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『それから』論1:仮想世界と現実世界

夏目漱石の『それから』を例に仮想世界と現実世界の違いを明らかにしていきます。

バーチャルリアリティーの世界は、コンピューターの性能の発達によって可能に成り、人工知能とともに、ますます研究されている最先端の分野の一つであります。

ゴーグルを装着して見るバーチャルリアリティーの世界は仮想世界と現実世界の区別が出来ない状態になります。

今地球上にいないと知りながら恐竜が突然目の前に突進してくると思わず身体を避けようとします。

行動を引き起こすのです。

それに対してテレビで見る映像よりも映画館で見る大画面と大音響による迫力ある映像は感情をゆさぶります。

最近のVR、バーチャルリアリティは人間の感動だけではなく、行動さえも起動させる力を持っているのです。

普通の映画やテレビでは起こらない反応ですが、VRでは危険な動物の接近に人は身を避けようとします。

本人にとっては実在の物体と感じているのであります。

そのような状況からして、現実とバーチャルの世界の境界、違いが区別出来ない世界なのです。

ゴーグルを装着すると三六〇度の世界が上下左右に、しかも立体的に動的に展開され、時間空間が拡張されるのです。

ゴーグルの視界には現実の視覚さながらの映像がみえます。

そのため仮想の世界で有るとは解っていても反応してしまうのです

ゴーグルを装着した本人は最初は仮想世界である事を認識していても、バーチャル映像を見ていると、それを忘れてしまうのです。

現実の世界と仮想の世界が曖昧になり、意識は曖昧な状態に置かれるのです。

そして意識はやがて瞬間的には仮想世界を全面的に受け入れ現実の世界と思ってしまうと考えられます。

 幸運にもゴーグルの着装によるバーチャルリアリティーの世界は、第三者により仮想世界である事が証明できます。

例えゴーグルを装着した人が現実の世界と感じ反応しても仮想世界である事は否定する事はできません。

本人もやがて、それを認めるでしょう。

自他共に仮想世界である事が確認出来る事がバーチャルリアリティーの世界であります。

バーチャルリアリティーの世界を客観的に仮想世界であると認識して自他共に証明できる事が重要な点なのです。

 じつは映画やテレビのドラマ、小説も列記とした仮想世界でありますが、仮想世界であるとか虚構の世界である事をしっているのです。

作者によるフィクションであり想像の世界であります。

テレビでは隣に親が居り兄弟が居り、会話をしながら、あるいは食事をしながら映像に対する注意は中断されます。

そのためドラマを見ていると言う現実の事実が挿入されるのです。

ドラマの内容とドラマを見ている現実が混同されても、リアリティーの世界が優勢に成ってしまいます。

 ですから、ゴーグルを着装して居なくても現実の生活の中でも人間は仮定の世界、想像の世界、予想の世界、夢想の世界に生きている存在なのです。

元々ある意味、多かれ少なかれバーチャルリアリティーの世界に居るのです。

自然や外界を人間の都合の良い様に知覚して認識しているのです。それはまた合理的であり適応的でもあります。

イリュージョンと言われる錯視、錯覚も混沌とした外界を整合的に知覚、認識しようとする合目的な機能なのです。

 そこで問題に成るのが日常に於ける仮想世界と現実の世界の混同です。

ゴーグルの着装によるバーチャルリアリティーの世界ではその両世界の区別はすぐにわかります。

人食いサメや獰猛な猛獣に襲われそうに成っても、ほとんど日常生活に影響はないでしょう。

ところが日常世界における気の付かない想像や予想と言った仮想世界は、現実の日常生活に重大で深刻な影響を与える可能性があります。

人生の判断や決定に誤った条件を信じ込ませたり、大きな期待や過大な食欲、満足感を与える事です。

 「絵に描いた餅」と言う諺は腹を満たすことが出来ないとか、現実では無く実現出来ない事の例えで「仮想世界」の話ですが、はたして其のとうりでしょうか。

我々は日常テレビやインターンネットで人気の有る番組に料理番組や美味しそうなケーキ、お食事などを見て食欲をそそられます。

また栄養学的に説明されるよりも、見た目に美味しそうに飾り付けた料理に満足します。

現実には仮想的な「絵に描いた餅」が付帯的に無ければ人間は満足できないことも事実なのです。

むしろ原色の色鮮やかな映像、写真、絵の要素が満足感を与えるのです。

 それでは、現実世界と仮想世界の共通点と違いとは何でしょうか。

催眠暗示でも人は催眠誘導で不合理な行動をとります。

バーチャルリアリティーでも不用意な行動を咄嗟にします。

これは人間の意識が操作されているからなのです。

催眠状態から覚醒しても、暗示を掛けられていた内容を記憶して居ないことがあります。

ただその指示が不自然で不合理なことであると、反省して拒否しないのは、注意の範囲が限定されていて、意識の推移が狭められているからなのです。

多くの選択技の中から選択出来ないように意識を集中させられているのです。

極端な例で言えば、二者択一問題、イエスかノーしか頭に浮かば無い筈です。

催眠状態ではそのノーも言えない状態に誘導するのです。

連続的にイエスと言わせるのです。

その結果不条理な誘導にも順応させらてしまうのです。

 一方バーチャルリアリティーの世界は意識の連続は広範囲おかれます。

自由に右を見たり、左を見たり、後ろも前も上も下にも注意を向けられます。

ただその映像の推移は高速に推移する事が多く、反省する暇が無いのです。

一瞬の出来事に咄嗟に行動してしまうのです。

そして意識の内容は仮想世界以外は入り込む隙が無い為、現実と誤認してしまうようになります。


『それから』の大助は幻像(イリュージョン)の打破に打ち込んだのです。

バーチャルリアリティーという言葉がなかったからイリュージョンというのです。

それが『それから』の大きな主題、テーマなのです。

イリュージョンから自由であったことが。

夏目漱石の独創的な創作の秘密なのです。

仮想世界と現実世界の見分けが出来るからです。

次回から『それから』で仮想世界と現実世界がどのように取り扱われているかみてゆきます。

今日はこれまでにします。


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