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自己紹介 | はじめてのnote
脱ぎ捨てた女子と、偽装した母の姿と、脱皮した…その先。
ジムに行くためのフィットネススニーカーしかもっていなかった。
スニーカーとは無縁だったし、デニムを一本も持っておらず、いつもひらひらなスカートをはいていた。
推しを追いかけて全国を旅し、コンサートに舞台にミュージカルに、ついでの旅行。好きなだけ自分に時間を使っていた。
そんな生活は、念願かなって授かった息子の存在をもってして一変した。
一日合計6時間以上公園を散歩した日もある。
なかなか帰り方がらない息子と、日が沈む公園で途方に暮れたことも
泥だらけになった息子をお風呂に抱え直行したことも
自転車(電動)を片道一時間半以上漕いで博物館や水族館にも行った。
小さな子供と公共機関に乗ることは怖かったし、
何よりも、誰かの不愉快になることが嫌だった。
靴を自分ではきたいと意思表示されれば手を出すことなく40分玄関で付き合ったし、好きになった仮面ライダーは何周一緒に見たかわからない。
かわいい洋服も、キラキラのネイルも、厚底の靴も封印し
同調圧力のように求められる日本の母親像になろうともがき、
偽装した母の姿を身に着け、毎日を戦っていた。
そうであるように誰かに言われたわけでは決してない。
なんとなく、そういう空気を感じて自分でその道を選択したのだ。
無意識とは怖い。思考しないとは、本当に怖い。
そんなある日、わたしはとうとう心が虚無になることになる。
様々な要因があったと思うのだが産後鬱になった…。
息子を抱きしめたまま泣き、生きる希望を失ったまま必死の思いでその日を生きていた。正直、当時のことはあまり覚えていない。
ただ…幼稚園(我が息子の場合はインターナショナルスクール)の存在に救われたことだけはお伝えしたい。
なぜなら、数時間の自分の時間ができたから。自分のことを”考える”ことができたから。大切な息子を傷つけずに済んだのは外の世界へと繋がったから。そして、自分の思考が自分のために少しばかり動き出したからだったように思う。
偽装した母親の姿、を産後鬱になった事で辞めた。
わたしは、キラキラのネイルも好きだし、大ぶりのピアスも大好物だ。
黒いワンピースに厚底の靴を履いて、推しのアクキーを鞄につける。
いつの間にか封印していた自分の大好きな者たちを解き放ち、わたしが好きなものに囲まれて、推しに久しぶりに会いに行ったとき。
”もっと楽しく、生きたい”
と心から思った瞬間だった。涙があふれて止まらず、完全に空気の読めないヲタクだった。
でも…わたしに必要なものが何か、何が大切なものなのかに気が付いた瞬間だったのだ。
それ以降は、専門家の指導の元投薬治療もしながら、産後鬱と向き合い
息子の成長とともに状況は少しづつ改善していった。
数年後、主治医に何げなく言われた「そろそろ社会復帰してもいいんじゃない」という一言をきっかけに、わたしは再び社会に出ることになる。
弊社の代表との再会、仕事への復帰から、まさかの管理職になるまで。
あっっという間の出来事だった。子育てのことも仕事についても…今後少しずつ書いていきたい。
長くなってしまったが、わたしは”今”をもがきながらも精いっぱい楽しんで生きている。自分の大好きなものを一つ一つ探しながら。自分にわたしらしさを問いかけながら。