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変えられるものと変えられないもの

「過去と他人は変えられない
 変えられるのは未来と自分」

という言葉をよく目にする。

どうやら私はずっと、過去と他人を変えることに時間と労力を費やしていたみたい。

そこには、正しさ、常識、普通、理想、べき…それらがひしめき合っていた。

その言葉を頭では、意識では理解していたつもりだけど、感情、無意識では全く納得していなかった。

相手が変わってくれたら
いつかは分かってくれるはず
今からでもどうにかしたい

その一つは、幼い頃にほしかった親の愛。
それをずっと、大人になっても諦めきれずにいた。

自分と向き合うということは、どうしても過去の痛みや傷にぶつかる。
この難関を通らずして前には進めない。
時間をかけて、ときには休み、また触れてみる、また休む、また触れる…
ときに誰かに、何かに助けてもらいながら、それを繰り返していくと、いろんな自分の思いや感情が見えてくる。

それらを受容し、寄り添い、ゆっくり癒していくと、幼い頃感じだものとはまた違う、大人になった今の目線で見えてくるものがある。

過去の出来事や感情は変えられないけど、その解釈、視点が変わることで、過去の痛みや傷が和らいでいく。
さらに、その人、ここでは親に対する見え方が変わってくる。

確かこれくらいの段階で一度、私が幼い頃感じていたものを母に伝えたことがある。
何かを求めていた訳ではなく、ただ言いたくなった。
母は驚いていたけど、最後まで聞いてくれ、労ってくれた。我慢してたんだね、頑張ってたんだねって。
さらに、母が私に抱いていた思いを初めて知ることができた。
敢えて言わない愛もある。嬉しかった。

言ってよかったし、私の中で何か一つ完了したように感じた。

親の不器用さだったり、一生懸命さだったり、
今の大人の自分がそうであるように、親は親でそれぞれ頑張って生きてきたんだ。
私の理想的なものではなかったけど、あれはあれで二人の愛の形だったんだ。

でも、下手くそだな〜、まるで今の私みたい
って。

愛はあった、だからもういいや。
そう自然に思えた。

あとは、自分の問題。
いつまでも理想の形に執着しているのは私、これを手放すかどうかも自分次第。

過去と他人は変えられないけど、過去の解釈と自分は変えられる。
その変化、恩恵は未来に繋がっていく。
そう信じている。

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