瞑想5:イリュージョンの打破
イリュージョンとは幻想のことで現実の世界にはありえない想像の世界です。
ところが人間は想像の世界と現実の世界を混同して見分けがつきません。
そのため要らぬ心配をしたり困難に苦しめられます。
『それから』の代助は「日本現代の社会状況のために、幻像(イリュージョン)打破の方面に向って、今日まで多く費やされたのと、」といいます。
日常の生活にはイリュージョンが満ちあふれているのです。
そのため人の人生は無駄な時間をあまりにも使いすぎているのです。
有りもしない想像を真に受けて行動しているのです。
それが意外にも世論という看板をぶら下げて澄まして歩いてくるのです。
そこで人は簡単に言葉を信用してしまうのです。
言葉はコミュニケーションにとっても大切な役割を果たしているのですが。
言葉は強力なバイアスとして働くのです。
バイアスとは日本語で偏見とか先入観と訳されます。
すべての言葉はバイアスに成り得るのです。
簡単に幻想の世界へいざなう働きをするのです。
夏目漱石は『倫敦塔』で人は簡単にイリュージョンの世界と現実の世界を混同してしまうといいます。
『倫敦塔』は冒頭でロンドン留学中に一度ロンドン塔を見物したことがあると言う言葉で始まります。
それで観光記だと思って読んで行くと最後でほとんどは余の空想だと次のようにいいます。
「この篇は事実らしく書き流してあるが、実のところ過半想像的の文字であるから、見る人はその心で読まれん事を希望する」
わざわざこのような断り書きを入れているのは幻想の世界から目を覚ますように注意をしたのでしょうか。
「見物した事がある」と言う一言がバイアスとして読者を幻想の世界へ引き寄せるのです。
幻想の世界と言うと誤解されやすいのですが虚構の世界がそれです。
事実に反する言葉には「嘘」の世界があります。
ここで道徳を説くような野暮なことはしません。
「嘘」を勧めることもしません。
規制を強化すると隠ぺいや誤魔化しが増えるからです。
結果的に虚構の世界が蔓延するからです。
そのほかに事実で無い虚構の世界を表す言葉は次の通りです。
「御世辞、馬鹿にする、茶化す、思わせ振り、法螺、胡魔化す、不自然、不合理、ひやかし、とぼける、からかう、吹聴、出任せ、打算的、不真面目、虚偽、軽薄、無駄口」などです。
これらの言葉が『それから』で使われているのです。
いかに日常の生活がイリュージョンに満ち溢れているのかが解ると思います。
人間関係の悩みはこのような虚構の言葉によって作られるのです。
事実か虚構か見分けがつけば悩むことは無いのです。
それに対して代助は事実の世界を「真面目」と表現しています。
『それから』で「真面目」が実に40回ほど使われているのです。
代助が如何にイリュージョンの打破に真剣であったかが解ります。
これが瞑想の結果であったことは次回で説明する予定です。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
引用は青空文庫です。