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どうしても気になる人

そういう人がいた。
正確に言えば、その人は今もいる。

理由はいろいろある。
一言で言うなら、自分の好き嫌いや感情をそのまま出す。

怒鳴る、物に当たる、その後バツが悪いのか、甘える、体調不良、というパターン。

毎日のように目の当たりにするのは、猛烈なストレスだった。

自分の好き嫌いで仕事を振ってくるのを、こちらも負担が大き過ぎるとか、これはお願いしたいと、訴えてみては、一時的に変化があったり、なかったり…

人って簡単には変わらない。
ましてや他人なんて、変えられない。
人は自分の意思でない限り変わらないし、変えらるなんて嫌だから、仕方ないけど…

誰かに相談したも、そのときはスッキリする。
でも、どうしても気になる。
気にしないようにしても、気になる。

どうにかならないか…と悶々とする日々だった。

あるとき、ふと気づいた。
ずっと気にしているのは私で、そのことで頭がいっぱいなのも私だし、振り回されているのも、上手く切り替えできないのも、全部私だ。

どうしても気になる人を、どうしても気になっている人は、私なんだ。

そして、思った。
その人を変えることはできないし、それは私がすることではない。
私はただその人が気にならなくなりたい。
好きになる必要もないし、嫌だな〜と思っていてもいい。
とにかく、その人の言動、特にその人のコロコロ変わる感情に、いちいち反応したくない。
軽やかに、華麗にスルーしたい。

そう思ってから、一年くらい経つ。
気にしない練習の成果が出てきて、だいぶ気にならなくなった。
その人は相変わらずだけど。

今は、またそのパターンねって、そのパターンを崩さない姿にちょっと笑えるし、感心すらする。
明らかに好き嫌いで仕事振る、でもそれは私にだけではなく、誰に対してもそう。
そういう人、であるだけ。

私は私、その人はその人。
その線引きが明確になったこと。
そして、言葉は一旦受け取りつつも、その人の感情は一切受け取らない、そう決めたことが大きい。

もちろん、最初は振り回されたし、気持ちの切り替えもできなかったり、何度もくじけそうにもなった。

ただ、気にならなくなったらいいな〜の先にあるものが、とても明るく、とても心地良いものだという確信を持っていた。
それが良かったと思うし、だからこそ日々鍛錬できたのかも。

最近思うけど、あえて困難に立ち向かいたいのか、ただの負けず嫌いなのか、よく分からないけど、どうやら自分を追い込むのが嫌いじゃないみたい。

結局、自分で選んでいるし、何だかんだで楽しんでいたりする。
これも性分だと受け入れることにした。

それにしても、長い修行だった。
必要な修行だったけどね。

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