見出し画像

田舎暮らし「移住」がうまくいかない理由


 仕事をリタイアしたら、田舎でのんびり暮らしたい!とか、子供たちには自然豊かなところでのびのび育ってほしい!といった希望を持って、「田舎暮らし」を検討しておられる人はとても多いと思います。

 ところが、実際に田舎に移住してみると、「田舎の人は閉鎖的」であったり、「都会暮らしと感覚が合わない」など、トラブルに見舞われるという話もちらほら聞こえてきます。

 メディアなどでも、こうした「都市出身者の田舎移住」についての課題や問題点、あるいは起こりうるトラブルについていろいろ話が出ていますが、今回は「ルーツ調べ、ご先祖さま探し」というまったく違った視点から、この謎について解説してみたいと思います。

 どうして都会からの移住者と、田舎の人たちの間で齟齬が生じてしまうのか、目からウロコの納得の理由を説明しますね!

(参考記事)


==========

 一般的には、田舎暮らしを目指して移住してきた人たちは「都市・都会の感覚」を持っていて、田舎の人たちは「閉鎖的で村社会」であるといったイメージが思い浮かぶと思います。その感覚、考え方に違いがあるから、田舎暮し移住がうまくいかないのである、という話はわかりやすいと思います。

 ところが、それらの記事や説明では「なぜ都会と田舎の感覚や考え方には違いがあるのか」について、あと一歩つっこんだ話がなされません。

 田舎暮しを提案している人たちや専門家でも、いまいちよく知らないというか、さらっとスルーしていることが裏に隠れているのですが、そのためには、ある程度の「歴史」を知っておく必要があるのです。


 まず、「都市生活者」と「田舎に住んでいる人たち」は、どうして切り分かれたのか、という疑問が、その謎を解く最初のカギとなります。私も阪神間の都市部に住んでいましたので、生まれも育ちも「都会っこ」でしたから、都市生活者の気持ちは理解できます。(今は田舎暮しです)

 私自身もそうですが、都市生活者は生まれた時から都市の匿名性、消費性しか知りません。誰からも構われずに、自由に生きてゆくことができるという特権を享受しています。

 ところが、この特権は、裏を返せば「根無し草であり、浮浪生活である」ということと同じです。都市サラリーマンは賃貸マンションなどに住み、ただ消費をしながら転勤などで移動を繰り返しています。自由であると同時に、放浪の生き方でもあるわけです。


 この放浪生活、根無し草の生活が「良きもの」であり、「充実したもの」となったのは、戦後の高度成長期以降、日本の産業が第三次産業などの「土地を基盤としないもの」へ移行してからであり、簡単に言えば、「サービスが主体の、労働をどこででもお金に換えられる生活」が成り立って以降のことだと言えるでしょう。


 もし、戦後の高度成長が起きていなかったら、都市生活とはどんなものになっていたでしょうか?それは、全国各地から「土地や家屋を持たず、畑や田んぼを持たず、あぶれた若者が、仕事を求めて都市へ流入する」というスラム的なものになっていた可能性があります。

 実際には、日本においては、都市はスラムにはならず、驚くほどの経済成長を遂げて「都市で生活するほうが、良い暮しであり、お金を持っている」ということが起きましたが、それはすべて「経済」の成功によるものだということが真実なわけですね。


 それに対して、田舎で起きていたことは、実は戦前も戦後もあまり変わりはありません。土地や田んぼを膨大に所有していますから、そこで農業を中心とした第一次産業でお金を稼ぎ、徐々に第二次・第三次産業との併業で収入を得てゆく、というものです。

 この時、大きな土地や田んぼは、できるだけ分割せずまとまっていたほうが有利ですから、「田分け(たわけ)」にならないように「長男への一括相続」が基本でした。そのため次男以降は、分家を認めてもらって田畑の一部を分割相続させてもらえたらラッキーですが、そうでない場合は「都市へ追い出されて行った」のが実態です。

 ここで起きていたのは、もともとの日本のスタイルでは「田舎に土地とお金を生む産業があり、都市生活者はあぶれ者である」ということです。
 それが、戦後の高度成長のおかげで、都市生活者のほうが、経済的(あるいは学歴のような身分的)な逆転を勝ち得たのだ、ということになったのです。


========

 ルーツ探しをしていると、たいていのおうちには「田舎」があります。私のような都市生活者でも、2代か3代くらい遡れば、どこかの「田舎」の「本家」と呼ばれるようなおうちにたどりつき、そこには田んぼや畑がたくさんあったりします。

 これは言い換えれば、私のような都市生活者は「長男の家系でなかったから、2〜3代の間に追い出された側の末裔である」ということを意味します。

 こうした都市生活者が、田舎暮しをしようと思って地方へ移住すると、迎える側の論理としては「あぶれ者が戻ってきた」という発想になるのは、たやすく理解できるでしょう。田舎側とすれば、たしかに人口は減少していて、経済的にも疲弊しているかもしれませんが、「長男」が維持できているおうちは、困っておらず、むしろライバルがいないので安泰だからですね。

 しかし、現実としては、その長男の家系は絶えつつあるので、「できることならば、血のつながった跡継ぎであれば、戻ってきてほしい」と考えているのも真実だと思います。

 なので、私個人では、「地縁・血縁のある田舎へ戻る」ということは、意味があると考えています。それを「本領復帰・本領発揮」と呼んでいます。

 もともと先祖代々受け継いできた土地を、同族が守るという意味ではかなり大切なことなのですが、ぶっちゃけそうした「本家を継ぐ」となるとたいていの都会人は身震いして御免被るのがリアルな本音でしょう(笑)

