龍神考(26) ー龍の数秘は八と九ー
生命を癒し育む雷鳴
雷、特に雷鳴は生物の細胞の損傷を癒して生命を保護し、またキノコ類など植物の成長を促進させ、太陽の電磁波にもDNA修復機能があることを「龍神考(25) ー慈悲の春日の雷音ー」の考察で知りました。
そこで自然崇拝の観点からは、太陽神の御孫=邇邇芸命(ににぎのみこと)を雷神猿田彦神(さるたひこのかみ)が案内された天孫降臨神話も、DNAを修復させる太陽と細胞を癒す雷による生命保護の働きとも捉えられます。
そして、天孫降臨を可能にするために大国主命(おおくにぬしのみこと)に国譲りをさせた武甕槌命(たけみかづちのみこと)が雷神だった点にも、雷鳴の生命保護の側面への意識が窺えました。
出雲の国譲りは出雲の神在月(かみありづき=新10月下旬〜12月上旬)の後の陰気が極まって陽気が生じる冬至の一陽来復に、天孫降臨は立春〜立夏の春雷の季節の二十四節気の春分と七十二候の「雷乃発声」に対応する点に気づいたからです。
天孫降臨神話と春日大社の御由緒を季節の流れに比定してみましょう:
・出雲の大国主命の下に全国の神々が参集する神在月→新暦10月下旬〜12月上旬
・武甕槌命による大国主命の天孫への国譲り→12月22日冬至の一陽来復
・武甕槌命の御本社(大宮)への遷座→768年11月9日(新暦12月22日冬至)
・武甕槌命の御蓋山降臨→768年1月9日(新暦2月1日立春直前)
・猿田彦神(春雷)の天孫(春の太陽=春日)降臨案内→春分の七十二候「雷乃発生」
・天孫降臨→細胞を癒す雷によるシューマン共鳴+DNAを修復する太陽の電磁波
雷=申への意識は、武甕槌命の御蓋山降臨と大宮遷座の日付や、勅祭「春日祭」の別名が「申祭」で、旧暦二月申の日(現在は3月13日)に行なわれてきた点にも窺えます:
・大宮遷座→神護景雲二年(申年)11月9日己卯(直後の甲申=11月14日=小望月)
・御蓋山降臨→神護景曇二年(申年)の旧1月9日甲寅(直後の庚申=1月15日=望月)
・御蓋山降臨と大宮遷座→申(雷)年の申(雷)日と小望月か望月が重なる前の九日→小望月と望月(ほぼ満月か満月=太陽光の最大級の反映)と申(雷)の組み合わせ
・旧二月申(雷)の日の「春日祭(春の太陽の祭)」=「申祭(雷の祭)」
春日山の能登川と佐保川の分水嶺には鳴雷(なるかみ)神社が御鎮座で、天水分神(あめのみくまりのかみ)が祀られています。
「香山(こうぜん)龍王神社」や「高山(こうぜん)龍王神社」の社号、「春日龍神」の神号もあったようです。
「水分(みくまり)」は「御子守り(みこもり)」につながるものであることを「龍神考」では繰り返し指摘、考察してきましたが、春日山の山並みは春日大社が鎮まる御蓋山を抱擁するようにも見えます。
「鳴雷」は雷鳴のことでもありますが、雷鳴には生命保護の効果があり、武甕槌命の本地仏=釈迦如来の説法の喩えである「雷音」も人心を癒す効果があることへの意識が古の人々にあったのではないかと、御蓋山を抱擁する春日山に鳴雷神社創祀の信仰思想上の背景を想像しています。
鳴雷神社の前にはどんな旱魃にも水を豊富に湛えるという龍王池があります。
ここはこれまで見てきた采女伝説にも関係しており、采女の入水を嫌った猿沢池の龍神が鳴雷神社の前の龍王池を経て室生(むろう:奈良県宇陀市)の龍穴にお遷りになったと伝えられます。
室生龍穴神社に参詣したことはないのでネットで調べると、現在は「高龗神」が御祭神ですが、社殿には「善如龍王」の扁額が掲げられているようです。
「高龗神」と「善如龍王(善女龍王)」のいずれが正しいか?との議論はさておき、これらの神々には本質的に同じものが感得されてきたことを示す事例ではないかと思います。
そして、天水分神(鳴神神社御祭神)=春日龍神≒善女龍王≒高龗神、という神々の関係性を示すものでもあるでしょう。
龍の数秘は「八」と「九」?
それでは、雷神武甕槌命が御蓋山に降臨され、大宮に遷座されたのがいずれも「九日」だったことにはどんな背景があるのでしょうか?
