『それから』論6:即非とルビンの壺
上の図は有名な「ルビンの壺」といってだまし絵の一つなんですね。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1915年頃にデンマークの心理学者エドガー・ルビンが考案した多義図形です。
何に見えますか多分「壺」が見えると思います。
少しその「壺」を見ていてください。
すると黒いところが向かい合った顔みえてくるでしょう。
しかし同時に顔と壺は見えないはずです。
顔が見えている時は壺は見えないのです。
それが正常な人の見え方といわれています。
ところが代助はこの顔と壺が同時に見えると考えられるのです。
代助の次の告白を見てください。
「融通の利(き)く両(ふた)つの眼が付いていて、双方を一時に見る便宜を有していた。」
これだけでは何の証明にもならなと思います。
この現象を言語に置き換えるてみます。
顔は壺である言い換えることが出来るます。
顔=壺という公式は成立できません。
矛盾が起こってくるのです。
だから代助の告白は信ぴょう性が無いといえます。
ところが禅の世界では難しい公式を正しいと主張します。
「即非の理論」といわれるロジックがそれです。
Aは非Aと同じだといいます。
A=非A
この式が二次元の図形で起こることは言語の次元でも起こる可能性があるのです。
壺から顔にかわるのに少し時間がかかったとおもいます。
その変わる時間を短縮できればほぼ同時に両方の図形を見ることが出来ることになります。
代助が人生上の矛盾をこの二つの眼で解決してきたことは「『それから』論4:無刀の妙術」で説明した通りです。
代助は親切な人=代助は罪な人、これは矛盾で悩みの原因でした。
しかしこの公式が成立した途端に難問が解決したのでした。
即非の理論は鈴木大拙が言い出したのですが、
釈宗演老師を師と仰ぎ修行を積んだのが鈴木大拙です。
その釈宗演老師に夏目漱石は接見しているのです。
進んだ道は違っても考え方は違わなかったと考えられます。
面白いですね。
即非の理論をルビンの壺と同じだとおもったのは私の直感です。
意見をもらえると有難いです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。