 それでいて、まったく無関係な田舎に移住して「のんびりしたいな〜」なんて言っているのですから、そりゃあ話は噛み合わないはずですね。


==========

 しかし、実際には田舎暮しというのは「のんびり」できるものではありません。みなさんが思い描いている「田舎」のおうちや集落は、たいていの場合戦国時代くらいにはみなさんの先祖がそこに根付いています。ざっと500〜600年くらいは、そこにいることが多いのです。

 なぜ戦国時代と言えるかというと、江戸時代は転居の自由がありませんので、何がしかの役目などで移動したり、それこそ跡を継げずにあぶれてしまった者以外、「土地を所有している者」は、ずっとそこにいます。なので、明治大正昭和の時代に「先祖代々ここで農民だった」というおうちは、ほぼ戦国時代からそこにいることが多いのです。

(明治になって、多くの次男三男たちがあぶれてゆき、北海道へ移住したり満州へ移住した者もたくさんいました)


 まあ、それくらい昔から集落や里山を維持してきているわけですから、みなさんが見ている「田舎」の風景は、ほぼ100%人工物であると言えます。「田舎は自然にあふれているなあ!」というのは、ディズニーランドを訪れている観光客みたいなもので、実は田舎の景色は100%人工物で整えられているのです。

 山ひとつにしろ、整然と杉が植わっていたり、裏山でたけのこが取れたりするような山は、江戸時代から人の手が入っています。ほんまもんの自然に被われると、山や野原は10年もすればジャングルになり、踏み入ることもできなくなります。(北海道の廃村などは20年も経てば、近寄ることもできません)

 そうした「イナカーランド」的な風景を維持するには、後ろで働いている人たちが山ほどいるわけですが、田舎暮しをするということは、多かれ少なかれ、「後ろで働いている人たち」に参加する、ということになるわけですね。

 だから、田舎の人たちから見れば、観光客としてお金を落としてくれている間は都会の人たちを歓迎していますが、「うちのイナカーランドで働いてくれるのか?」ということについては、いきなり経営者や同僚の目線に切り替わる、ということなのです。

(実際には、イナカーランドのキャストとして中にしっかり入れば、それなりに快適です)


==========

 もうひとつ、戦国時代以来のややこしい話を引きずっている要素に「権利」の問題があります。
 ある田んぼが、あるおうちのものである、ということを真面目に考えてみると「ここは先祖代々うちの田畑だ。山だ」という話は実はすごいことを言っています。その土地や田畑は、さっきも言ったように、江戸時代もずっとその家や一族のものであり、周囲には同族の分家が広がっているわけで、つまりは戦国時代にはそれらの土地は「その一族の領地であった」ということを意味しています。

 ということは、その土地を守るために、戦があれば出兵しているわけで、そのルーツや先祖は「戦国武将である」と言えます。

(実際、先祖代々の農家のほとんどは、戦国武将的な人物にたどり着きます)

 さて、田舎の村や集落は、そうした武将たちの集合体ですから、一種の合議制で成り立っていることも多く、それぞれの村での役割や取り決めもしっかり分担されていました。

 そうした経緯で、江戸時代には個人所有の田畑や山もあるし、村所有の田畑や山が存在する場合もあったのです。

 これが現代でも引き継がれていてたとえば「松茸山」みたいな山は、村が所有していて売上を分配したりするわけです。

 そうするとこの「松茸利益分配権」を持っているのは、村の歴代の構成家だけであり、よそ者には渡さない、ということが起きてきます。これが形を換えて「だからこの村の自治会には入れさせない」みたいなことにつながったりするからややこしいのですね。

 こうした「入会地」権、「水利」権、「寺の檀家」「神社の氏子」など、その村の歴史にまつわるいろいろな「経緯」や「しがらみ」があって、集落が成り立っているので、そりゃあ都市からやってきた人たちには、順応できないのも致し方ありません。

「こっちは武田信玄さまの時代からそうやってるんだよ!」

なんて台詞が、実際にどこかの田舎で発せられたとか。


==========

 こうして歴史の流れを追いかけてゆくと、都市からやってきた人たちが「現代の、都市の、消費生活者の」感覚で話をしても、完全にタイムスリップしたように話が噛み合わないのは当然と思います。

 かといって、田舎の人たちが単に「古い、閉鎖的、封建的」であるとも言えず、そうやって土地や田畑を数百年(もしくは1000年近い場合もある)維持してきているわけですから、実際にやっている者の意見を尊重せざるを得ない部分もあるのですね。

(「じゃあ、明日からお前がイナカーランドを全部維持しろ!」と言われたら、たいていの都市移住者は逃げ出してしまうことでしょう)


 結論としては、「田舎に移住するな」ではありません。途中でもすこしお話しましたが、もともとみなさんが関わりのある田舎。みなさんの先祖が領主だったような田舎であれば、「同族」として理解を示してくれる場面が増えると思います。

 あるいはみなさんの側でも、自分の先祖がどのようにその土地を維持してきたかを思えば、無責任ではいられないという意識改革ができるのではないでしょうか?

 本領復帰、本領発揮!

を合言葉にしてみてください。



(おしまい)





この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?