自分」だ。
前者の話は、僕がどうのこうの言わなくても、僕以上にお金の価値に気づいている方も多いし専門家も多い。単純に「大谷選手を目指すとしてもお金がかかるからそこと正しく向き合う事」が必要になるという話だ。神のような才能が「お金が無いから」「バイトしないといけないから」で目を潰されてきたのは…よくある話だと思う。
後者、「幼少期の自分」は、過去、幾つか話をしているが僕には両親がいない。祖母と兄に育てられた経験を持ち、二人は愛情深く僕を育ててくれたが、一般的な家計と比べると、裕福とは決して言えなかっただろう。そんな半生が、僕自身、自分の限界値/ブロックを設計してしまっている気がする。
あとちょっとで、生活が豊かになりそうーと思うと、そこを頑張れなくなる悪い癖がある。
勝手にお金に恵まれないのでは?恵まれる事が悪い事なのではないか?叶わない絶対的な世界を「理想」として見ているのではないか?
理想とは。夢とは。自分が情熱を注いで悔いが無いもの…高原を見つめる事だけではない。
家族を支えられればそれでいい。
自分の趣味に没頭出来ればそれでいい。
自分の身の回りの事を、情熱を持って楽しく出来る事を「理想」や「夢」と指すならば。頂きに上る太陽を掴みに行くだけが人生ではない。
プロ野球少年団の少年は両親の笑顔が見れればそれでいいのかもしれない。
あるいは健康目的でやっているでもいいかもしれない。
マネージャーのあの子が気になるから頑張るのもいいだろう。
理想や夢の大小に分別を付けてはいけない。
そこに進む人の姿こそが、美しいものではないのだろうか?
…僕は、僕の子どもの頃を救える事が一つの…突破しなきゃならないものなのだろう。
だから、あの手この手を学び、ありとあらゆるノウハウを身に着け、自分で自分を救おうとしながらも、他の人の事は頑張れるのに、イザ自分となると頑張れない…
遠ざかる理想・夢・自分…
希望はあるのだろうか?
ある。
・誰もが笑顔でいられる世界。
・子供達に教育がいきわたる世界。
・夢を語って笑われる事のない世界。
・公平性と平等性が正当に扱われる世界…
願望でしかない事態の結果、誰かを救えてきた事実は積み重なっている。笑顔ややりがいの報酬を得てきたのは間違いがない。その報酬を積み重ねていく事が、歩を進める力強さになっている。
「願い」は僕に力を授けてくれていたのだ。確実に。
「お金は誰かを笑顔に出来た対価」であるならば、それに答えてこなかった自分に理由がある。
そぅ、そうだ。理想と夢をちゃんと言葉にしてこなかったからだ。
自分が豊になれば、世界を救う事にもっと邁進出来る。
大げさなものいい?お前にそんな力があるのか?
分かっている、自分でも。でも、それでも。それを信じて進んできた自分の総てを裏切りたくない。
倒れるなら、前のめりでいい。
旗を掲げ、我ここにありき。道なき道を進むものの導になるならば、傷つきながら暗闇の中を進む事をためらいなどはしない。愚かさを掲げて情熱に生きて散っていこう。
それが、理想と夢に生きる者たちの賛歌になるならば。
舟は竜骨によって成り立つ。他のは部材はあくまでも竜骨のためにあるならば。
「俺は誰かの情熱をより燃え上がらせる導となる旗を掲げる」
総ての旗に叛いて。自分だけの世界を創れる社会のフラグをここに打ち立てる。
世界を盤上事ひっくり返して、子供達に笑顔を!