「九」が一桁では最大の数字であり、最大の奇数(陽数)数字になります。
『漢字・漢和辞典ーOK辞典』というサイトでは、「九」は「屈曲(折れ曲って)して尽きる」象形で、数の尽き極まったニュアンスを伝えているそうです。
すると、太陽光を最大に反映した(ほぼ)満月の直前の最大の陽数(奇数)となる日が意識されていたことも考えられます。
しかし『コトバンク』によると、「九」は「竜蛇」の象形とされています。
確かに日本には「九頭龍(くずりゅう)」という神様もおられ、出雲で須佐之男命(すさのをのみこと)が退治された八俣大蛇(やまたのおろち)の「八俣」も「八つの股(首と首との間)」とすれば「八俣大蛇」=「九頭龍」を暗示していることになります。
尤も「八岐大蛇」=「八頭」を明示する表記もあります。
「やまたのおろち」は「八頭」と「九頭」のいずれが正しいか?というのは、現代的な発想であって、昔はどちらもあり得ることを暗示するためにこのような複数の表記を用いたのだと思います。
それ故、「八岐」と言霊が同じ「八俣」という表記で「九頭」の龍もあり得ることを暗示しようとしたのではないでしょうか?
あるいは「八」と「九」という二つの数字の両方が、「龍」や「竜蛇」と関係が深いものであることを伝えようとして、これらの表記が生まれ、伝えられてきているのではないでしょうか?
信仰に関する概念を表す言葉の意味は重層的であり、一言で複数の意味を同時に伝達するものであり、またそうなるように言葉が生まれ、使われてきています。
したがって、神話や神社の御由緒、お寺の御縁起などの解釈においても、一つの言葉が複数の意味を同時並行的に伝えている可能性を常に念頭に置く必要があり、それらの意味のうちどれかが正しく、残りの解釈は間違いのはずだという視点では、見えるはずのものも見えなくなる恐れが大きいです。
龍神信仰に「八」と「九」が深く関わっていることは仏教系の八大龍王への信仰にも窺えます。
日本における龍神信仰の起点は八大龍王の三番目の沙加羅(しゃがら)龍王の第三王女、善女(ぜんにょ)龍王だったと、春日大社の社報『春日』第111号で知った旨を書きましたが、八大龍王に善女龍王を加えると九柱の龍王になります。
ということは、九番目の龍王から日本の龍神信仰は始まったことになります。
しかも、前出の『コトバンク』の「九」の記事によると、「竜蛇の形」に始まる「九」は特に「雌竜」である可能性が指摘されています。
管見でも、日本各地の龍に関する伝承にはどちらかと言えば女性性や母性が強調されているという印象を以前述べましたが、それと「九」=「雌竜」説は合致するものがあります。
ただし、最大の陽数(奇数)である「九」が「雌竜」ということになり、現代風に言えば、「龍の数秘」はなかなか一筋縄ではいかなようです。
いずれにしても、日本での龍神信仰の始まりが、「竜蛇の形」であり「雌竜」の可能性が高い「九」を意識した、八大龍王に加わった「九」番目の龍女=善女龍王だったこと、しかしながら「九大龍王」という表現はせずに「八大龍王」の神号を残したことの意義に、何やら深淵なものが感じられます。
福岡市東区三苫の綿津見神社には志賀三神(綿津見三神)と豊玉姫命、つまり龍女=「雌竜」(「九」の象徴)が祀られていますが、かつては「八大竜王」と呼ばれ、その当時の扁額も大切に祀られています。
「八」と「九」を龍神信仰の象徴として残した背景には、「九」が最大の陽数であるのに対して、「八」は最大の陰数であり、数字として最大の陰陽の組み合わせになることも考えられないようでしょうか?
以前にも指摘したように、大国主(おおくにぬし)命と少彦名(すくなひこな)命、高龗(たかおかみ)神と闇龗(くらおかみ)神など対照的な神号の神々をセットにすることで、どちらかに偏らないようにバランスを取ることが信仰では重視されます。
三月三日の上巳、五月五日の端午、七月七日の七夕、九月九日の重陽などの節句とは、同じ陽数の重複、今風に言えばゾロ目をむしろ「罪(つみ)」=過剰な貪欲と「穢(けがれ)」=意気消沈や過剰な不満に導きがちなものとして警戒し、そういう状態に陥るのを避ける「罪穢の禊祓(みそぎはらい)」の意味があったと思います。
近年は数秘術の観点から、ゾロ目が吉兆のように云われますが、昔は逆に陽数のゾロ目には危険性も潜んでいると見られていたと思われます。
陰気が極まって一陽が生じる冬至の「一陽来復」に対して、陽気が極まって一陰が生じることになるからでしょうか?
ともかくゾロ目は大きな可能性とともに大きな危険性を秘めているのでしょう。
このような点が、武甕槌命という非常に強力な雷神の御蓋山降臨と大宮遷座が、どちらも「九日」=「竜蛇、雌竜の日」でありながら、十二支では寅の日と卯の日というズレ、また直後の申の日が15日(望月)と14日(小望月)という月齢のズレに意識されていたのではないでしょうか?
しかもこれら十二支と月齢のズレは一つずつ、つまり連続するズレです。
こうしてみると、春日大社の創建に関わる日付は微細な点まで意味深長です。
それでは、このように意味深長な「申=雷」を意識した「龍」の日付で武甕槌命が御蓋山に降臨され、大宮へ遷座された時代とは、どのような時代だったのでしょうか?
このまま続けると長くなりますので、春日大社創建の時代背景については次回にしたいと思います。